2016/1/24

「へんな女」  音楽

 ちょっと東京旅シリーズからはなれて。

 先週の話だけど、FMで水原弘の「へんな女」(←青字をクリックすると試聴できます)という歌謡曲を聴き、のけぞる。

 あんまり面白かったので、夫に「『へんな女』って歌謡曲知ってる?」とちょっと冒頭を歌ったら、思いがけず「水原弘がうたってた、こーゆーやつやろ?」と夫が1番の締めを歌った。

 「ええーっ!?なんで知ってるのー!?」
 「なんか知らんけど覚えてた。30年ぶりにこの歌聴いたわ〜」。

 「黒い花びら」だけではない、水原弘。

 そして ♪へんな歌知ってる、へんな男〜♪
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2015/12/7

第9を聴きに行く。  音楽

 10日ほど引き摺っている風邪が、あとちょっとというところで直りきらないまま、元同僚のMさんが出演される市民の合唱団と地域のアマチュア・オーケストラがコラボした第9を聴きに八日市のホールまで。チケットは購入済みで、場所もしっかりチェックして、珍しくおひとりさまの自家用車で。

 プロの指揮者やソロパートの声楽家を迎えての、市民手づくりの「第9」。考えてみれば久しぶりの生クラシックで、まさに「音楽に身を委ねる」心地よさを体感。それもまた、平和であることの賜物。つくづくと平和を祈り願わずにはいられない、素晴らしい公演だった。

 指揮者の方が最初に音楽についての説明をしてくださった。
「人間にはいろんな感情があり、それを第1楽章から第3楽章が表しています。でもそんな感情を乗り越えた、もっと大きな素晴らしい力が人間にはあります」 ちょっとしたことだけど、すごく効いた。

 市民の方手づくりの舞台とプロの方の公演とのおおきな違いは、この一回の一期一会に魂を込める熱量だ。そういうときは、舞台の上でもいろんな奇跡が起こったりしている(はずな)ので、たぶん1回やるとやめられないのかも。

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2014/12/28

「一週間」を思う。  音楽

ロシア民謡「一週間」は、こんな歌詞だ。

日曜日に 市場(いちば)へでかけ
糸と麻(あさ)を 買ってきた

月曜日に おふろをたいて
火曜日は おふろにはいり

水曜日に ともだちが来て
木曜日は 送っていった

金曜日は 糸まきもせず
土曜日は おしゃべりばかり

ともだちよ これが私の
一週間の 仕事です


 「これが私の 一週間の仕事です」って!?

 「おふろをたく」のはまだ赦すとして、「おふろにはいる」のが仕事なのか?主人公は女性らしいので、そういうお仕事ですか?と聞いてみたい。

 次に「友達がきて」一泊し、翌日「送っていった」とくるから、ますます怪しい。友達って誰ですか?と聞いてみたい。

 でも一番アヤシいのは、「金曜日は糸巻きもせず」のフレーズだ。「糸巻きもせず」何をしていたのかがプッツリ途切れている。目くらましである。よっぽどな事をしでかしているのに違いない。

 そして土曜日は一日中、なにをしゃべっていたのやら。怪しい。怪し過ぎる。この怪し過ぎる一週間の「お仕事」の合間には、

テュリャ テュリャ テュリャ
テュリャ テュリャ テュリャリャ
テュリャ テュリャ テュリャ
テュリャ リャ


 という謎のリフレインが入るのだ。この不思議なリフレインが、具体的な歌詞部分の怪しさをチャラにする煙幕になっている。

 なにか不都合なことをしでかしたら、

♪テュリャ テュリャ テュリャ
テュリャ テュリャ テュリャリャ
テュリャ テュリャ テュリャ
テュリャ リャ♪


 と歌ってみたらいい。もしかすると、不意の目くらましに翻弄され、不都合な事実は忘れてもらえるかもしれない。

 ☆年末の貴重な一日を、ついに掃除できずに終わってしまったので、

♪日曜日はお掃除もせず、スーパーと本屋に行って来た♪

 と悲しい替え歌を歌っているうちに、元の歌詞の不審さに気づき、年末の貴重な時間に記事を書いてみたのでした☆
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2014/9/10

