2016/10/31
男鹿に到着。 おでかけ
まさかの絶不調に陥りながらも、駅のロッカー(秋田から男鹿への片道運賃ほど高額だったので、一瞬持参で行くか考えたほど・汗)にキャリーバッグを預け、男鹿行きの電車を待つ。身体は不調でも気持ちは長年のあこがれの人(?)に、やっと会えるね♡という期待でワクワク♪♪

使い込まれたローカル感が、善き哉。

一人旅にはうれしい座席仕様の電車だった。ちょっとレトロで懐かしい感じ。

北に来ました!という旅情に浸る風景。遠くには風力発電の風車が見える。

1時間ばかりで男鹿駅に到着。いかにも小さなローカルの駅だ。

バックが海だと、「なまはげ」というよりは能登半島の御陣乗太鼓(ごじんじょだいこ)みたいに見える。そういえば東北では、JRの駅名看板をフルに活用していたな。

あっ、この模様はなかった方が、よかったかも。

でも機械化されず、駅員さんがキップをチェックするシステムなんだ。私の子どもの頃、すなわち高度成長期の田舎の風景が、そのまま残っていた。

とはいえ、男鹿は「なまはげ」ひとり(2人組だったが)の肩にずっしりと、現在と未来をたくしていたのだった。その後、賑やかな秋田駅にいたら判らない、地方の疲弊ぶりを見せつけられる事になる。

なぜか「なまはげ」=石造りの荒々しい家、というイメージを地元の方が持っているのか、駅舎はこんな感じ。「なまはげ館」はもっと荒々しかった。

彼等の肩には、「男鹿」がずっしりとのしかかっていた。

たまたま私の行った場所が「真山」エリアという、なまはげ中心部だったので、そう感じただけならいいのだけど。

だからマンホールも絶対「なまはげ」と思っていたら、椿だった。

男鹿市の能登山は(日本海側では)ツバキ自生北限地帯として国指定の天然記念物になっているらしい。

観光協会近くの、線路を渡る歩道橋がかっこいい。たぶん高齢者が多い地域に思えるので、お年寄りにはコクかもしれないから、エスカレーターにしてほしいところかも。

男鹿の駅前情報前編はここまで。(えっ、後編も!?)
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使い込まれたローカル感が、善き哉。

一人旅にはうれしい座席仕様の電車だった。ちょっとレトロで懐かしい感じ。

北に来ました!という旅情に浸る風景。遠くには風力発電の風車が見える。

1時間ばかりで男鹿駅に到着。いかにも小さなローカルの駅だ。

バックが海だと、「なまはげ」というよりは能登半島の御陣乗太鼓(ごじんじょだいこ)みたいに見える。そういえば東北では、JRの駅名看板をフルに活用していたな。

あっ、この模様はなかった方が、よかったかも。

でも機械化されず、駅員さんがキップをチェックするシステムなんだ。私の子どもの頃、すなわち高度成長期の田舎の風景が、そのまま残っていた。

とはいえ、男鹿は「なまはげ」ひとり(2人組だったが)の肩にずっしりと、現在と未来をたくしていたのだった。その後、賑やかな秋田駅にいたら判らない、地方の疲弊ぶりを見せつけられる事になる。

なぜか「なまはげ」=石造りの荒々しい家、というイメージを地元の方が持っているのか、駅舎はこんな感じ。「なまはげ館」はもっと荒々しかった。

彼等の肩には、「男鹿」がずっしりとのしかかっていた。

たまたま私の行った場所が「真山」エリアという、なまはげ中心部だったので、そう感じただけならいいのだけど。

だからマンホールも絶対「なまはげ」と思っていたら、椿だった。

男鹿市の能登山は(日本海側では)ツバキ自生北限地帯として国指定の天然記念物になっているらしい。

観光協会近くの、線路を渡る歩道橋がかっこいい。たぶん高齢者が多い地域に思えるので、お年寄りにはコクかもしれないから、エスカレーターにしてほしいところかも。

男鹿の駅前情報前編はここまで。(えっ、後編も!?)

2016/10/30
秋田に到着。 おでかけ
10時前の新幹線に乗るため、ホテルで荷物を受取り、改札へ向かう。駅近のホテルはやはり便利だ。
改札をくぐる前に、ふと見回すと、盛岡で食べ損ねた「福田パン」を「製造販売」している一角があるじゃあーりませんか!!
ひとりのお姉さんが、コッペパンの切り込みに塗り付けたり、挟み込んだりして、もうひとりのお姉さんが販売担当だ。たった2人で、それも改札前の狭い一角で「福田パン」をゲリラのように製造販売しているので、さほど混んでない時間帯なのに、数人の列ができていた。

Kちゃんの友達が「福田パンは、『あんバター』が一番美味しいです!」と教えてくれていたので、一番多く売られていて山積みになっていた『あんバター』を引っ掴み購入。コッペパンが、ふあふあ♪
今回乗るのは「こまち」という新幹線。Wキップなので全席指定の車両では、空いている席にならとりあえず座れる「仮座り」になる。

お天気は走る程にどんよりと。最初は稲刈り中の、のどかな田園風景だったが、

次第に山あり谷川ありの、ちょっと信楽に似た風景に変わっていった。

田沢湖の手前では、ついに雨が降りだした。

田沢湖は、金色の「たつこ像」とのどかな温泉地として有名な場所だ。JTBのお姉さんにも、宿泊をおすすめされた場所だ。有名な乳頭温泉の入口でもある。次の一大観光地、風情ある武家屋敷などがあるらしい町並みの、小京都ともいわれる角館もスルー。女子に人気の場所は、軒並みスルー。

車掌さんから「デッキでお立ちの方は、どうぞおすわりください」、というアナウンスが入る。この先、指定席券を持った客は乗車しないということらしい。
この日は、いまひとつの体調だったので、早々に空席に座らせていただいていた。

デッキのドアの模様は、やっぱり「あきたこまち」だ。車内で、できたての「福田パン」を消費する。ふわふわで、ほんのり甘い。

男鹿行きの電車まで30分あるので、いそいそと駅前の郵便局へ向かう。実はこのときが、マックスでへろへろだった。

風景印のデザインは、もちろん「秋田の竿燈まつり」だ。手前にフキノトウ、遠くに大平山。よく見ると中枠が蕗の葉の形に縁取られていた。なるほどー!

それでも路上観察は怠らず、路上に目を光らせる。東北三大まつりのひとつ、「秋田の竿燈まつり」がモチーフとなったマンホール。私が「竿燈まつり」を知ったのは、テレビではるか昔、『ストレッチマン』を見ていたら、悪役(実は秋田の養護学校の先生)がストレッチマンに竿燈妙技の勝負を挑んだのが最初だった。(もちろん養護学校の生徒たちが作った、本物の祭り用でない竿燈である)

こちらのマンホールは、中央に秋田市のマーク、まわりは民謡・秋田音頭に謡われている蕗の葉と蕗の薹。

そしてここが、今夜の晩ご飯処「かまくらの郷」。なまはげショーもある秋田郷土料理のお店だ。店内にも若干名のグループが楽しむ個室として「かまくら」があるらしい。

駅前のポストにも「竿燈まつり」の提灯と竿燈のデザインが。

裏には腰でバランスを取る妙技。

こちらは頭でバランスを取っている。

駅構内には、おなじみ「なまはげ」の顔出し人形。
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改札をくぐる前に、ふと見回すと、盛岡で食べ損ねた「福田パン」を「製造販売」している一角があるじゃあーりませんか!!
ひとりのお姉さんが、コッペパンの切り込みに塗り付けたり、挟み込んだりして、もうひとりのお姉さんが販売担当だ。たった2人で、それも改札前の狭い一角で「福田パン」をゲリラのように製造販売しているので、さほど混んでない時間帯なのに、数人の列ができていた。

Kちゃんの友達が「福田パンは、『あんバター』が一番美味しいです!」と教えてくれていたので、一番多く売られていて山積みになっていた『あんバター』を引っ掴み購入。コッペパンが、ふあふあ♪
今回乗るのは「こまち」という新幹線。Wキップなので全席指定の車両では、空いている席にならとりあえず座れる「仮座り」になる。

お天気は走る程にどんよりと。最初は稲刈り中の、のどかな田園風景だったが、

次第に山あり谷川ありの、ちょっと信楽に似た風景に変わっていった。

田沢湖の手前では、ついに雨が降りだした。

田沢湖は、金色の「たつこ像」とのどかな温泉地として有名な場所だ。JTBのお姉さんにも、宿泊をおすすめされた場所だ。有名な乳頭温泉の入口でもある。次の一大観光地、風情ある武家屋敷などがあるらしい町並みの、小京都ともいわれる角館もスルー。女子に人気の場所は、軒並みスルー。

車掌さんから「デッキでお立ちの方は、どうぞおすわりください」、というアナウンスが入る。この先、指定席券を持った客は乗車しないということらしい。
この日は、いまひとつの体調だったので、早々に空席に座らせていただいていた。

デッキのドアの模様は、やっぱり「あきたこまち」だ。車内で、できたての「福田パン」を消費する。ふわふわで、ほんのり甘い。

男鹿行きの電車まで30分あるので、いそいそと駅前の郵便局へ向かう。実はこのときが、マックスでへろへろだった。

風景印のデザインは、もちろん「秋田の竿燈まつり」だ。手前にフキノトウ、遠くに大平山。よく見ると中枠が蕗の葉の形に縁取られていた。なるほどー!

それでも路上観察は怠らず、路上に目を光らせる。東北三大まつりのひとつ、「秋田の竿燈まつり」がモチーフとなったマンホール。私が「竿燈まつり」を知ったのは、テレビではるか昔、『ストレッチマン』を見ていたら、悪役(実は秋田の養護学校の先生)がストレッチマンに竿燈妙技の勝負を挑んだのが最初だった。(もちろん養護学校の生徒たちが作った、本物の祭り用でない竿燈である)

こちらのマンホールは、中央に秋田市のマーク、まわりは民謡・秋田音頭に謡われている蕗の葉と蕗の薹。

そしてここが、今夜の晩ご飯処「かまくらの郷」。なまはげショーもある秋田郷土料理のお店だ。店内にも若干名のグループが楽しむ個室として「かまくら」があるらしい。

駅前のポストにも「竿燈まつり」の提灯と竿燈のデザインが。

裏には腰でバランスを取る妙技。

こちらは頭でバランスを取っている。

駅構内には、おなじみ「なまはげ」の顔出し人形。


2016/10/29
盛岡を歩く その5 櫻山神社 おでかけ
公園の向こうには、宮沢賢治の碑もあるらしいけど、そろそろ帰り始めないと、電車に間に合わなくなる。名残惜しいが、今日はここまで。

あれ? これは、なんですか?
ということで、回り込んでみた。

わあ、さざえのような形の大岩!

南部藩の「お守り岩」で、「烏帽子岩」と呼ばれている。

ちょっと引いて撮ってみたけど、この大きさは伝わらないかなあ。

いつのまにか、櫻山神社の境内にいた。神社建築様式のひとつ、「流造」の屋根だ。桜山神社の創建は寛延2年(1749)に当時の藩主利視が初代南部信直の功績を称え社殿を建立したのが始まり。

さらに下ると、狛犬さんのいる場所までやってくる。

一旦、神社から離れて、全体像をパチリ。

正面には、狛犬ならぬ、青銅の狛鶴さんが!

