2014/7/16

『俳句歳時記』を立ち読み。  読書

 備え付けのPは家族で使っているので、順番待ちのことがままある。そんなときには、階段横にある作り付けの書棚から本を抜き取り立ち読み。いやいや階段途中だから、階段に座って読む。「5分待って」と言われたからと言って、5分で終了するとも限らない。

 そんなときに便利なのが『俳句歳時記』。池田澄子さんにハマる前から、本屋さんで立ち読みし、そのあまりの面白さに春夏秋冬の4冊を購入。角川文庫の第4版だ。

 目次には大雑把に「時候」「天文」「地理」「生活」・・・などの項目に分かれ、その項目のなかで時系列に、例えば夏ならば、「夏のはじまり」から「夏の終わり」までの季語が続き、掲載ページが示してある。たとえば「時候」のなかでは「立夏」「夏めく」「麦の秋」「土用」「夏の果」などの季語が並ぶのだ。

 昨夜は暑かったので「熱帯夜」を引いてみた。

   蛇皮線を鳴らし古酒飲む熱帯夜   掘 古蝶

   まつくらななかに階段熱帯夜    吉田汀史

   手と足とわからなくなる熱帯夜   五島高資

 寝苦しい夜にはどうするか? 

 もういっそ寝ることは諦めて、楽しくすごしちゃえ!楽器を鳴らして酒を飲んで過ごしちゃおうか。沖縄テイストがまた、南国気分を盛り上げる。

 のどが乾いたので、階下に降りて冷蔵庫を開けて・・・の前に階段の暗さと、昼間には感じた事の無い、圧倒的な存在感におののいたり。

 眠たくてまどろみかけては暑くて目覚め、わけ分かんないくらいにカオスな意識になってしまう。蟻地獄のような熱帯夜なのに、そこはかとないクールなユーモアが、寝苦しい自分から幽体分離するかのように客観的。その第三者の視点が自分自身を救っているよう。

 以上は独断解釈なので、正解じゃないかも。俳句はまったくの素人だし。でも辛いとき苦しいときこそ、俳句を詠むことで辛さ苦しさと距離が取れる、ときには「ちょっと笑っちゃおう」的余裕さえ生まれる。たぶんそれが、私が俳句に憧れてしまう理由だろう。
 ネットには、こんな句もあった。

   羊になつたり獏になつたり熱帯夜  松井季湖

 つらく寝苦しい夜を、こんな洒脱な俳句に変換できたら、人生は楽しくなりそう。



 
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2014/6/10

堀江ファン急増と祈る手プロジェクト始動?  読書

 さて、読書会テキスト、堀江敏幸の『雪沼とその周辺』を何度も寝落ちながら、50ページを起床時間までに読み、残りはおばあちゃんや娘を送り出し、朝家事を終えてからの30分でなんとか読了できた。

 できたが、読書会開始時間まで、あと15分しかないので、当然チコクである(汗) どんなに急いでも車で20分はかかるのだ。いつもながらすみません(汗)

 今日の読書会では、堀江敏幸ファン急増(笑) とても趣味のいい本なのだ。

 「そのひとらしい」唯一無二の人生や生活や仕事について、効率とは別の場所にある、五感をフルに使うシアワセな暮らしについて共感し、静かで心地よい文章をじっくりと味わう。
 一夜漬けながら、かつ何度も寝落ちながら読了した甲斐のある、実り多い読書と例会だった。

 その後、尾賀商店さんのアンティークショップのお気に入り「祈る手のオブジェ」(さすがに高額商品なので、売れてなかった・安堵)を見に行き、これを写真ハガキにする提案をすると、すっかり仲よくなった店主さんは、「とりあえずは切り絵にトライしてみましょう」と、即!同じ敷地内にいらっしゃる「厨房係」兼「切り絵師」の青年に「これ切り絵にできる?」と依頼されていた。すごいフットワーク! 次回行くのが楽しみ〜!