脳内ビジョンは虫だらけ  音楽

 頭の中で、ふとメロディがリフレインすることがある。

 今日は、誰もが知っているディズニーの最新映画のサビの部分だ。

 ♪蟻アリのままの姿見せるのよ

  蟻アリのままの自分になるの♪

 もうええわ!と思うものの、脳内の蟻は一向に立ち去ろうとしない。

 こうなると、さまざまな蟻の生態が脳内ビジョンで現れてくる。最終的には、蟻の巣の断面図が見え、蟻酸の匂いまで微かに・・・。

 幻の蟻に悩まされた1日でした。
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2013/6/20

加川良!  音楽

 夕方、ラジオを聴いていたら、思いがけず加川良の歌が流れてきた。昔H氏に教えてもらった曲。バンジョーがケタケタ笑っているみたいな。

 いや、その前に、彼が彦根市出身だということを初めて知った。滋賀県、フォークソング界に貢献してるんだ。岡林信康、加川良の出身地だもんな。彼らが活躍していた70年代は、私はまだ10歳前後の子どもだったけど、ラジオからは彼らの歌がバンバン流れてたっけ。

 流れていたのは『教訓T』。反骨で、おちゃらけていて、どこ吹く風で、さらさらしてるところがいい。 ほとんど語りの『下宿屋』も好き。

 すっかり70年代の風が吹き渡っていた2013年6月20日の夜。付け加えるなら、今日の「あまちゃん」は、台本も演技も大感動だった。四半世紀の時を越えて和解する母娘。木曜日なのに、ドラマ前半のクライマックスだ。すごいな、「あまちゃん」。金曜と土曜は一体どうなるんやろな。
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2012/6/24

午後は広上DAY  音楽

ずいぶん久しぶりに、クラシックの生演奏を聞きに行った。何年ぶりかな、5年以上は聴いてないような。それも最後に聴いたのは、なんだかソロとオケがギクシャクしていてちょっとなあ・・・という残念なコンサートだったし。

 今回は、京都市交響楽団の演奏、広上淳一先生が指揮、ガレッジセールがナビゲーターというお子様ターゲットのコンサートだった。それにしては、中高年の割合多し。意外なほど、お子様連れはちらほらだ。
 私は始まる前の試し弾きや試し吹きから、久しぶりの楽器の生音に耳がよろこぶこと、よろこぶこと(笑)

 コンサート名は、『こどものためのオーケストラ入門 オーケストラ・ディスカバリー2012 「名曲のひ・み・つ」』。4回シリーズの第1回目で「作曲家に隠された真実」と題して、ホルスト、ラフマニノフ、ロッシーニ、モーツァルト、マーラーという作曲家の意外な真実を、京響常任指揮者・広上淳一さんの指揮による演奏とナビゲーター・ガレッジセールの楽しいトークで倍楽しむという企画だ。実際はガレッジセールと広上先生の3人漫才と、先生が繰り出す作曲家のトリビア話題だったのだが。

 これがまた予想以上のコンサートで、「こどものための」と冠がついているのに、難曲らしいラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」とか、最終章とはいえ、終わりそうで終わらないお子様たちの忍耐力を試すようなマーラーの交響曲1番「巨人」とか、知らん顔でプログラムに入っている。京都のお子様の耳レベルって(汗)

 そもそもこれに出かけるキッカケは、以前ブログで書いたように、NHKの番組『心を鍛える音楽道場 〜指揮者・広上淳一と弟子たち〜』を見て、すっかり広上先生に心酔したからだ。

 彼の指揮で京都にて行われる京響のデイタイムのコンサートを検索し、近々のものを探し出し、ネットでチケット購入の段取りをし、セブンイレブンに直行してチケットをゲットした、というミーハーぶりを発揮してしまった。

 広上先生のビジュアルは、私見では映画「ツインズ」でシュワルツネッガーの似ても似つかない双子の弟役だったダニー・デヴィート似で、気さくで陽気で謙虚な印象だ。ゴリさんのツッコミにも、しっかりボケてくださった。

 昨年のディスカバリーシリーズで、先生が京都コンサートホールに入ろうとすると、警備員さんに「一般の方はここからは入れません、表からお入りください」と言われてしまった、というのが、最初のネタ振りで、「このときにはサングラスに野球帽だったのがマズかったかな? でも今年は怪しくない格好だったので大丈夫でした♪」と、にこやかに報告されていらした。

 ピアニストの小川さんと手の大きさ比べをしたゴリさん、「やっぱりピアニストさん、指が長くて僕と同じくらい大きいですね!」と感嘆した後、広上先生とも手を合わせてみて「期待に違わない大きさですね! コアラと手の大きさ比べしたときのことを思い出しましたよ!」。広上先生、ゲラゲラ状態。