授与品売り場の若い宮司さんに、狛鶴さんのイワレを訊くも、「これに書いてありますから」と紙を渡され、意外にぞんざい(汗)
たまたまかもしれないけど、というか、私が(東北では?)怪しげなヒトだったからかもしれないけど(笑)、旅の間、サービス業の方を含めて、概ね男性は警戒心が強かったように思う。いわれなき怒りや理不尽なクレームをぶつけられたりする事が多い昨今だから、ガードが固いのも仕方ないのかも。
あるいは東北の人にとって関西人は、「いなかっぺ大将」における東北人・大ちゃんこと風大右衛門の宿敵「西一」と同等にみなされているのかもしれない。

気を取り直して、門をくぐり帰ろうとすると。

んんっ!? ほおずきの暖簾がかかっている!?

これは何のまじないですか? 日が高いうちには決して口にできないものですか?(笑)

帰宅してから調べるも、わからずじまい。

郵便局があったので立ち寄り、風景印をいただく。

大通りに戻り、商店街を歩く。

途中、こんなハンコ屋さんがあり、思わず足をとめてしまう。
「お猿の居るはんや」。気になる!! 思わずふらふらと入ってしまう。昔ながらの、ちょっと薄暗い感じのハンコ専門店だ。

奥から出ていらしたのは、ほっそりした小柄なおばさんで、「お猿がいるんですか?」というハンコとは全く関係のない問いに、詳しくこたえてくださった。ビバ、おばさん! 親切な女性には、たくさんお会いできたのだ。

先先代がお猿を人から預って、そのまま預けっ放しにされたこと。店先にお猿を繋いでおいたら、娯楽の無い当時、人だかりがして人気者になったこと。一代目の猿が他界したあとも、二代目を飼ったこと。その二代目も7年前に天に召されたこと。それ以降、猿は不在だが、猿グッズを集めている事など。
お礼にシャチハタを買って店を出る。(旅先で何を買っているやら・汗)
しかし途中で、どうも少し体調がおもわしくなくなり、バスに乗り駅まで行く。バスがあってよかったー!
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あれ? これは、なんですか?
ということで、回り込んでみた。

わあ、さざえのような形の大岩!

南部藩の「お守り岩」で、「烏帽子岩」と呼ばれている。

ちょっと引いて撮ってみたけど、この大きさは伝わらないかなあ。

いつのまにか、櫻山神社の境内にいた。神社建築様式のひとつ、「流造」の屋根だ。桜山神社の創建は寛延2年(1749)に当時の藩主利視が初代南部信直の功績を称え社殿を建立したのが始まり。

さらに下ると、狛犬さんのいる場所までやってくる。

一旦、神社から離れて、全体像をパチリ。

正面には、狛犬ならぬ、青銅の狛鶴さんが!

授与品売り場の若い宮司さんに、狛鶴さんのイワレを訊くも、「これに書いてありますから」と紙を渡され、意外にぞんざい(汗)
たまたまかもしれないけど、というか、私が(東北では?)怪しげなヒトだったからかもしれないけど(笑)、旅の間、サービス業の方を含めて、概ね男性は警戒心が強かったように思う。いわれなき怒りや理不尽なクレームをぶつけられたりする事が多い昨今だから、ガードが固いのも仕方ないのかも。
あるいは東北の人にとって関西人は、「いなかっぺ大将」における東北人・大ちゃんこと風大右衛門の宿敵「西一」と同等にみなされているのかもしれない。

気を取り直して、門をくぐり帰ろうとすると。

んんっ!? ほおずきの暖簾がかかっている!?

これは何のまじないですか? 日が高いうちには決して口にできないものですか?(笑)

帰宅してから調べるも、わからずじまい。

郵便局があったので立ち寄り、風景印をいただく。

大通りに戻り、商店街を歩く。

途中、こんなハンコ屋さんがあり、思わず足をとめてしまう。
「お猿の居るはんや」。気になる!! 思わずふらふらと入ってしまう。昔ながらの、ちょっと薄暗い感じのハンコ専門店だ。

奥から出ていらしたのは、ほっそりした小柄なおばさんで、「お猿がいるんですか?」というハンコとは全く関係のない問いに、詳しくこたえてくださった。ビバ、おばさん! 親切な女性には、たくさんお会いできたのだ。

先先代がお猿を人から預って、そのまま預けっ放しにされたこと。店先にお猿を繋いでおいたら、娯楽の無い当時、人だかりがして人気者になったこと。一代目の猿が他界したあとも、二代目を飼ったこと。その二代目も7年前に天に召されたこと。それ以降、猿は不在だが、猿グッズを集めている事など。
お礼にシャチハタを買って店を出る。(旅先で何を買っているやら・汗)
しかし途中で、どうも少し体調がおもわしくなくなり、バスに乗り駅まで行く。バスがあってよかったー!

2016/10/28
盛岡を歩く その4 盛岡城跡 おでかけ
さて、中日3日目である。テレビのチャンネルガイドがあったので、とりあえず目を通してみた。

「岩手めんこいテレビ!?」。えっ? ほんとにそんな名前のテレビ局なの!?
『あまちゃん』で、ローカル放送のテレビ局があったなあー。ええと・・・「岩手こっちゃこいテレビ」だっけ? そんな局名ありえへんやろ〜、クドカン、名付けるなあ〜(笑)♪ と思っていたら、そんなにニュアンスが違わないリアル・ローカル局名だった(汗)
そういえば地域情報番組『5時だべ わんこチャンネル』っていうのも、『あまちゃん』であったなあ。リアルにもそういう番組名もあるのか、ちょっと気になるところだ。気になって調べてみたら、「いわて!わんこ広報室」という番組があったぞ! 『あまちゃん』の世界は、リアル岩手のかなり近距離だった。

そして部屋の窓からみえる光景は、東京とさほど変らないくらい?都会の風景。
ホテルにいるときにぜひやりたいことのひとつが、テレビでNHKのローカル放送枠を見ることなので、その間はテレビの前だ。

全国の交通安全運動期間に入り、岩手の花巻市の公式キャラクター「フラワーロールちゃん」が一日警察署長に就任する、というローカルなニュース。
フラワーロールちゃん・・・そのまんまやないかい!!って、関西なら間違いなく突っ込まれるな。
ホテルの部屋で持参のインスタントコーヒーを淹れ、昨日購入したパンを食べて、いざ再びの街歩きだ。でも新幹線の時間までそんなにないので、昨日と同じく行けるところまで。

昨日はジャージ姿の高校生たちが駅ビルを徘徊していたが、国体だったのね。そういえば昨日、わんこそばのお店の前で、「ああ〜、わんこそば、食べずに終わった〜!」と言ってた女子がいたっけな。いえいえその彼女、安心して。私も食べずに終わりそうだから。

朝の開運橋。

これ!! すごいスリーショットだ!!!
石川啄木像のバックは、ローソン。しかも「勇者ヨシヒコ」の幟付き! 啄木なら「ヨシヒコ、俺も仲間に入れてくれ!」と言い兼ねない(かもしれない)。「勇者ヨシヒコ」の新しいテレビシリーズもはじまったことだし、啄木が登場するのを楽しみにしていよう。(出んわっ! 絶対出んわ!! キャラ的にはデタラメだし、違和感ないけどね)

「新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に 嘘はなけれど」
ヨシヒコが聞いたら、大感動しそうだ。「意味わからないけど、なんか、すごく感動しました!」とか言って。

「北風に立つ少年啄木像」

「さわや書店」本店に遭遇。でもまだ開店前だ。店内で忙しく働く書店員さんが見えた。
途中、角を折れて「シネマ・ストリート」に入る。

「みちのく国際ミステリー映画祭’99 ミレーヌ・ドモンジョ」
惜しいな、「ドロンジョ」だったら絵が浮かぶのにな〜。

シネマ・ストリートには、なぜか堅い、真面目な職業の専門学校ビルが。

ついに城跡までやってきました!

のぼります! ・・・ぜーぜー、はーはー。

石垣!

いしがき! 石垣!

ここで啄木が、「お城の草に寝ころびて」いたところだと思うと、感慨深い。

学校の屋上でトランジスタラジオを聴いていた同じ年頃の忌野清志郎より、やはり牧歌的だし、寝転び甲斐がありそうだ。啄木だって「授業を抜け出して」いるんだけどね。どうも「授業を抜け出す」くらいの方が、人間の器が大きいのだろうか。私もプチ不良の友達と一緒に授業を抜け出して、お好み焼き屋さんに連れていってもらえば良かった。

「不来方の お城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」

そうそう、これよこれ。

啄木でスタートした盛岡の朝だ。
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「岩手めんこいテレビ!?」。えっ? ほんとにそんな名前のテレビ局なの!?
『あまちゃん』で、ローカル放送のテレビ局があったなあー。ええと・・・「岩手こっちゃこいテレビ」だっけ? そんな局名ありえへんやろ〜、クドカン、名付けるなあ〜(笑)♪ と思っていたら、そんなにニュアンスが違わないリアル・ローカル局名だった(汗)
そういえば地域情報番組『5時だべ わんこチャンネル』っていうのも、『あまちゃん』であったなあ。リアルにもそういう番組名もあるのか、ちょっと気になるところだ。気になって調べてみたら、「いわて!わんこ広報室」という番組があったぞ! 『あまちゃん』の世界は、リアル岩手のかなり近距離だった。

そして部屋の窓からみえる光景は、東京とさほど変らないくらい?都会の風景。
ホテルにいるときにぜひやりたいことのひとつが、テレビでNHKのローカル放送枠を見ることなので、その間はテレビの前だ。

全国の交通安全運動期間に入り、岩手の花巻市の公式キャラクター「フラワーロールちゃん」が一日警察署長に就任する、というローカルなニュース。
フラワーロールちゃん・・・そのまんまやないかい!!って、関西なら間違いなく突っ込まれるな。
ホテルの部屋で持参のインスタントコーヒーを淹れ、昨日購入したパンを食べて、いざ再びの街歩きだ。でも新幹線の時間までそんなにないので、昨日と同じく行けるところまで。

昨日はジャージ姿の高校生たちが駅ビルを徘徊していたが、国体だったのね。そういえば昨日、わんこそばのお店の前で、「ああ〜、わんこそば、食べずに終わった〜!」と言ってた女子がいたっけな。いえいえその彼女、安心して。私も食べずに終わりそうだから。

朝の開運橋。

これ!! すごいスリーショットだ!!!
石川啄木像のバックは、ローソン。しかも「勇者ヨシヒコ」の幟付き! 啄木なら「ヨシヒコ、俺も仲間に入れてくれ!」と言い兼ねない(かもしれない)。「勇者ヨシヒコ」の新しいテレビシリーズもはじまったことだし、啄木が登場するのを楽しみにしていよう。(出んわっ! 絶対出んわ!! キャラ的にはデタラメだし、違和感ないけどね)

「新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に 嘘はなけれど」
ヨシヒコが聞いたら、大感動しそうだ。「意味わからないけど、なんか、すごく感動しました!」とか言って。

「北風に立つ少年啄木像」

「さわや書店」本店に遭遇。でもまだ開店前だ。店内で忙しく働く書店員さんが見えた。
途中、角を折れて「シネマ・ストリート」に入る。

「みちのく国際ミステリー映画祭’99 ミレーヌ・ドモンジョ」
惜しいな、「ドロンジョ」だったら絵が浮かぶのにな〜。

シネマ・ストリートには、なぜか堅い、真面目な職業の専門学校ビルが。

ついに城跡までやってきました!

