2015/11/29

起死回生の聴竹居  新聞/雑誌

 今日はブログ記事を書くため、ウェブ上であちこち調べている時に、たまたま発見した新聞記事の話。今でこそ建築の素人にも知られるようになった聴竹居だが、ほんの少し前までは、竹中工務店の社員ですら知らない物件だったらしい。しかも老朽化が激しく、解体の危機に瀕していたのだ。

 という記事を2015年10月30日の日経新聞のウェブ版から見つけ出した↓
http://www.nikkei.com/article/DGXLASHC15HA6_Z21C15A0AA2P00/

 発端は、竹中工務店の一人のサラリーマンが阪神大震災を機に社史を調べ、87年前にOBが手がけた重要文化財級の私邸がひそかに現存していることを知った。取り壊しを防ぐためボランティアで管理し、地域住民の協力を得て保存活動に取り組む。日本の住宅史に欠かせない貴重な建物をよみがえらせる――。

 ボランティアで保存活動に乗り出したのは、竹中工務店社員の松隈章さん(57)。「阪神大震災の翌96年に初めて聴竹居を見学し、不思議な魅力を感じた。藤井の発想の奥深さに引き込まれた」と振り返る。


 藤井の子孫が貸家にして第三者が住み続けていた2008年、転機が訪れる。親交を深めていた子孫から「残していきたいが、老朽化で維持管理が心配だ」と相談を受けた松隈さんが、自ら借家人になったのだ。

 「維持費を捻出するため有料で一般見学に対応する体制にしたらどうか」と大山崎町職員から提案を受けた松隈さんは、紹介された地元有志6人とともに、維持管理をするボランティア組織をつくった。見学ガイドも運営。貴重な古民家を内覧できると評判を呼び、今や年3000人以上の見学者が訪れる。 2013年には天皇皇后両陛下が視察にみえたことで、一気に有名になったらしい。

 松隈さんは「20年前は竹中工務店の社内で聴竹居を知る人は少なかった。それが今では新入社員の皆が『学生時代に見学に行きました』と言ってくれる」と目を細める。地元ボランティアの荻野和雄さん(71)は「ガイドの仕事は生きがいになった。町おこしにつながった」と話す。


 しかしむろん、そう着々とコトは進まなかったはずだ。松隈さんが聴竹居にであってから20年の歳月が流れている。老朽化した建物の修復には、並大抵ではない金額と人手が必要なのだから。

 たぶん松隈さんは、恋に落ちたのだと思う。聴竹居という満身創痍の建物に。それとも藤井さんの思いが乗り移ったのかも(そして後押しもしてくださったのかも)。

 でももちろん一人でやりとげられる仕事ではない。彼の熱意に人々が巻き込まれていき、先般私たちがうっとりしたような、かつての姿に戻されたのだ。(まだ「お茶室」は手を付けられていなかったが)。松隈さんをはじめとして、ボランティアの方々や、地域の方々に深く感謝したい。

 (緑字は新聞記事よりの引用)

 






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