 もちろん指揮ぶりも演奏も素敵。『木星』は広がる宇宙、回転する惑星、キラキラ輝く宇宙を、丁寧に引き出される。ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」は最初、ちょっとお子様たちにはレベルが高過ぎるのでは・・・それどころか本調子ではなかった私自身がちょっと追いつけない感じだった。

 けれど聞き覚えのあるロマンティックな旋律の部分が来て、「あ、これ、『舟を編む』がドラマ化されたら、この部分をラスト近くのBGMにしてほしい〜!」と、突如覚醒(笑) あの難しい部分は辞書作りのマニアックさにピッタリだと思えたし、はちゃはちゃした所は「血潮・血汐事件」(読んだ人しかわからないけど、ネタバレになるのでここまでしか書かない)にハマりそうかも・・・とか、勝手に脳内パズルしてしまいましたよ〜。

 「ひょうきん族」を念頭においてセレクトされた「ウィリアム・テル序曲」は力の抜けきった(褒め言葉)指揮、「魔笛序曲」の軽やかで流れる優雅さは、まさにモーツァルトテイストそのものの指揮だった。

 マーラーの「巨人」第4楽章は、まさに炸裂するタクト。フルオーケストラだけど、オケがやや指揮に押され気味くらい迫真の指揮だった。ラフマニノフのときには、ピアノの蓋に隠れて(!)手の動きしか見えなかった広上さんが、軽々と何度も飛び跳ねながら、存在感を増して行くようだった。指揮台の上で大きく見えるのだ。

おまけに京響ホールロビーでの告知で、なんと夜9時よりNHKEテレの『ららら♪クラシック』という番組に広上先生が登場されるという情報を得る。ということで、夜も先生のにこやかで気さくな、でもときに鋭くて(優しさに裏打ちされてはいるけど)シビアな表情を見ることができた。はからずも本日は、午後中「広上DAY」だ。ハッピィ♪

 う〜ん、これは秋の京響定期演奏会も、行ってみたいかも。

 管や弦 直に打たれて耳歓喜
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2012/5/9

ハートな気分・続  音楽

 ハートな気分なら、まっすぐ前へ。次のステップとしては、やはり広上先生ご本人に、お会いしなければね。

 好都合なことに、先生は京都交響楽団の常任指揮者だ。京響の上演スケジュールをチェックすれば、きっとお会いできるはず。

 とはいえ夜の部は無理なので、昼間のコンサートでなくちゃ。調べてみたらラッキーなことに、来月の昼間にお子様向けクラシックコンサートがちゃんとあるじゃないですか〜♪ いいんです、子ども向けでも。時間帯もお値段も、もしかしたら内容も、私向けかも。

 子ども向けだって、なめちゃいけない。NHKの子ども番組がどれほどクオリティが高いか。子ども向けの舞台芸術が、どれほどアイディアや工夫に溢れているか。子どもがどんなにコワい客かは、子ども向けを企画する人なら、存分に知っているはず。

 それはともかく。ものすごく遠目からだけど、ライブで広上先生が見られると思うと、テンションが〜(笑) もちろんチケットは、ネット予約済みですよ〜ん!
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2012/5/7

ハートな気分。  音楽

 先日テレビで見た指揮者・広上淳一先生のプロフィールをもう少し知りたくなり、調べてみた。

 輝かしい才能と人間的な魅力に溢れる先生の人生は、意外なことに挫折続きだったらしい。
 凹んで、折れて、袋小路に行き当たって。その都度、音楽への愛を杖にして必死で立ち上がられた。

 2008年のAsahi.com(朝日新聞)の記事では、こんな見出しが。

〜指揮者・広上淳一、米コロンバス響辞任「音楽への愛はお金には代えられぬ」〜

 記事を読んで泣きそうになる。

 この記事によると、彼は、米コロンバス交響楽団の音楽監督の職を任期半ばで辞任したのだ。理由は、労使交渉に入った楽団員の側について、人員および給与削減を言い渡した理事会と対立、最終的にその責任をとったためである。きちんと和解を見届けてから辞表を提出したのだ。