のぼります! ・・・ぜーぜー、はーはー。

石垣!

いしがき! 石垣!

ここで啄木が、「お城の草に寝ころびて」いたところだと思うと、感慨深い。

学校の屋上でトランジスタラジオを聴いていた同じ年頃の忌野清志郎より、やはり牧歌的だし、寝転び甲斐がありそうだ。啄木だって「授業を抜け出して」いるんだけどね。どうも「授業を抜け出す」くらいの方が、人間の器が大きいのだろうか。私もプチ不良の友達と一緒に授業を抜け出して、お好み焼き屋さんに連れていってもらえば良かった。

「不来方の お城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」

そうそう、これよこれ。

啄木でスタートした盛岡の朝だ。


2016/10/27
盛岡を歩く その3 おでかけ
秋の夕暮れが、足早に近づいているので、私も負けじと足早になり、中央通りへ移動する。

とはいえ、ちょっと寄り道して、「啄木新婚の家」を覗いて見る。

上がるのは残念ながらパス。無料で自由にあがっていいんだけどね。それにしても、あたたかな灯りの色だ。

やっぱりほら、新婚さんのおウチだし、夕方だし、遠慮しとかないとね。

畳のハマり方が、ちょっと変っている。単に古くなってズレているだけなのかな?

「不来方の お城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」

新婚さんの家を出る。道の向こう側にユニークな店名のお店が。唐突だけど別に意味はなく、店名が面白い、というだけで採取。

ここですっかり日が暮れてしまったし、時間的にも閉館時間を過ぎただろうしで、お城界隈の観光は諦めることに。18時まではオープンらしい中央郵便局に向かって、本日ラストの風景印をいただいた。

縁取りが鉄瓶の模様らしいとワクワクしていたら、いつのまにか普通の丸形に更新されていて、ちょっとガッカリ。絵柄には鉄瓶もあるんだけどね。

お城の方角にまっすぐ。暗くて何も見えないけど、たしかこちら方面に、盛岡のお土産が一同に集う「らら岩手」があるはずだから。この看板のお店は観光案内所じゃないけれど、きれいでおしゃれなお姉さんが、「らら岩手」の場所をわかりやすく教えてくださった。
「らら岩手」で、閉店間際まで、あーでもないこーでもないと迷いながら、ここでは嵩張るもの、重いものをあれこれ買い込んで宅急便で送ってもらう。ほぼ私が帰宅する頃に到着するらしい。岩手、やっぱり遠し。

盛岡の百貨店「カワトク」前。素敵な灯りの木があった。なぜか東京の銀座を思い出す。ごめん銀座さん、比較にならないよね。単に夜の街歩き、というだけの共通点。でも盛岡のメインストリートでもあるので「盛岡銀座」かも。

「開運橋」まで帰って来ました。駅まではあと一息。

鉄橋のような橋、というか鉄橋そのもの。

「そら青く 開運橋の瀬戸物の ランプゆかしき 冬をもたらす」
by宮沢賢治
大正時代の当時、できたばかりの鉄骨製橋の欄干に瀬戸物製の油壺付きランプがともされていた様子をうたったものらしい。

開運橋のたもとで、信号待ちをする人々。

晩ご飯は、もう暑くはないけれど「ぴょんぴょん舎」駅前店の「盛岡冷麺」!に決めていたが、用心してハーフサイズに。う〜ん、普通サイズでもよかったな。これ、去年私がハマった韓国麺と似た味で、なかなか美味しかった。
でも、やはり人気のお店なので、テーブルがどんどん埋まって行く。ひとりでテーブルを占拠するのは申し訳なく早々にお店を出たから、ハーフサイズにしたのは間違いではなかったかも。
でも、夜中におなかがすくのもなあ・・・と、結局駅ビル・「フェザン」のレストラン街で、調整しやすい回転寿司を食べる事に(笑) ちょっと高級な感じのお店だったので、一皿300円以上のものがけっこうあって、安くはなかったけど、やはり美味しかった。

ちかくに椀子そばのお店もあり、さすがは岩手。ショウウインドウも楽しい。暖簾は郷土芸能の「鹿(しし)踊り」。これが4日目への布石となっていた。 まあ、4日目も岩手ですから、あたりまえといえばあたりまえなんですけどね。
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とはいえ、ちょっと寄り道して、「啄木新婚の家」を覗いて見る。

上がるのは残念ながらパス。無料で自由にあがっていいんだけどね。それにしても、あたたかな灯りの色だ。

やっぱりほら、新婚さんのおウチだし、夕方だし、遠慮しとかないとね。

畳のハマり方が、ちょっと変っている。単に古くなってズレているだけなのかな?

「不来方の お城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」

新婚さんの家を出る。道の向こう側にユニークな店名のお店が。唐突だけど別に意味はなく、店名が面白い、というだけで採取。

ここですっかり日が暮れてしまったし、時間的にも閉館時間を過ぎただろうしで、お城界隈の観光は諦めることに。18時まではオープンらしい中央郵便局に向かって、本日ラストの風景印をいただいた。

縁取りが鉄瓶の模様らしいとワクワクしていたら、いつのまにか普通の丸形に更新されていて、ちょっとガッカリ。絵柄には鉄瓶もあるんだけどね。

お城の方角にまっすぐ。暗くて何も見えないけど、たしかこちら方面に、盛岡のお土産が一同に集う「らら岩手」があるはずだから。この看板のお店は観光案内所じゃないけれど、きれいでおしゃれなお姉さんが、「らら岩手」の場所をわかりやすく教えてくださった。
「らら岩手」で、閉店間際まで、あーでもないこーでもないと迷いながら、ここでは嵩張るもの、重いものをあれこれ買い込んで宅急便で送ってもらう。ほぼ私が帰宅する頃に到着するらしい。岩手、やっぱり遠し。

盛岡の百貨店「カワトク」前。素敵な灯りの木があった。なぜか東京の銀座を思い出す。ごめん銀座さん、比較にならないよね。単に夜の街歩き、というだけの共通点。でも盛岡のメインストリートでもあるので「盛岡銀座」かも。

「開運橋」まで帰って来ました。駅まではあと一息。

鉄橋のような橋、というか鉄橋そのもの。

「そら青く 開運橋の瀬戸物の ランプゆかしき 冬をもたらす」
by宮沢賢治
大正時代の当時、できたばかりの鉄骨製橋の欄干に瀬戸物製の油壺付きランプがともされていた様子をうたったものらしい。

開運橋のたもとで、信号待ちをする人々。

晩ご飯は、もう暑くはないけれど「ぴょんぴょん舎」駅前店の「盛岡冷麺」!に決めていたが、用心してハーフサイズに。う〜ん、普通サイズでもよかったな。これ、去年私がハマった韓国麺と似た味で、なかなか美味しかった。
でも、やはり人気のお店なので、テーブルがどんどん埋まって行く。ひとりでテーブルを占拠するのは申し訳なく早々にお店を出たから、ハーフサイズにしたのは間違いではなかったかも。
でも、夜中におなかがすくのもなあ・・・と、結局駅ビル・「フェザン」のレストラン街で、調整しやすい回転寿司を食べる事に(笑) ちょっと高級な感じのお店だったので、一皿300円以上のものがけっこうあって、安くはなかったけど、やはり美味しかった。

ちかくに椀子そばのお店もあり、さすがは岩手。ショウウインドウも楽しい。暖簾は郷土芸能の「鹿(しし)踊り」。これが4日目への布石となっていた。 まあ、4日目も岩手ですから、あたりまえといえばあたりまえなんですけどね。

2016/10/26
盛岡を歩く その2 光原社 おでかけ
「いーはとーぶアベニュー」に戻り、土蔵のような白壁の光原社本店にはいる。高価そうな手づくりの物品は買えないけど、せめて見るだけでも。

光原社はもと出版社で、大正13年(1924)、宮沢賢治の生前唯一の童話集『注文の多い料理店』を発刊し、社名も賢治に「光原社」と名づけられたことでスタートした。創業者が、賢治と盛岡高等農林学校で、先輩、後輩の間柄だったからだ。当時、花巻農学校の教師をしていた賢治を訪ねた創業者は、賢治から膨大な童話の原稿を預かった。

二人の夢を乗せた童話集は、残念ながらほとんど売れず「注文の少ない童話集」になってしまった。しかし創業者は生涯、『注文の多い料理店』と宮沢賢治を語るとき、とても愉快な気持ちだったらしい。賢治という天才と知り合い、一冊の本を通じて(いーはとーぶ)の夢を見たことが、彼にとって幸福な想い出となったのだ。

中庭には、賢治の童話「烏の北斗七星」の一部を刻んだ石柱がある。

「あゝ、マヂエル様、 どうか憎むことのできない敵を殺さないでいゝように早くこの世界がなりますように、そのためならば、わたしのからだなどは、なんべん引き裂かれてもかまひません」

↑和風な佇まいのこちらは、『注文の多い料理店』出版の地の石碑だ。
賢治なきあと光原社は、鉄器の高橋萬治や民芸の柳宗悦、染色の芹沢けい介、版画の棟方志功などの知遇を得、出版の仕事から鉄器、漆器、全国各地の民芸へと業態が移っていった。

中庭は、西洋の農場風でもあり、

不思議なメルヘンの世界のようでもあり、

独特だけどしっくりくる、なんだか自然にうれしくなってくる、いい感じの空間だ。

お店には2階もあったのか! うわ、行きそびれてしまった。壁のオブジェも面白い。

そろそろ夕暮れが近づいて来たので、「可否館」の看板に灯がともる。

手入れされた竹林と大壷のある庭をのぞむ、セピア色の空気が流れる喫茶店。私以外の客は、3名の大学生らしき、真面目な男子たち。

モスグリーンのベレーを被った寡黙なお姉さんがひとりで、おみせを切り盛りされていた。カンペキな世界ができあがっていた。ここにしかない世界だ。

ホット珈琲に定番のくるみクッキーをいただいて、別世界のような喫茶店をでる。まるで本の中のような、うっかりすると本の中から出られなくなるんじゃないかと危惧されるような、そんな懐かしさと不思議さを兼ね備えたお店だった。

ここもまた、賢治さんっぽい雰囲気が漂っている。

向いには光原社「モーリオ」というお店があり、岩手の食品や工芸品が販売されている。「可否館」の定番「くるみクッキー」や、わんこ蕎麦用の短めの蕎麦、南部鉄器やザルやカゴなど。