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 許可をいただいたので、「祈る手のオブジェ」の写真を撮らせていただきました。

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 こちらは売約済み。せめて画像なりとも。

 次に実家に立ち寄り、地元に戻り食品を買ったあと、帰宅。

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 実家の石段途中からの風景。水田と麦畑のパッチワーク。

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 石段サイドの雑草に混じった蕗が、可愛かった。

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 車を停めた場所から。今年の麦畑はそろそろ見納め。

 あれ? なんか疲れた?と思ったら、ずいぶん寝不足だったんだ! 夜家事を終えてしばし爆睡し、パワーチャージ。ブログも書けたし、さあ、もう本気で就寝(笑)
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2014/6/9

読了できるか!?  読書

明日の読書会の課題本は「雪沼とその周辺」。作者は堀江敏幸さん。でもあと100p残っている。

 それというのも、サツキの葉を食べ尽くそうとする虫を発見してしまい、逆上しつつその退治に追われているうちに9日の日没を迎えてしまった。短編集で、なおかつ薄いのが救いとはいえ、あと100Pは難しいかも(汗)

 ということで、これからベッドの中で読了を目指し、がんばってみます。
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2014/5/15

キリスト祭に驚く。  読書

 歴史上人気のある人物には、その死後にもロマンあふれる伝説が広がる事がある。たとえば、モンゴルでチンギス・カンになって大活躍したという源義経伝説。

 逆に、外国から日本にやってきた有名人がいる、という伝説だってある。有名な(たぶん)「青森キリストの墓」伝説だ。先日図書館で借りた『聖地巡礼ツーリズム』(弘文堂)という本にあった物件だ。

 「キリストの墓」が発見されたのは、1935年。発見されて100年経っていない、わりに新しめの伝説だ。茨城県の神社の管長・竹内巨麿氏の家に伝わる古文書が「キリストの遺言」だった、というところから始まる。

 その古文書を頼りに現地調査をしたら、青森県にある当時の戸来(へらい)村の丘の上に、キリストとその弟の墓(!)があったそうだ。そういえば「戸来(へらい)村」という村名は「ヘブライ」に由来するという説もあるそうだ。

 その真偽のほどはともかくとして話題にしたいのは、その地で行われる「キリスト祭」という一大イベントだ。2013年には記念すべき50回目の祭が、賑々しく行われたそうだ。この祭は、全国各地からツーリストを集めるため、当日は特設駐車場が設営され、シャトルバスが運行されるほどだとか。

 「キリスト祭」は一応「キリスト慰霊祭」として行われている。

 なのに! 

 来賓祝辞は「本日は誠におめでとうございます」と締めくくられるそうだ。いや、そのまえに「慰霊祭」に「祝辞」って! 

 なぜか「神主」による、キリストの名を含んだ(!!)祝詞奏上や玉串奉納があるらしい! 日本人の宗教的に太っ腹なところ全開だ。しかしまあ、日本人は「神仏習合」で宗教ミックスは昔から慣れっこだろうし、逆にいえば対立するよりずっといい。なにしろ「本地垂迹説=日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考え」なんていうのを編み出すんだものね。

 十字架の前には花立と賽銭(!)があるらしい。クライマックスは十字架をかこんでの盆踊り(!!)「ナニャドヤラ」が奉納されるのだ。

 もちろん祇園祭や葵祭などの伝統的な祭とは、来る側も迎える側も心持ちが違う。ツーリストはB級観光地の奇妙なイベント、みうらじゅん風にいえば「とんまつり」な風味を求めてやってきたはずであり、迎える側は観光戦略を明言してもいるが、一方で、全くキリスト教とは無関係と思える民族芸能、「獅子舞」や伝統的な盆踊り「ナニャドヤラ」を披露する重要な場としても捉えているらしい。

 日本全国からツーリストを集め、それどころか外国人だって参加しているそうだ。これをみたら、宗教的な対立を繰り返している地域の人は、腰砕けになって脱力しちゃうのではないだろうか。その当事者なら「オレたちって、いったい・・・」と相当なカルチャーショックをうけるかもしれない。