 そのときの彼の言葉。

「精いっぱいカッコつけたけど、本当は打ちのめされている」。そう無念の思いを語るも、「音楽を愛する心は決してお金に代えられるものではない」と希望を口調ににじませた。
 (略)「本音を言うと、楽団員が権利ばかり主張する時代じゃないとも感じていた。でも、一緒に美しい音楽を奏でていこうと約束した彼らに、背を向けることはできなかった」


 ものすごく不器用なのだ。誠実で、ロマンチストで、美しき敗者。まるでどこか新選組みたい。

 オハイオ州の州都コロンバスで初めて客演したのは05年。楽団員たちの圧倒的な支持を得て翌年、第7代音楽監督に就任した。その証しとも言えるCDが今月、リリースされた。落ちついたテンポで、しかし熱狂的なクライマックスを紡ぐチャイコフスキーの交響曲第5番。ライブ録音の前日に父の訃報(ふほう)が届いたが、帰国せず舞台に立った。結果としてこの1枚は、決別と門出の象徴となった。

 それ以前にも挫折はあった。
 キリル・コンドラシン国際指揮者コンクールで優勝した80年代、同世代の大野和士らとともに国際舞台へと飛躍したが、01年に各国の楽団での要職を返上、1年近くの休養に入る。

 「挫折のたび、僕の仕事はみんながいないと成立しないんだ、とかみしめた。そうして目の前にいる音楽家、ひとりひとりを大切にするところから再出発してきた」

 現在は京都市交響楽団の常任指揮者、および母校である東京音楽大学教授の任にある。「失敗してボロボロになって、それでも腐らず音楽をやってる姿を、胸を張って学生たちに見せたい」


 カッコ良すぎです、広上先生! ズギューンときてしまいます。

 そういえば小沢征爾さんも若い頃、成績は優秀だったのに桐朋学園大学を(吉田秀和先生の話ではどうも)斎藤秀雄先生の横槍(!!)で卒業できず留年の憂き目にあったし、その後病気で長期療養しなければならず、腐りまくってサイテーな日々を送られていたっけ。

 要するに、自分では防ぎようもない運命の悪戯で転んでしまうこともあるから、転んだ後にどう自分をフォローできるか、どう新規巻き直しを図れるか、というのが人生の肝なのだろう。

 思い返せば、どういう風に成功するかより、どういう風に人生の危機を乗り越えられるかが、子育ての主眼だったような気がする。というか、「成功」とか、考えたことなかったな(のんき〜笑)

 あかん、広上先生、めっちゃタイプかもー(笑)
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2011/11/10

『冬の色』  音楽

 お昼にラジオから流れる懐かしい山口百恵の歌を聴いた。シックで落ち着いた百恵ボイスが、千家和也の歌詞と都倉俊一の作曲を歌った結果、オリコンシングルチャート1位を獲得した、栄えある歌だ。『冬の色』である。
(歌詞を知りたい方は青色文字の下線部分↑をクリック。リンクを貼っています)

 「くちづけもかわさない清らか」なのに「あなたが死んだら私も!」という情熱的な恋、というアンビバレンツな設定と、おしとやかでシックな曲調は、当時ティーンの人たち(私も含む)の心を鷲掴みにしたのではないだろうか。

 ところが久しぶりに聞いてみると、「あなた」はとんでもない男なんじゃないか?という危惧が、むくむくと湧いてくるのである。

あなたから許された 口紅の色は
からたちの花よりも 薄い匂いです


 いきなりである。「あなたから許された口紅」!? 

 いや、たしかに化粧についてうんぬんいう男がいるのは知っている。「その色、ナニ?」とか「赤いの濃過ぎる」とか。貴方好みの女になりたくて「これ、どうでしょうか?」としおらしく訊ねるようなひとには、どんどんツッコんであげてくれていいんだけど、「私が気に入ってるんやから、四の五のいわんといて」というひとには禁句だ。オトコのために化粧する女か、自分のために化粧する女か、ということだろう。

 どちらにもあてはまらない私には、実のところ、何が言えるのかも疑問だけど。そもそも化粧自体、めんどくさい。論外だ。

 でも最初のフレーズで、これほど警告音が鳴り響く歌もちょっとない。口紅について云々いうだけでなく、「許された」という部分は剣呑だ。キケンだ。この男、キケン過ぎる。ドメスティックなバイオレンスの匂いがたちこめている。たとえ暴力を振るわれていないにしても、いつ何があってもおかしくないような、「私」が思いっきり「所有物化」されている気配が濃厚だ。