私はせっかくなので、漆塗りのお箸を購入。嵩張らないし。今回は、小さいものばかり買ってる。

「モーリオ」の外には、落ち葉とともに、楽しげな賢治さんが一服中でした。
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光原社はもと出版社で、大正13年(1924)、宮沢賢治の生前唯一の童話集『注文の多い料理店』を発刊し、社名も賢治に「光原社」と名づけられたことでスタートした。創業者が、賢治と盛岡高等農林学校で、先輩、後輩の間柄だったからだ。当時、花巻農学校の教師をしていた賢治を訪ねた創業者は、賢治から膨大な童話の原稿を預かった。

二人の夢を乗せた童話集は、残念ながらほとんど売れず「注文の少ない童話集」になってしまった。しかし創業者は生涯、『注文の多い料理店』と宮沢賢治を語るとき、とても愉快な気持ちだったらしい。賢治という天才と知り合い、一冊の本を通じて(いーはとーぶ)の夢を見たことが、彼にとって幸福な想い出となったのだ。

中庭には、賢治の童話「烏の北斗七星」の一部を刻んだ石柱がある。

「あゝ、マヂエル様、 どうか憎むことのできない敵を殺さないでいゝように早くこの世界がなりますように、そのためならば、わたしのからだなどは、なんべん引き裂かれてもかまひません」

↑和風な佇まいのこちらは、『注文の多い料理店』出版の地の石碑だ。
賢治なきあと光原社は、鉄器の高橋萬治や民芸の柳宗悦、染色の芹沢けい介、版画の棟方志功などの知遇を得、出版の仕事から鉄器、漆器、全国各地の民芸へと業態が移っていった。

中庭は、西洋の農場風でもあり、

不思議なメルヘンの世界のようでもあり、

独特だけどしっくりくる、なんだか自然にうれしくなってくる、いい感じの空間だ。

お店には2階もあったのか! うわ、行きそびれてしまった。壁のオブジェも面白い。

そろそろ夕暮れが近づいて来たので、「可否館」の看板に灯がともる。

手入れされた竹林と大壷のある庭をのぞむ、セピア色の空気が流れる喫茶店。私以外の客は、3名の大学生らしき、真面目な男子たち。

モスグリーンのベレーを被った寡黙なお姉さんがひとりで、おみせを切り盛りされていた。カンペキな世界ができあがっていた。ここにしかない世界だ。

ホット珈琲に定番のくるみクッキーをいただいて、別世界のような喫茶店をでる。まるで本の中のような、うっかりすると本の中から出られなくなるんじゃないかと危惧されるような、そんな懐かしさと不思議さを兼ね備えたお店だった。

ここもまた、賢治さんっぽい雰囲気が漂っている。

向いには光原社「モーリオ」というお店があり、岩手の食品や工芸品が販売されている。「可否館」の定番「くるみクッキー」や、わんこ蕎麦用の短めの蕎麦、南部鉄器やザルやカゴなど。

私はせっかくなので、漆塗りのお箸を購入。嵩張らないし。今回は、小さいものばかり買ってる。

「モーリオ」の外には、落ち葉とともに、楽しげな賢治さんが一服中でした。


2016/10/25
盛岡を歩く その1 おでかけ

駅前の郵便局を探すのに少し手間取ってしまい、

ふたたび駅前にもどって駅を眺めると、傾いて来た光線の加減か、とてもレトロで素敵な駅に見えた。

いえ、レトロなのは、きっとこの時計のせい。

そして啄木の筆跡そのままのレリーフも。

中央だけみれば、現代的で賑やかな都会の駅だ。

さきほど行ったばかりの、駅ビル「フェザン」。

さあ、歩くぞー! まずは材木町へ。「いーはとーぶアベニュー」や「光原社」のある場所だ。

旭橋を渡る。盛岡は北上川に架かる橋がいくつもあり、それはまるで、京都の鴨川に架かる「◯条大橋」のようだ。盛岡が「みちのくの小京都」と呼ばれる由縁かもしれない。

橋を渡るときに岩手山がくっきりと見える。あまりにいい位置に山があるので、ゆっくりと山を眺めるため、立ち止まってしまう。

いーはとーぶアベニューは、メルヘンなストリート。

あっ、賢治さんも一休みしている!

賢治さんの好きだったフクロウの像。その下には、観光客用のスタンプも。

スタンプといえば、材木町の郵便局で風景印をいただき、ついでに夕顔瀬町の郵便局までの道順や時間も教えていただく。とても親切な郵便局だった。

光原社の「モーリオ」が向こうに見えるけど、これは復路に立ち寄ろう。

夕顔瀬町に入ったら、カッパの石像が。

さすがはカッパの名産地、岩手県。馬とカッパはセットになっているのかも。ただし、今もいるのは遠野だけ。

夕顔瀬橋のこのロケーションも、とても京都に似ている。

風景が絵になる。

橋を渡った先に、夕顔瀬町郵便局がある。

受付のお姉さんは、私が関西から来たと言うと、「私、この前の連休に大阪に行って来たんです、USJに! 楽しかったです!」。
東のディズニーランド、西のUSJだな。私は両方とも行ってないけど、不動の人気だ。

風景印をいただき、ふたたび橋を渡る。欄干が雪の結晶の模様になっている。

う〜ん、この日が傾いて来ると切ない感じも、京都っぽいのかも。

そうそう、明日の朝ご飯にするパンを買わなくちゃ。

ここは「いーはとーぶアベニュー」の「ベッカライ・ベルク」というお店だが、外観も含めて非常に私好みだった。たまたま入ったのだけど、近くにあれば通うパン屋さんだろう。奥さんは愛想ないけど、そういうのは、気にならない。むしろ相手が愛想がなければないほど、しつこく食いついて質問する天の邪鬼なワタシ(笑) とにかく、ものすごく美味しかった。

2016/10/24
ふたたび仙台、そして盛岡へ おでかけ
スムーズにバスは走り、思っていたよりも早めに仙台駅に到着した。
よし! こんどこそ、郵便局へ行かなきゃ!
ところが昨日の郵便局にたどり着かない。というか目印にしていたあれこれが見当たらない? おかしーなー??
あっ!! しまった! 駅の反対側なんだ! バスから降りたら、駅の反対出口に行かなきゃならなかったのに! と気づいたときには、もう郵便局に行くだけの時間はなく(泣)

とはいえ、転んでもただでは起きない。バックにビルを従えた五重塔という、シュールな風景をゲット。

駅前でこんな風景に遭遇するとは、さすがは杜の都・仙台だ。新幹線の時間には、まだ余裕があるので、お昼ご飯を調達だ!と、ちょっとハイセンスなお土産物屋さんに潜入&購入。
朝ご飯のバイキングでおなかいっぱい食べたので、それほど空いていなかった。しっかりしたゴハンはパス。ほぼデザートなランチになった。

今度は自由席のある「やまびこ」に乗り込む。

新幹線でゴハンって、けっこう憧れ(笑) 旅はほぼ、在来線なので。「牛タン弁当」でないのが、残念と言えばザンネン。

ずんだ団子、「さくらんぼたっぷりぷるぷるゼリー」、牛乳。
実は朝ご飯で、これは!というのが牛乳だったのだ。東北ではどこでも、牛乳がやたら美味しかった。これはプラスチック容器に入っていたので、ちょっとザンネンだったが。「ずんだ」はやっぱり団子よりは、(帰宅してから食べた)「ずんだ餅」が美味しかったなー。残念な事に、旅の途中で食べる一人分としては多いんだよな〜、ずんだ餅パックは。

加工品とはいえ、これだけサクランボが入ってるなんて、さすがは仙台。
・・・って、サクランボは山形の名産品では??
などと「思考」錯誤しているうちに、14時前に盛岡到着。さすがは新幹線、早いわ〜♪

憧れの盛岡。
ロシア語みたいな「モリウォッカ」。
ユーミンの昔の曲♪「緑の町に舞い降りて」は、10代の頃から私の大好きな歌だったけど、なんと娘のKちゃんも絶賛していたので、親子二代にわたっての愛聴ソング。盛岡は、それだけではない。石川啄木や宮沢賢治ゆかりの土地でもあるのだ。盛岡、盛りだくさん。

わー! 盛岡駅って、こんなにいろんな路線とつながっているのか!

改札をくぐる前に、キップの写真を撮っておく。これらのキップはここで終了。改札をくぐり、明日のために、お得な盛岡〜秋田間のWキップを自販機で購入する。
まずは駅構内から続いているホテルへ、荷物を置きにいかなくては。チェックインには早いと思っていたけど、2時から可能だった。チェックインも済ませ、部屋に荷物をキープ。ここはカンペキな素泊まりなので、朝ご飯のパンも買っとかなきゃ。
盛岡は旅の行程のなかで、一番時間がある場所だ。ぶらっと街歩きをしつつ、風景印をゲットしつつ徘徊する気でいたので、きっちりとした予定は立てていない。行きたい場所もいっぱいあるけど全部はムリなので、時間切れになった時点であきらめることにする。
行きたい場所、その1。
それは駅ビルにある「さわや書店」フェザン店だ。 すごくカワイイものがいっぱいで地元ものが結構あり、観光客にはかなりうれしい雑貨コーナーの裏は地味なのだが(笑)、

表は、(もちろん中もだが)ポップだらけのアツい書店。本も各コーナーに分かれていっぱい! そしてポップもフックもぎっしり! お客さんも年末年始のように混雑している。あかん、こんなとこにいたら時間の経つのを忘れてしまう! タイムリミットのある私には、キケンすぎる場所だ! それでも30分はいてしまった。

ここで岩手の絵葉書を10枚ほど購入し、毎年購入する筑摩の文庫手帖を購入し、書店のチョーおススメ覆面文庫本「文庫X」(すっぽりと「おススメの文章が書かれた紙」で覆われているので、タイトルも著者も不明!)も思い切って買うことに。
レジのおねえさんに、「滋賀県から来ました!」というと感激してくださり、また覆面本「文庫X」が売れていることも教えてくださった。「今朝、TVで紹介されたんですよ」。そんなタイミングで来てしまったのか〜!

カバーもアツいですよ。

*おまけ:「さわや書店」についてのリンク
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よし! こんどこそ、郵便局へ行かなきゃ!
ところが昨日の郵便局にたどり着かない。というか目印にしていたあれこれが見当たらない? おかしーなー??
あっ!! しまった! 駅の反対側なんだ! バスから降りたら、駅の反対出口に行かなきゃならなかったのに! と気づいたときには、もう郵便局に行くだけの時間はなく(泣)

とはいえ、転んでもただでは起きない。バックにビルを従えた五重塔という、シュールな風景をゲット。

駅前でこんな風景に遭遇するとは、さすがは杜の都・仙台だ。新幹線の時間には、まだ余裕があるので、お昼ご飯を調達だ!と、ちょっとハイセンスなお土産物屋さんに潜入&購入。
朝ご飯のバイキングでおなかいっぱい食べたので、それほど空いていなかった。しっかりしたゴハンはパス。ほぼデザートなランチになった。

今度は自由席のある「やまびこ」に乗り込む。

新幹線でゴハンって、けっこう憧れ(笑) 旅はほぼ、在来線なので。「牛タン弁当」でないのが、残念と言えばザンネン。

ずんだ団子、「さくらんぼたっぷりぷるぷるゼリー」、牛乳。
実は朝ご飯で、これは!というのが牛乳だったのだ。東北ではどこでも、牛乳がやたら美味しかった。これはプラスチック容器に入っていたので、ちょっとザンネンだったが。「ずんだ」はやっぱり団子よりは、(帰宅してから食べた)「ずんだ餅」が美味しかったなー。残念な事に、旅の途中で食べる一人分としては多いんだよな〜、ずんだ餅パックは。

加工品とはいえ、これだけサクランボが入ってるなんて、さすがは仙台。
・・・って、サクランボは山形の名産品では??
などと「思考」錯誤しているうちに、14時前に盛岡到着。さすがは新幹線、早いわ〜♪

憧れの盛岡。
ロシア語みたいな「モリウォッカ」。
ユーミンの昔の曲♪「緑の町に舞い降りて」は、10代の頃から私の大好きな歌だったけど、なんと娘のKちゃんも絶賛していたので、親子二代にわたっての愛聴ソング。盛岡は、それだけではない。石川啄木や宮沢賢治ゆかりの土地でもあるのだ。盛岡、盛りだくさん。

わー! 盛岡駅って、こんなにいろんな路線とつながっているのか!

改札をくぐる前に、キップの写真を撮っておく。これらのキップはここで終了。改札をくぐり、明日のために、お得な盛岡〜秋田間のWキップを自販機で購入する。
まずは駅構内から続いているホテルへ、荷物を置きにいかなくては。チェックインには早いと思っていたけど、2時から可能だった。チェックインも済ませ、部屋に荷物をキープ。ここはカンペキな素泊まりなので、朝ご飯のパンも買っとかなきゃ。
盛岡は旅の行程のなかで、一番時間がある場所だ。ぶらっと街歩きをしつつ、風景印をゲットしつつ徘徊する気でいたので、きっちりとした予定は立てていない。行きたい場所もいっぱいあるけど全部はムリなので、時間切れになった時点であきらめることにする。
行きたい場所、その1。
それは駅ビルにある「さわや書店」フェザン店だ。 すごくカワイイものがいっぱいで地元ものが結構あり、観光客にはかなりうれしい雑貨コーナーの裏は地味なのだが(笑)、

表は、(もちろん中もだが)ポップだらけのアツい書店。本も各コーナーに分かれていっぱい! そしてポップもフックもぎっしり! お客さんも年末年始のように混雑している。あかん、こんなとこにいたら時間の経つのを忘れてしまう! タイムリミットのある私には、キケンすぎる場所だ! それでも30分はいてしまった。

ここで岩手の絵葉書を10枚ほど購入し、毎年購入する筑摩の文庫手帖を購入し、書店のチョーおススメ覆面文庫本「文庫X」(すっぽりと「おススメの文章が書かれた紙」で覆われているので、タイトルも著者も不明!)も思い切って買うことに。
レジのおねえさんに、「滋賀県から来ました!」というと感激してくださり、また覆面本「文庫X」が売れていることも教えてくださった。「今朝、TVで紹介されたんですよ」。そんなタイミングで来てしまったのか〜!

カバーもアツいですよ。

*おまけ:「さわや書店」についてのリンク

2016/10/23
語り部バス その2 おでかけ
バスは移動して「戸倉中学校」へ。

ここは行政が避難場所に定めた「安全なはず」の場所だったが、津波がおしよせた場所である。海から回り込んだ海水が、山手からも押し寄せたらしい。校舎の反対側にはコンテナのような仮設住宅が、ぎっしりと並んでいる。校舎の時計は、津波が来た時間のまま止まっていた。屋根は震災後、新しく作られたもの。

2柱の石柱は、海をみつめるモアイ像。

赤土の台形盛り土が延々とつづく。道路を行き交うのは、ほとんどが工事に関わっている大型トラックだ。
次の目的地「高野会館」に到着する。バスの中でガイドさんの説明を聞く。
「南三陸ホテル観洋」の系列だった「高野会館」は、結婚式や会議やセミナーなど、幅広く使われた施設だった。地震が起きたときには、南三陸高齢者芸能大会が開催されており、閉会間際だったらしい。

大パニックになる参加者を、「死にたくなければ、ここから出るな!」とスタッフさんたちが人の鎖をつくり、外に出さないように頑張られた。津波は4階にいても、膝まで水が来るほどだったという。幸い、ここにおられた方は全員助かっている。

しかし向いにあった公立志津川病院では多くの方が津波に巻き込まれ、その流されて行く様子を、高野会館の人たちは、なすすべも無く見ているしかなかったそうだ・・・。

次の目的地へ向かう風景は、盛り土の山、また山。台形の山の間を走るバス。

次は有名な「防災対策庁舎跡」。赤い鉄骨だけが残る、悲しい場所だ。到着すると、ここでは希望者だけがバスを降りて、献花台まで歩くことになっている。

そんなつらく悲しい場所に行く途中、こんなにかわいい魚介類のマンホールがあった。

周囲は、雑草の茂る荒れ地か盛り土かの、どちらか。

あの見上げる3階建てを津波が飲み込むなんて。建物の鉄筋だけを残すほどに、津波がコンクリートを破壊してしまうなんて。その存在感に圧倒されてしまい、とても写真は撮れないので、ウィキより拝借↓
南三陸防災庁舎

しっかりと手を合わせて、失われた数々の命を思う。とともに「自然」の巨大な力もまた、見せつけられる。

この美しい青空をバックに風にそよぐススキたちもまた、同じ「自然」なのだ。

バスに戻ると、ガイドさんが「女性職員が最後までアナウンスを流し続けた、と思っておられる方もいらっしゃると思いますが、実は彼女の上司が、途中でアナウンスを替わっていたのです。証拠として声のデータも残っていました。アナウンスの途中で、ぶっつりと声が途絶えてしまっていました」と。

やはり、なかなか関西までは届いて来ない情報もあるのだ。いや、私が知らないだけなのかもしれないが。

以上でバスツアーは終了。以下はガイドさんの最後の挨拶。
「こんな赤土だらけの場所に、わざわざ来てくださり、泊まってくださり、バスツアーにも参加くださって、ありがとうございます。来年には今の仮設の商店街が、ちゃんとした商店街になります。どうかまた再び、南三陸を見に来てください。どれくらい復興が進んだか、どう変ったかを、ぜひまた見に来てください。それがなによりの復興支援だと思いますから」

一旦はホテルまで戻り、今度は送迎のシャトルバスとして、バスに乗り込む。

スタッフの方々のお見送り。なんか晴れがましい。

「現地で体験者から直に話を聴く」。いつか必ずそれを体験しなければ!と思い続けていたが、この圧倒的なリアルの実感は予想以上だった。凡庸ないい方だが、まさに「百聞は一見にしかず」。東北旅の主要な目的地のひとつを後にする。
*おまけ「震災から5年」 by「南三陸ホテル観洋」
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ここは行政が避難場所に定めた「安全なはず」の場所だったが、津波がおしよせた場所である。海から回り込んだ海水が、山手からも押し寄せたらしい。校舎の反対側にはコンテナのような仮設住宅が、ぎっしりと並んでいる。校舎の時計は、津波が来た時間のまま止まっていた。屋根は震災後、新しく作られたもの。

2柱の石柱は、海をみつめるモアイ像。

赤土の台形盛り土が延々とつづく。道路を行き交うのは、ほとんどが工事に関わっている大型トラックだ。
次の目的地「高野会館」に到着する。バスの中でガイドさんの説明を聞く。
「南三陸ホテル観洋」の系列だった「高野会館」は、結婚式や会議やセミナーなど、幅広く使われた施設だった。地震が起きたときには、南三陸高齢者芸能大会が開催されており、閉会間際だったらしい。

大パニックになる参加者を、「死にたくなければ、ここから出るな!」とスタッフさんたちが人の鎖をつくり、外に出さないように頑張られた。津波は4階にいても、膝まで水が来るほどだったという。幸い、ここにおられた方は全員助かっている。

しかし向いにあった公立志津川病院では多くの方が津波に巻き込まれ、その流されて行く様子を、高野会館の人たちは、なすすべも無く見ているしかなかったそうだ・・・。

次の目的地へ向かう風景は、盛り土の山、また山。台形の山の間を走るバス。

次は有名な「防災対策庁舎跡」。赤い鉄骨だけが残る、悲しい場所だ。到着すると、ここでは希望者だけがバスを降りて、献花台まで歩くことになっている。

そんなつらく悲しい場所に行く途中、こんなにかわいい魚介類のマンホールがあった。

周囲は、雑草の茂る荒れ地か盛り土かの、どちらか。

あの見上げる3階建てを津波が飲み込むなんて。建物の鉄筋だけを残すほどに、津波がコンクリートを破壊してしまうなんて。その存在感に圧倒されてしまい、とても写真は撮れないので、ウィキより拝借↓
南三陸防災庁舎

しっかりと手を合わせて、失われた数々の命を思う。とともに「自然」の巨大な力もまた、見せつけられる。

この美しい青空をバックに風にそよぐススキたちもまた、同じ「自然」なのだ。

バスに戻ると、ガイドさんが「女性職員が最後までアナウンスを流し続けた、と思っておられる方もいらっしゃると思いますが、実は彼女の上司が、途中でアナウンスを替わっていたのです。証拠として声のデータも残っていました。アナウンスの途中で、ぶっつりと声が途絶えてしまっていました」と。

やはり、なかなか関西までは届いて来ない情報もあるのだ。いや、私が知らないだけなのかもしれないが。

以上でバスツアーは終了。以下はガイドさんの最後の挨拶。
「こんな赤土だらけの場所に、わざわざ来てくださり、泊まってくださり、バスツアーにも参加くださって、ありがとうございます。来年には今の仮設の商店街が、ちゃんとした商店街になります。どうかまた再び、南三陸を見に来てください。どれくらい復興が進んだか、どう変ったかを、ぜひまた見に来てください。それがなによりの復興支援だと思いますから」

一旦はホテルまで戻り、今度は送迎のシャトルバスとして、バスに乗り込む。

スタッフの方々のお見送り。なんか晴れがましい。

「現地で体験者から直に話を聴く」。いつか必ずそれを体験しなければ!と思い続けていたが、この圧倒的なリアルの実感は予想以上だった。凡庸ないい方だが、まさに「百聞は一見にしかず」。東北旅の主要な目的地のひとつを後にする。
*おまけ「震災から5年」 by「南三陸ホテル観洋」