 しかも彼女は「疑い」なんて入る込む余地なし!と断言している。人はこうやってトラップにハマっていくのか・・・とはらはらしながら見ているしか無い。
 もしかしたら微笑んで紹介できるのは、今だけなんやで・・・と勘の鋭い友達なら、不幸の匂いを予感するのではないだろうか。
 いや、残念ながら、この手のオトコはカンペキに用意周到なので、きっと見破られないだろう。「めっちゃええひとやん〜!」と友達の絶賛と祝福を受けて、幸福の絶頂を味わうのがオチだ。

 さて、2番のフレーズにいこう。

 「あなたからいただいたお手紙の中に さりげない愛情が感じられました

 小憎らしいほど絶妙な言葉やタイミングやしぐさで、女心を引き寄せるテクニックを持つオトコ。だから女は立ち止まってしまう。この人は、私のことを「ホントは」こんなに想っているんだと。
 全開ではなく、たまにふとした心の隙を突くように、小出しに愛情を示す。きまぐれに。打ち続く「私のこと、嫌いなの?嫌いなの?なぜ突き放されるの?」の絶望の果てに、「さりげない愛情」でつなぎ止める。なんて高度なテクニックだ。こんなことをされたら、もう女は逃げられないだろう、と想像するに難くない。

 逃げられないことが確認できた後、皮肉にも彼女の不幸の予感がオンパレードになる。

「倖せのほしくない ぜいたくな恋」
「突然あなたが死んだりしたら」
「あなたなら他の子(こ)と遊んでるとこを見つけても」

 気持ちの片隅では彼女はわかっているのだ。この恋で自分は不幸になるだろう、ということが。でも、もう彼とは離れられない。
 「くちづけをかわさな」くても、もはやオトコのなすがままだ。たぶん彼のために自分が破滅することにすら喜びを感じられる、というくらいに心を浸食されている。

 彼女はしかも「この恋は、普通の恋ではない」ということを、自覚している。

「人からは不自然に見えるのでしょうか」
「世の中に珍しいことなのでしょうか」

 
という歌詞が、自分が「特別な恋」をしている、世間的に理解しがたい恋をしているという、なにか優越感あふれる自覚を感じさせるのだ。そんな錯覚を彼女にさせる男の細工は、見事なほど周到だ。おまけに、この彼女の言葉のありえない丁寧さは、不安感を増幅させるのにうってつけだ。 

 この甘美で、恋のよろこびの中にいる「私」を歌ったしっとりとした歌詞が、まさか後年、ドメスティックなバイオレンスの表皮に見えるようになるとは。それは見方を変えれば、逆にすごい歌詞だとホンキで思う。

 これをDV啓発のテキストに採用すれば、若い世代に実感としてわかってもらえるのではないだろうか? 関係者のご検討をお願いしたい。
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2011/6/20

おとのつぶ。  音楽

 ラジオを聞いていたら、たまたまグレン・グールドの『トルコ行進曲』(byモーツアルト)が流れてきた。

 グレン・グールドといえば、バッハの『ゴルドベルク変奏曲』だけど、流麗なメロディのトルコ行進曲が、えらくスローだったので驚いた。中学生が練習しているみたいなスピード。

 でもピアノの音の粒が立っている! なるほど音を一粒一粒大切に弾くとこうなるわけだ。浮き足立つくらいショッキングな『トルコ行進曲』だった。
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2010/10/11

秋が来れば思い出す♪  音楽

 秋めいて来ると思い出すCMがある。

 70年代の日曜の夜には、洋菓子の不二家の提供で藤子不二雄のアニメが放映されていて、それは『怪物くん』だったり『ウメ星デンカ』だったりした。アニメのクロージングの歌が終了すると、「ああ〜日曜日が終わってしまった・・・」という虚脱感と寂しさがどっと押し寄せてきたものだった。そんな気分に、さらに追い打ちをかける物悲しいCMソング。

 「『週刊新潮』は只今発売中です」という少女の声が途切れるや否や流れる『赤とんぼ』のピアノソロ。谷内六郎画伯の表紙絵の『週刊新潮』が、また一層視覚的にもメランコリックな気分を倍増する。楽しかった日曜日が終了する決定的瞬間である。