2016/10/22
語り部バス その1 おでかけ
美しい海の風景だと思ったけど、向こう岸は盛り土だらけの工事中だった。うかつ。

ホテルの大型観光バス仕様の、語り部バス出発。8時45分発で、1時間ばかりのバスツアーだ。ウキウキバスツアーではないので、気持ちに気合いを入れる。
コースは、戸倉地区 → 高野会館前 → 防災庁舎。2012年からスタートし、現在まで個人・団体を合わせ、約30万人以上の方々が利用されたとか。
この日は1台だったが、休日や夏休みには3〜6台の大型バスが連なる事もあるそうだ。
震災を思い出すものは見たくない、という現地のひとたちの切実な感情もあるだろうけれど、震災遺構ともいうべき建物(の残骸)のインパクトは、やはり圧倒的だ。距離的にだけではなく、関西では馴染みの薄い東北の地に思いを寄せるよすがにもなりえるのではないだろうか。
建物の屋上にいてさえ、津波に流される。避難所に避難していてもキケンで、むしろ寒くても、野外でも山に登っていく方が安全。その場、そのときの判断の重さが、ずっしりと伝わって来る。
そしてやはり体験者の言葉は、千金の重みがある。もう数えきれないほどに、同じ話をされているはずなのに、言葉に詰まったり途切れたりする様子に、胸が痛むのを禁じ得ない。いや、その語りそのものに込められた思いの深いこと!
戸倉小学校の話からスタート。海から210メートルという距離の学校なので、日頃から「津波が来る日」を現実的に考えていて、避難訓練なども頻繁にされていた。震災の年には、他所の土地からこられた校長先生が、津波についてもよく調べられ、屋上に避難するのがベストと判断されていた。しかし、地元の先生がひとり高台に逃げることに固執されていたので、震災2日前の避難訓練でも、最終的な決定はなされていなかったそうだ。
震災当日、校長先生は自分の意見を曲げ、高台に逃げることを即決された。おかげで、子どもたちは全員の命が守られたそうだ。津波は学校の屋上を越えていたので、面子を重視し自己主張を通す先生だったら・・・と考えるとぞっとする。山に逃げてからも大変な一夜をすごされたが、8月に行われた卒業式は、すこぶる感動的なものだったらしい。
現在は、山の上に新しい戸倉小学校ができている。当時1年生だった子どもたちが3ヶ月だけだが、そこで最後の小学校生活を送り、卒業していったそうだ。
翻って海から5キロ離れている大川小学校では、74名全員の子どもたちの命が失われてしまった。近々裁判の判決が降りるのですが、どんな判決が出ても、苦く悲しい思いは変りません、とおっしゃるガイドさんの言葉の重みをひしひしと感じた。
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ホテルの大型観光バス仕様の、語り部バス出発。8時45分発で、1時間ばかりのバスツアーだ。ウキウキバスツアーではないので、気持ちに気合いを入れる。
コースは、戸倉地区 → 高野会館前 → 防災庁舎。2012年からスタートし、現在まで個人・団体を合わせ、約30万人以上の方々が利用されたとか。
この日は1台だったが、休日や夏休みには3〜6台の大型バスが連なる事もあるそうだ。
震災を思い出すものは見たくない、という現地のひとたちの切実な感情もあるだろうけれど、震災遺構ともいうべき建物(の残骸)のインパクトは、やはり圧倒的だ。距離的にだけではなく、関西では馴染みの薄い東北の地に思いを寄せるよすがにもなりえるのではないだろうか。
建物の屋上にいてさえ、津波に流される。避難所に避難していてもキケンで、むしろ寒くても、野外でも山に登っていく方が安全。その場、そのときの判断の重さが、ずっしりと伝わって来る。
そしてやはり体験者の言葉は、千金の重みがある。もう数えきれないほどに、同じ話をされているはずなのに、言葉に詰まったり途切れたりする様子に、胸が痛むのを禁じ得ない。いや、その語りそのものに込められた思いの深いこと!
戸倉小学校の話からスタート。海から210メートルという距離の学校なので、日頃から「津波が来る日」を現実的に考えていて、避難訓練なども頻繁にされていた。震災の年には、他所の土地からこられた校長先生が、津波についてもよく調べられ、屋上に避難するのがベストと判断されていた。しかし、地元の先生がひとり高台に逃げることに固執されていたので、震災2日前の避難訓練でも、最終的な決定はなされていなかったそうだ。
震災当日、校長先生は自分の意見を曲げ、高台に逃げることを即決された。おかげで、子どもたちは全員の命が守られたそうだ。津波は学校の屋上を越えていたので、面子を重視し自己主張を通す先生だったら・・・と考えるとぞっとする。山に逃げてからも大変な一夜をすごされたが、8月に行われた卒業式は、すこぶる感動的なものだったらしい。
現在は、山の上に新しい戸倉小学校ができている。当時1年生だった子どもたちが3ヶ月だけだが、そこで最後の小学校生活を送り、卒業していったそうだ。
翻って海から5キロ離れている大川小学校では、74名全員の子どもたちの命が失われてしまった。近々裁判の判決が降りるのですが、どんな判決が出ても、苦く悲しい思いは変りません、とおっしゃるガイドさんの言葉の重みをひしひしと感じた。

2016/10/21
5時起きして朝風呂。 おでかけ
昨日は早起きしたが、この日も早起き。露天風呂から5時40分頃の日の出を見るために、5時すぎに目覚ましをかけていたのだ。旅行に出たら睡眠不足は解消すると思っていたのに、普段よりよほど早起きじゃないか!

露天風呂にいくと、すでに数人の女性(ここに男性がいたら困る!)が岩に腕をかけて、ずらりと「出待ち」状態だった。カメラを持ち込んでいるツワモノもいらっしゃった。

私は逆に露天風呂の奥でゆったりと、隙間から眺める事にする。明け染め始めたのを見届けてから、急いでフロアに戻り写真を撮る。

ということで、日の出はオーシャンビューのフロアから。

これで今年の初日の出を見そびれたリベンジは果たした(ずいぶん昔の話だ)。

今日もいいお天気だ。

ウミネコたちも、ご機嫌うるわしいご様子。


バイキングなので、たっぷり朝ご飯をたべ、忘れ物のないよう入念に3度部屋をチェックする。

チェックアウトしてから、語り部バスの発車時刻まで売店を流す。昨夕、晩ご飯の前にじっくりと売店をチェックし、お土産の購入と発送を済ませていたので、もはや見直しのみ。

狙った訳では無く、たまたまだったが、この日は震災から5年7ヶ月目にあたり、ローカル放送では、最初に必ず「今日は震災から5年7ヶ月」という言葉から始まっていた。

月命日になると今も遺体捜索をされるそうだけれど、「なんといっても5年もたちますから、見つかったという話はずいぶん前から聞かなくなりました」というツアーガイドのおじさんの話を後に聴き、胸がつまった。

そして災害に太刀打ちできるのは、瞬時の個人での臨機応変な判断と先人の知恵の継承で、やはり日常的な備えと訓練しかないとのこと。「自分の命は(誰かに守ってもらうのではなく)自分で守る」というのが基本的な考えなのだ。
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露天風呂にいくと、すでに数人の女性(ここに男性がいたら困る!)が岩に腕をかけて、ずらりと「出待ち」状態だった。カメラを持ち込んでいるツワモノもいらっしゃった。

私は逆に露天風呂の奥でゆったりと、隙間から眺める事にする。明け染め始めたのを見届けてから、急いでフロアに戻り写真を撮る。

ということで、日の出はオーシャンビューのフロアから。

これで今年の初日の出を見そびれたリベンジは果たした(ずいぶん昔の話だ)。

今日もいいお天気だ。

ウミネコたちも、ご機嫌うるわしいご様子。


バイキングなので、たっぷり朝ご飯をたべ、忘れ物のないよう入念に3度部屋をチェックする。

チェックアウトしてから、語り部バスの発車時刻まで売店を流す。昨夕、晩ご飯の前にじっくりと売店をチェックし、お土産の購入と発送を済ませていたので、もはや見直しのみ。

狙った訳では無く、たまたまだったが、この日は震災から5年7ヶ月目にあたり、ローカル放送では、最初に必ず「今日は震災から5年7ヶ月」という言葉から始まっていた。

月命日になると今も遺体捜索をされるそうだけれど、「なんといっても5年もたちますから、見つかったという話はずいぶん前から聞かなくなりました」というツアーガイドのおじさんの話を後に聴き、胸がつまった。

そして災害に太刀打ちできるのは、瞬時の個人での臨機応変な判断と先人の知恵の継承で、やはり日常的な備えと訓練しかないとのこと。「自分の命は(誰かに守ってもらうのではなく)自分で守る」というのが基本的な考えなのだ。


2016/10/20
珈琲神社 その2 お店・喫茶店
再度、部屋に目を戻すと、奥にぎっしりと本が詰まった本棚があったので、職業柄つい見に行ってしまうのだった。

!? この棚のほとんどが珈琲に関する本だった!! 喫茶店、店舗、経営、珈琲そのものについても、もちろん。別の場所には雑誌「カフェ&レストラン」のBNも、どっさり山積みされていたので、珈琲へののめり込み方はただならないものがある。
セルフビルドの本もあったから、もしかするとご自分で作られた家屋かもしれない。コーヒーカップがずらっと壁面に並んでいたりもしたので、食器から手づくりされている可能性も否定できない。
一部、花森安治さんの本など背骨をただすような本たちに混じって、ちょっと色っぽい本(エロ本にあらず・笑)も少し。ああ〜、いいバランスだ。ほどよい自然派、楽しむ自給自足派、こだわりはものすごいけど、決して人には押し付けない、どころか逆手にとって「まずい珈琲」とうそぶいているという、鋭いバランス感覚がみてとれる。すごいな、マスター。もちろん、珈琲はまずいわけがない。
ここで珈琲だけではもったいなく、さりとてゴハンを食べると帰り道が暗くなってしまうので、ミニ(メニューには「おためし」と書かれていた)ソフトクリームを注文する。ちなみに250円だ。
ソフトクリームを運んでくださったマスターが、トッピングのいちじくを指して、「すみません、ほとんどカラスにやられちゃって、ちいさいんですが・・・」。
一口食べて、比喩でなくリアルにのけぞった。「なんじゃこりゃ〜!!?」と叫ぶジーパン刑事こと松田優作のように、心で絶叫する。

美味し過ぎる!!! 信じがたい美味しさだ! ひとくち食べるごとに、身体反応としてのけぞってしまう。 おお、神よ!と反射的に思ってしまうのは、やはり「珈琲神社」だからなのか。ソフトクリームは勿論だが、その底に潜んでいた桃やバナナなどのフルーツも、ひんやり、なんともほんのりした甘さで、歯ごたえも心地よかった。

そろそろ暮れなずんで来たデッキに再び目をやると、不思議なモノが。
釣り竿? アワビの貝殻がぶら下がっている。

マスターに「あれは、なんのおまじないですか?」と聴くと、ちょっと困ったようなシャイな笑顔で、「ああ、あれはですねえ・・・日の出ているうちには決して口にできないオマジナイです」。
・・・負けました(汗)
「とっても美味しかったです」とお勘定をすると、「そんなこと(おいしい)をいうと百円増しになりますよ〜」と、相変わらずのポーカーフェイスだ。入って来たとき同様、戸口にいる小型犬にけたたましく吠えられながら、大満足で店を出る。マスターがいうには、「まだ帰っちゃダメ」と吠えているらしい。

ああっ、遅ればせながら気づいたが、薪も自給自足だったのか! あのマスターなら、さもありなん。

「景色はおいしいコーヒー屋」。やっと看板に偽りなしの言葉が(笑)