 そしてこの気分はオトナになった今も、秋になると思い出すのだ。『赤とんぼ』の流麗なメロディーと谷内六郎画伯の絵が脳内にありありと蘇って来て、「秋だなあ・・・」と胸が痛くなるようなセンチメンタルな気持ちになるのだ。今秋は特に、なにか胸に沁みるようだ。年齢的にも秋、なのかもしれない。
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2010/1/23

サボテンの花  音楽

 私が中学生の冬にチューリップの『サボテンの花』という曲がヒットした。学校から湖西あたりへスキー教室に行ったバスの中で、誰かが回って来たマイクで歌っていたのを覚えているから、確かにその頃である。

 そして当然のことながら、私もこの曲の切なさにムネがきゅんとした少女だった。とても若かったのである。ムードと切なさだけに酔っていたのである。でもまあローティーンだし、それはそれで妥当な線といえる。

 先日、お昼にラジオからこの曲が流れて来た。もはや70年代のニューミュージックの定番曲なので、今頃の季節になると毎年何回かは聴く曲なのに、ふと今日は疑問におもった。ご存知のように、出だしはこんなだ。

 ♪ほんの小さな出来事に 愛は傷ついて
  君は部屋をとびだした 真冬の空の下に


 しかし「ほんの小さな出来事」で、家を飛び出すか? しかもそのまま二度と戻ってこないんだから! 「とびだした」ってことは、コートも着ず、防寒具もなしで「真冬の空の下」で、おまけに荷物は何ひとつ持ち出さなかった様子だし! よほどのことでキレたんでなければ、こんな無謀なことはできない。感傷的になっている場合じゃないぞ。「傷つい」たのは「愛」ではなく、「君」(彼女)なんだって!

 よほどのことじゃなければ家出なんてできないって、気づくべきだ。これ、絶対オトコにとっては些細(だと彼が思っているにすぎない)でも、彼女にとっては、重大な出来事だったんだよ! 分かれよ〜!
  
  ♪編みかけていた手袋と 洗いかけの洗濯物
  シャボンの泡が揺れていた
      君の香りが揺れていた


 これ、ほとんど犯罪の匂いがするくらい、日常生活が断ち切れているんじゃない? 突然の失踪。いきなりの拉致か?と思うほど。
 そして「愛が傷つく」という、曖昧で美しい表現と同様にここでも「君の香りが揺れてた」とくる。こんな不幸のど真ん中で、ドメスティックにリリカルしている場合じゃない 

  ♪たえまなく降りそそぐ この雪のように
  君を愛せば良かった
  窓に降りそそぐ この雪のように
  二人の愛は流れた


 「君を愛せばよかった」? ほらほら、怪しいじゃないか? 「ほんの小さな出来事」なんかじゃないって、彼は分かっているんだって! 

  ♪思い出詰まったこの部屋を 僕も出て行こう
  ドアに鍵をおろした時 なぜか涙がこぼれた
  君が育てたサボテンは 小さな花をつくった
  春はもうすぐそこまで 恋は今終わった

  この長い冬が終わるまでに
  何かを見つけて生きよう
  何かを信じて生きてゆこう
  この冬が終わるまで(リフレイン)

  ララー ラララーラララララー ・・・・


 なんだか、歌詞を見ればみるほど、ドメスティックバイオレンスの匂いがしてしょうがない。絶対に自分の非を認めまいとする彼。甘く美しい思い出だけしか認めようとしない彼。ちょっとアブナいオトコだったのかも。

 それでも彼は、とりあえず彼女のことは諦めたようで、決着をみたのが救いかもしれない。ストーカーと化してホラー映画のように追い回す執念深いオトコだっているもんねえ。

 半世紀も生きると、ほんと、身も蓋もない歌詞解釈をするようになるんです。若くロマンチックな方々、どうもすいません。
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2009/11/22

クリスマス・ソングで自分を知る。  音楽

 そういう訳で今の時期、本番のクリスマスにはもう食傷するほどにクリスマスソングが流れるのだけれど、じゃあ私の好きなクリスマス・ソングってなんだろうなー?と、つらつら考えてみた。

 最初に出て来たのは、佐野元春の『クリスマス・タイム・イン・ブルー〜聖なる夜に口笛ふいて〜』。クリスマス・タイムなのにブルーって。商店街やショッピングモールで流すには、少々ためらわれる選曲かもしれない。