日が暮れて寂しげになった、もと来た道を帰る。

道端には、野の花と林。

「魚付き」なんていうのは、初めて見た。

ホテルに戻ると、薄紅に変わっていく海の景色に間に合った。

せっかくの素泊まりだから、できればあの喫茶店で、タコのピザとか食べてみたかったなあ。

その夜は、ホテルのレストランで静かにお刺身定食を食べ、大浴場と露天風呂で、夜の海を眺めたのでした。露天風呂、たぶん20年ぶりくらいだ。

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!? この棚のほとんどが珈琲に関する本だった!! 喫茶店、店舗、経営、珈琲そのものについても、もちろん。別の場所には雑誌「カフェ&レストラン」のBNも、どっさり山積みされていたので、珈琲へののめり込み方はただならないものがある。
セルフビルドの本もあったから、もしかするとご自分で作られた家屋かもしれない。コーヒーカップがずらっと壁面に並んでいたりもしたので、食器から手づくりされている可能性も否定できない。
一部、花森安治さんの本など背骨をただすような本たちに混じって、ちょっと色っぽい本(エロ本にあらず・笑)も少し。ああ〜、いいバランスだ。ほどよい自然派、楽しむ自給自足派、こだわりはものすごいけど、決して人には押し付けない、どころか逆手にとって「まずい珈琲」とうそぶいているという、鋭いバランス感覚がみてとれる。すごいな、マスター。もちろん、珈琲はまずいわけがない。
ここで珈琲だけではもったいなく、さりとてゴハンを食べると帰り道が暗くなってしまうので、ミニ(メニューには「おためし」と書かれていた)ソフトクリームを注文する。ちなみに250円だ。
ソフトクリームを運んでくださったマスターが、トッピングのいちじくを指して、「すみません、ほとんどカラスにやられちゃって、ちいさいんですが・・・」。
一口食べて、比喩でなくリアルにのけぞった。「なんじゃこりゃ〜!!?」と叫ぶジーパン刑事こと松田優作のように、心で絶叫する。

美味し過ぎる!!! 信じがたい美味しさだ! ひとくち食べるごとに、身体反応としてのけぞってしまう。 おお、神よ!と反射的に思ってしまうのは、やはり「珈琲神社」だからなのか。ソフトクリームは勿論だが、その底に潜んでいた桃やバナナなどのフルーツも、ひんやり、なんともほんのりした甘さで、歯ごたえも心地よかった。

そろそろ暮れなずんで来たデッキに再び目をやると、不思議なモノが。
釣り竿? アワビの貝殻がぶら下がっている。

マスターに「あれは、なんのおまじないですか?」と聴くと、ちょっと困ったようなシャイな笑顔で、「ああ、あれはですねえ・・・日の出ているうちには決して口にできないオマジナイです」。
・・・負けました(汗)
「とっても美味しかったです」とお勘定をすると、「そんなこと(おいしい)をいうと百円増しになりますよ〜」と、相変わらずのポーカーフェイスだ。入って来たとき同様、戸口にいる小型犬にけたたましく吠えられながら、大満足で店を出る。マスターがいうには、「まだ帰っちゃダメ」と吠えているらしい。

ああっ、遅ればせながら気づいたが、薪も自給自足だったのか! あのマスターなら、さもありなん。

「景色はおいしいコーヒー屋」。やっと看板に偽りなしの言葉が(笑)

日が暮れて寂しげになった、もと来た道を帰る。

道端には、野の花と林。

「魚付き」なんていうのは、初めて見た。

ホテルに戻ると、薄紅に変わっていく海の景色に間に合った。

せっかくの素泊まりだから、できればあの喫茶店で、タコのピザとか食べてみたかったなあ。

その夜は、ホテルのレストランで静かにお刺身定食を食べ、大浴場と露天風呂で、夜の海を眺めたのでした。露天風呂、たぶん20年ぶりくらいだ。


2016/10/19
珈琲神社 その1 お店・喫茶店
さて、午後3時半という中途半端な時間に到着して、ウミネコや松島近くの太平洋を眺める以外に、私がしたことは。
さかのぼる事2ヶ月前、8月にネットで南三陸のホテルの近場に、徒歩圏内で行ける場所がないか検索していた。すると少数のブログで、とある喫茶店についてアツく語っているのを読んだ。
いはく、その喫茶店の近くには「まずい珈琲」、「やばい珈琲」という看板がでていること。
いはく、なのに珈琲はサイコーに美味しく、タコのピザやパスタも絶賛を惜しまないほどの旨さだということ。
いはく。非常にとぼけたマスターで、冗談を連発すること。
また、震災ボランティアさんのブログでは、その喫茶店も相当被害が出ていそうなのに、支援物資を届けに行ったら、「うちより困っている人のところに回してあげてください」と言われたとか。心打たれたボランティアさんが、そのずいぶん後に、再び客として喫茶店に立ち寄ったら、すべてがたいへんに美味しく感動して、「南三陸に来たら、絶対ここに来るべき!」と全力で押されていた。
その喫茶店は正式には「珈琲神社」、略式には「珈琲G」と記載されていた。
ああ〜、気になる! 私の嗅覚が「ここはマスト!」と囁き続ける。
しかし!
ネットで調べて見ると「月曜定休」らしいじゃないか。がっかり!!
って、それ調べてから宿をとれよ!
いやいや、それでも外観の写真だけでも・・・とホテルを出たのだった。それにバスの窓から一瞬通りかかったお店を見たら、灯りがついていたようにも見えたので、「もしかすると・・・」という期待もあったのだ。
とにもかくにも。ホテルを出て、右に山際、左に海という風景を見つつ、歩き出す。すると、ありましたよ! 例のひとをくった看板が。

しかも、字体がホラー。

このしつこさ!

うんうん、ウワサ通りの看板が♡

おお、薪が山積み! ということは、石窯ピザなのかも。チープなつくりの建物も、妙にお洒落だ。
とりあえず珈琲を注文する。

南三陸のマスコット、モアイを象ったビスケットがおまけに付いて来た♪

もしかするとお皿も手づくりかも?

そもそもテーブルからして手づくりっぽい??

ちょうどいい雑然感が、やたら居心地のいい場所なのだった。完璧にオシャレな、とか一分の隙もないグッドセンスなカフェは、ちょっと苦手だったりする私には丁度いい。
観葉植物の向こうの赤いぐたっとしたヌイグルミは、タコで〜す。上方にある四角い棚は神棚?で、「珈琲神社」という「お札」??が中央に鎮座ましましていた。う〜ん、ジョークの境界がわからん!

窓の景色は絶景。海に面したテラス席もある。

ハンモックまで!?
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さかのぼる事2ヶ月前、8月にネットで南三陸のホテルの近場に、徒歩圏内で行ける場所がないか検索していた。すると少数のブログで、とある喫茶店についてアツく語っているのを読んだ。
いはく、その喫茶店の近くには「まずい珈琲」、「やばい珈琲」という看板がでていること。
いはく、なのに珈琲はサイコーに美味しく、タコのピザやパスタも絶賛を惜しまないほどの旨さだということ。
いはく。非常にとぼけたマスターで、冗談を連発すること。
また、震災ボランティアさんのブログでは、その喫茶店も相当被害が出ていそうなのに、支援物資を届けに行ったら、「うちより困っている人のところに回してあげてください」と言われたとか。心打たれたボランティアさんが、そのずいぶん後に、再び客として喫茶店に立ち寄ったら、すべてがたいへんに美味しく感動して、「南三陸に来たら、絶対ここに来るべき!」と全力で押されていた。
その喫茶店は正式には「珈琲神社」、略式には「珈琲G」と記載されていた。
ああ〜、気になる! 私の嗅覚が「ここはマスト!」と囁き続ける。
しかし!
ネットで調べて見ると「月曜定休」らしいじゃないか。がっかり!!
って、それ調べてから宿をとれよ!
いやいや、それでも外観の写真だけでも・・・とホテルを出たのだった。それにバスの窓から一瞬通りかかったお店を見たら、灯りがついていたようにも見えたので、「もしかすると・・・」という期待もあったのだ。
とにもかくにも。ホテルを出て、右に山際、左に海という風景を見つつ、歩き出す。すると、ありましたよ! 例のひとをくった看板が。

しかも、字体がホラー。

このしつこさ!

うんうん、ウワサ通りの看板が♡

おお、薪が山積み! ということは、石窯ピザなのかも。チープなつくりの建物も、妙にお洒落だ。
とりあえず珈琲を注文する。

南三陸のマスコット、モアイを象ったビスケットがおまけに付いて来た♪

もしかするとお皿も手づくりかも?

そもそもテーブルからして手づくりっぽい??

ちょうどいい雑然感が、やたら居心地のいい場所なのだった。完璧にオシャレな、とか一分の隙もないグッドセンスなカフェは、ちょっと苦手だったりする私には丁度いい。
観葉植物の向こうの赤いぐたっとしたヌイグルミは、タコで〜す。上方にある四角い棚は神棚?で、「珈琲神社」という「お札」??が中央に鎮座ましましていた。う〜ん、ジョークの境界がわからん!

窓の景色は絶景。海に面したテラス席もある。

ハンモックまで!?

2016/10/18
南三陸へ! おでかけ
駅前にホテルのシャトルバスが待機しているので、10分前にいそいそと乗り込んだら、なんと私が1番乗りだった! もしかして、シャトルバスに乗ってくる客は少ないのか? だって車でないと、ほど近い(車なら!)観光地である気仙沼や石巻へ出るのが大変だもんね。私も気仙沼や石巻には、行ってみたかったなあ。でも最終的には、10人くらいは乗車したかも。
実は公共交通機関を使って気仙沼を経由しつつ、遠野まで行ってみるという案もあったのだけど、そうするとその日は、乗り物に乗るだけで終わっちゃうということが判明し、泣く泣くあきらめたのだった。
バスが発車して、ほどなく田園地帯へ。新幹線の中からも見たのだが、東北の稲のハサ掛けの方法が初めて見るもので、とても興味深い。まるで簑を着た人のようだ。

梨園もたくさんあり、祝日だったので賑わっていた。

お月見は済んだが、ススキのシーズンでもあった。

几帳面に稲が干されている。




ときどき黄色い道路標識にタヌキのシルエットが描かれた「たぬきに注意!」という標識を見かけた。かわいい標識なのだ。

PAでトイレ休憩。


こんな感じの場所だ。東日本大震災で、甚大な被害を受けたところ↓

当時、逆流した北上川。

海近くのホテルなのだが、あとわずかで到着というのに、周りは田んぼや山ばかりだったのが不思議。

到着直前に、やっと海がみえた。

15時半に到着。

南三陸はチリ地震があったチリとのつながりで、モアイ像があちこちにあった。ホテルの玄関先でも、木彫りのモアイがお出迎え。実は入口やフロントが4階か5階だった、不思議なホテル。
実はここは、東日本大震災時に6ヶ月に渡り、600人の地元住民の避難生活を支え続けたホテル。現在に至るまで、地元を応援しつづけているだけでなく、震災の記憶を伝えるべく「語り部バス」を毎日運行しているのだ。

チェックインして、大きな窓から海を見る。

ウミネコさんたちが飛び交っていた。


窓を開けてカッパエビセンをあげるお客さんも。
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実は公共交通機関を使って気仙沼を経由しつつ、遠野まで行ってみるという案もあったのだけど、そうするとその日は、乗り物に乗るだけで終わっちゃうということが判明し、泣く泣くあきらめたのだった。
バスが発車して、ほどなく田園地帯へ。新幹線の中からも見たのだが、東北の稲のハサ掛けの方法が初めて見るもので、とても興味深い。まるで簑を着た人のようだ。