 それなら山下達郎の『クリスマス・イブ』のように、

♪ きっとキミはこな〜い!! ♪ 

とキッパリ言い切るほどに切ないくらいな方が、いっそ盛り上がるのかもしれない。

 でも我が家では、この曲を聞くと反射的に思い出すのが、嘉門達夫の『クリスマス・イブ』替え歌バージョン。

 ♪きっと君は関西人 間違いなく関西人 

 サイでんなあ〜 ホゥでんなあ〜♪


何回聞いてもウケてしまう。山下達郎と嘉門達夫をセットで思い出してしまうって、ちょっとどうかなのだけど(笑)

 話を戻して『クリスマス・タイム・イン・ブルー〜聖なる夜に口笛ふいて〜』についてもセットで思い出す。
 村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』のBGMにしたらぴったり!!と、20代の頃思っていた。
 もしも映画にするなら、小説のラストあたりからこの曲が流れ始めて、どんどんロングにカメラがひいて行って・・・みたいな感じに夢想している。でも小説のラストはイメージしか覚えていないから、それが合うかどうかは実はあんまり自信がないんだけどね。

 賛美歌の『あらのの果てに』のソリッドで寒さが身に染むような厳しさや孤独感も、なんともいえずカッコイイ!!と人知れず(笑)好きだった。この歌が好きだったのは、もうひとつ理由がある。

 サビの部分の「 Gloria in excelsis Deo(いと高き処に神に栄光あれ)」はあえて日本語に訳されていない。「グロリア・イン・エクチェルシス・デオ!(Gloria in excelsis Deo)」と歌う箇所は、「エロエムエッサイム!」(水木しげる著『悪魔くん』より)みたいで呪文っぽい!と子どもの頃は思いこんでいたのだ。だから、この意味不明な箇所は、ものすごく力強く歌っていた記憶がある。「この呪文を唱えれば、なにかがおこるかも!?」と、こども心に期待しまくりだったのだ。神をたたえる言葉と悪魔を呼び出す呪文を同列に置くなんて、今にして思えばちょっと呆れるんだけど。中身を知らないで知識を増やすと、こういうキケンなことも起こるんだ、という教訓になれば(笑)

 他に好きなクリスマスソングとしては、洋楽なら『The Cristmas Song』。可愛らしくて静かでほのぼのしているところがいい。ユーミンなら『ロッジで待つクリスマス』が、可愛らしくて静かでほのぼのしていて好き。

 なんだか私はパーティやって、わいわいした「ハレ」な感じのクリスマスより、ほとんどクリスチャンのように(!?) 孤独で静かでほのぼのして内省的なクリスマスが好きなのかも。

 うーん、クリスマスソングの好みで自己分析できるとは知らなかったぞ!

  
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2009/11/7

琵琶湖周航の歌  音楽

 きのうKちゃんを塾に送る時、カーラジオから『琵琶湖周航の歌』が流れて来た。森繁久彌とか加藤登紀子とかが歌っていたスローなご当地ソングである。滋賀県の人間なら、一度は学校などで歌ったことがあるはずだ。否応無く。以下が1番の歌詞である。(高島市のHPより引用しました)

琵琶湖周航の歌

    作詞 小口 太郎
    原曲 吉田 千秋

1 われは湖の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
 のぼる狭霧や さざなみの
志賀の都よ いざさらば


 「おかーさんなー、この歌、あかんねん。起伏が無いし、つまんないし、でもスローテンポやから、なかなか終わらへんねんな」と滋賀県人にあるまじき発言をした。

 これにKちゃんは、激しく同意してくれたのである。

「ウチもやねん! 暗いし、うっとうしいし、遅いし、イライラすんねんな。でも沖縄へ修学旅行にいったとき、これ交流会で歌わなあかんかってんな〜」

「滋賀県の人たちが他府県に行ったらご披露する歌やもんな」

「ほやしな、ウチ、『琵琶湖周航の歌』を歌うことに決まったとき、ヒップホップにアレンジして歌ったらって、提案したねん!

♪わっれっは うぅみのっこ、さっす〜うぅら〜ぁいのっ♪ Hey!
 たっび〜にっしい〜あれっば しっみ〜じいみとっ♪ Hey,Hey!!

ほらな、こっちの方が絶対、ええやんなー?」

「ものすごファンキー!!」(しばし爆笑)

結局この提案は「原曲の味わいを損ねるので」という、クラスメイトのつまんない正論によって阻止されたしまったのではあったが。

Kちゃんが確実にH氏のDNAを受けついていることを、改めて確信した日であった。

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