梨園もたくさんあり、祝日だったので賑わっていた。

お月見は済んだが、ススキのシーズンでもあった。

几帳面に稲が干されている。




ときどき黄色い道路標識にタヌキのシルエットが描かれた「たぬきに注意!」という標識を見かけた。かわいい標識なのだ。

PAでトイレ休憩。


こんな感じの場所だ。東日本大震災で、甚大な被害を受けたところ↓

当時、逆流した北上川。

海近くのホテルなのだが、あとわずかで到着というのに、周りは田んぼや山ばかりだったのが不思議。

到着直前に、やっと海がみえた。

15時半に到着。

南三陸はチリ地震があったチリとのつながりで、モアイ像があちこちにあった。ホテルの玄関先でも、木彫りのモアイがお出迎え。実は入口やフロントが4階か5階だった、不思議なホテル。
実はここは、東日本大震災時に6ヶ月に渡り、600人の地元住民の避難生活を支え続けたホテル。現在に至るまで、地元を応援しつづけているだけでなく、震災の記憶を伝えるべく「語り部バス」を毎日運行しているのだ。

チェックインして、大きな窓から海を見る。

ウミネコさんたちが飛び交っていた。


窓を開けてカッパエビセンをあげるお客さんも。


2016/10/17
ついに東北へ。 おでかけ
もよりの駅までH氏に送ってもらい、大荷物を持って駅のエレベーターに乗る。駅前は長期工事中で、いつもここで会う、顔なじみの、車を誘導する係のおじさんが、事前にエレベーターのボタンを押してくれたおかげで、スムーズに乗る事ができた。おじさんは私の尋常ではない荷物を見て、「どちらに旅行ですか?」と聞いたので、「東北です」と答えた。実はそういう関係の2人なのである。

こんなに長距離の乗車券を買ったのは初めてなので、記念写真を撮る。あまりの長距離で、ムダに緊張していた。頭の中が、洗濯機を回しているようにグルグルしている。それでも米原で、スムーズに新幹線に乗り換えられた。新幹線に乗ったら、東京まではこっちのもんだ。自由席券で座れたので(ほぼ座れる)、急に強気になるのである。

秋の青空がみえた名古屋をとおりすぎ、ウキウキしながら富士山の写真を撮るスタンバイをしていた。

ところが見えたのは富士山の裾野だけで、上半身はすっぽりと雲に覆われていたのだった。まさに唱歌で「あーたまをくーもーの うーえにーだぁーしー♪」と歌っているのを、下界から見た感じ。写真は撮るだけムダである。東にむかうほど、どんどん曇って来ているではないか。風雲急を告げる、ということなのか? 胸騒ぎの予感を打ち消すように、静岡から熱海の間に、絵葉書を3枚書いた。
小田原あたりでは、ちょうど稲刈りの最中で、稲穂の垂れる田んぼと、刈り跡の新しい田んぼのパッチワーク模様だった。ちなみに近江では9月前後から稲刈りが始まるので、この時期には、ひこばえが青々としていたりする。昔は10月の頭くらいが稲刈りシーズンだったので、ちょっと懐かしい気持ちになる。
さて、東京が近づくにつれ、緊張が高まる。10分で「はやぶさ」に乗り換えなくてはならないのだ。10時10分東京駅着。
東北新幹線はオール指定席だが、私はオール自由席なのだ。指定席があいている場合は座ってもいいけれど、指定券を持っている客が来るまでの仮の席なのである。本来の客が来たら、いさぎよく席を立たなければならない。気の小さい私は、そんなソワソワした気持ちで席に座ってなんかいられない。
というのが秋田新幹線「こまち」のルールらしいのだが、「はやぶさ」にもそのルールが適応できるのか、実はよくわからない。エッセイストの宮田珠己氏が、「東北は闇(ミステリアスな、というほどの意味で、ほめ言葉に近いと思われる)が深い気がする」と書いてらしたが、東北の入口である東京駅からの「はやぶさ」で、すでに「東北の闇」に呑まれてしまったのであった。
闇に呑まれながらも意外にスムーズに乗り換えられたので、開かない方のドアの近くにキャリーバッグを置き、それに座るということで対処。実は「あんなものは階段にも不自由だし、邪魔」と、けっこう今までキャリーバッグを邪険にみていたのだ。が、今回初めて娘のを借りたのだけど、キャリーバッグ、使えるじゃないか! とすっかり情を移してしまった。いやいや、ほんとにお世話になりました。
しかし「はやぶさ」っていうだけあって早い。人間の乗るものじゃないみたいに早い。ちょっと怖いくらい早いのだ。しかも、トイレに入ってびっくりした。トイレの蓋が自動で開くのだ。トイレじゃないみたいにきれいだった。そう、「化粧室」と言い換えた方がいいのかもしれない。「レストルーム」というのに相応しいような、きれいで最新式のトイレだった。
ところが車窓の風景は一転、レトロなものを見てしまった。東北に入る前の宇都宮で遠くの方に、一瞬、アドバルーンを発見したのだ。
アドバルーン!
子どもの頃に、都会の象徴みたいに思っていたのが、ティーンの仲間入りをした頃には、地元でも目にするようになった巨大広告風船。怪人二十面相が逃げ足の道具のひとつとして使ったのも印象的だった。そういえば彼は「空から逃げる」のを得意としていたもんな。
80年代からはめっきり目にする事もなくなったのに、久しぶりに目にして、怒濤の様に70年代の記憶が甦る。懐かしすぎるぞ、アドバルーン。

アドバルーンに思いを馳せているうちに、どんどん田園地帯へと。

福島が近づくにつれて、ふたたび青空が広がってくる。

1時間半ほどをかけて、東京から仙台に到着。

駅中で「ままどおる」を購入。旅の非常食とする。仙台や宮城ではなく、福島の銘菓。


シャトルバスの出発時間まで1時間半あるので、駅前をうろうろ。しかし緊張のあまり、残念ながら牛タンの食欲ではなかったので、駅前の回転寿司にする。量を調節できるので、今回の旅には、回転寿司のお世話になること多し。ただし、味はそこそこだったかな。

実は風景印を求めて郵便局を探したのだが、さんざん歩いたあげく見つけ出したら、クローズしていたので愕然。

そうなんだ、今日は祝日だったんだ! ということに、遅ればせながら気づく(汗) まあでも、いい天気だしね(と誤摩化す)。
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こんなに長距離の乗車券を買ったのは初めてなので、記念写真を撮る。あまりの長距離で、ムダに緊張していた。頭の中が、洗濯機を回しているようにグルグルしている。それでも米原で、スムーズに新幹線に乗り換えられた。新幹線に乗ったら、東京まではこっちのもんだ。自由席券で座れたので(ほぼ座れる)、急に強気になるのである。

秋の青空がみえた名古屋をとおりすぎ、ウキウキしながら富士山の写真を撮るスタンバイをしていた。

ところが見えたのは富士山の裾野だけで、上半身はすっぽりと雲に覆われていたのだった。まさに唱歌で「あーたまをくーもーの うーえにーだぁーしー♪」と歌っているのを、下界から見た感じ。写真は撮るだけムダである。東にむかうほど、どんどん曇って来ているではないか。風雲急を告げる、ということなのか? 胸騒ぎの予感を打ち消すように、静岡から熱海の間に、絵葉書を3枚書いた。
小田原あたりでは、ちょうど稲刈りの最中で、稲穂の垂れる田んぼと、刈り跡の新しい田んぼのパッチワーク模様だった。ちなみに近江では9月前後から稲刈りが始まるので、この時期には、ひこばえが青々としていたりする。昔は10月の頭くらいが稲刈りシーズンだったので、ちょっと懐かしい気持ちになる。
さて、東京が近づくにつれ、緊張が高まる。10分で「はやぶさ」に乗り換えなくてはならないのだ。10時10分東京駅着。
東北新幹線はオール指定席だが、私はオール自由席なのだ。指定席があいている場合は座ってもいいけれど、指定券を持っている客が来るまでの仮の席なのである。本来の客が来たら、いさぎよく席を立たなければならない。気の小さい私は、そんなソワソワした気持ちで席に座ってなんかいられない。
というのが秋田新幹線「こまち」のルールらしいのだが、「はやぶさ」にもそのルールが適応できるのか、実はよくわからない。エッセイストの宮田珠己氏が、「東北は闇(ミステリアスな、というほどの意味で、ほめ言葉に近いと思われる)が深い気がする」と書いてらしたが、東北の入口である東京駅からの「はやぶさ」で、すでに「東北の闇」に呑まれてしまったのであった。
闇に呑まれながらも意外にスムーズに乗り換えられたので、開かない方のドアの近くにキャリーバッグを置き、それに座るということで対処。実は「あんなものは階段にも不自由だし、邪魔」と、けっこう今までキャリーバッグを邪険にみていたのだ。が、今回初めて娘のを借りたのだけど、キャリーバッグ、使えるじゃないか! とすっかり情を移してしまった。いやいや、ほんとにお世話になりました。
しかし「はやぶさ」っていうだけあって早い。人間の乗るものじゃないみたいに早い。ちょっと怖いくらい早いのだ。しかも、トイレに入ってびっくりした。トイレの蓋が自動で開くのだ。トイレじゃないみたいにきれいだった。そう、「化粧室」と言い換えた方がいいのかもしれない。「レストルーム」というのに相応しいような、きれいで最新式のトイレだった。
ところが車窓の風景は一転、レトロなものを見てしまった。東北に入る前の宇都宮で遠くの方に、一瞬、アドバルーンを発見したのだ。
アドバルーン!
子どもの頃に、都会の象徴みたいに思っていたのが、ティーンの仲間入りをした頃には、地元でも目にするようになった巨大広告風船。怪人二十面相が逃げ足の道具のひとつとして使ったのも印象的だった。そういえば彼は「空から逃げる」のを得意としていたもんな。
80年代からはめっきり目にする事もなくなったのに、久しぶりに目にして、怒濤の様に70年代の記憶が甦る。懐かしすぎるぞ、アドバルーン。

アドバルーンに思いを馳せているうちに、どんどん田園地帯へと。

福島が近づくにつれて、ふたたび青空が広がってくる。

1時間半ほどをかけて、東京から仙台に到着。

駅中で「ままどおる」を購入。旅の非常食とする。仙台や宮城ではなく、福島の銘菓。


シャトルバスの出発時間まで1時間半あるので、駅前をうろうろ。しかし緊張のあまり、残念ながら牛タンの食欲ではなかったので、駅前の回転寿司にする。量を調節できるので、今回の旅には、回転寿司のお世話になること多し。ただし、味はそこそこだったかな。

実は風景印を求めて郵便局を探したのだが、さんざん歩いたあげく見つけ出したら、クローズしていたので愕然。

そうなんだ、今日は祝日だったんだ! ということに、遅ればせながら気づく(汗) まあでも、いい天気だしね(と誤摩化す)。