 「青森キリストの墓」の岡本亮介先生渾身の4p分のレポートは、こう結ばれている。

「キリストの墓は単なる観光客誘致のためのフェイクではなく、地域アイデンティティと直結するツーリズム・アトラクションといえるのではないだろうか」

 日本って、なんだか底知れない凄みがある。なんというか、日本人の吸収力と融合力がハンパない。まだまだ私の知らない日本は、いっぱいあるのだ。

 「ディスカバー・ジャパン」に蒙を啓かれる思いである。
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2014/5/13

読書会に臨む。  読書

 読書会の前日は、いつも「修羅場」である(笑)

 明日までに課題本を「読了」しないといけないからだ。残り何ページかが、その日の晩ご飯レベルの命運を決する。

 読書会は火曜に行われるので、修羅場をくぐるのは主に月曜日。というわけで、月曜日には午前中に買物をすませ、午後はちゃっちゃと家事を片付けた後、晩ご飯作成ギリギリまでの時間で「読了」を目指す。

 しかし、たいていは読み残しをかかえる結果になる。今回は100p残してしまったので、1時間のリーディングタイムは80pでタイムアウトになった。残りは10時以降の夜の自由時間と、翌日の出かけるギリギリまでの30分。

 今回はなんとか前日夜の自由時間に読み終えて、読書会に臨む事が出来た。ただし、「まとめ」ができてないから、出たとこ勝負の発表になる。最近アウトプットと記憶力がめきめきと退化しているので、準備無しの発言は、はなはだこころもとない。しかもしっかりチコクだ。

 とはいえ、司会の方の配慮によりラストの発言者にしていただけた。その間、他の方の意見を聞けるので、内容のあれこれを思い出せるとともに、思索の時間も与えていただけた。おかげで、予想外に言いたかったことをすべて発言出来、いつも以上にスッキリできた。
(帰宅後、けっこう大切な事を言い忘れていて、臍を噛む事おおし・汗)

 課題本は北村薫さんの『ひとがた流し』。

 素晴らし過ぎる男性キャラに対する「こんないい男、ありえへん(笑)」発言に大いに同意し、描写力の素敵さに絶賛の嵐、女の友情についての諸先輩方のほろっとする体験談を聞いたり、お目当ての女性へアタックすることを彼女の友達から猛プッシュされる男性の気持ちについての意見のあれこれだとか、好きなキャラについてアツく語るとか、「生活の中のちいさな喜び」の大切さとか、わかちあう人がいることのかけがえのなさだとかを、全力で聴いて語った貴重な2時間を過ごす事ができた。

 もちろん個人の事情も時間制限もあるから、読了まで至らなくても、誰にもとがめられないし、その辺はかなりの大人(!)なので個人の裁量にお任せだ。私も分厚いミステリーを、中100p飛ばしてラスト50p読んだというとんでもない離れ業(笑)をしでかしたことがある。
 しかし「読了」まで辿り着かなければ、この充足感は味わえない。

 次回も懲りずにギリギリまで読まないんだろうな。でも読了はするぞ。

 追記:

 ランチの2次会では、戦中・戦後を知る方々のリアルな話を聞くという、貴重な機会に恵まれる。静かに小さな声で、けれどきっぱり「日本は二度と戦争してはいけない」と。その後、「ちょっと安倍サンを読書会に呼んで、説教してあげんと。あのひとは戦争体験してないから知らはらへんねん」と大笑い。読書会の諸先輩方の話は、実に面白くて、笑い疲れて帰宅した。その夜は、珍しく早々に就寝して、ぐっすりでした。
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2014/1/18

祝!直木賞!!  読書

 姫野カオルコさんが、やっと直木賞を受賞された。なんとさい先の良い2014年のスタートだろうか。

 私は彼女の小説はさほど読んではいないので恐縮しつつ書くのだが、『リアル・シンデレラ』は名作だと思う。どちらかと言えば、エッセイを読んで共感の嵐だったのだ。映画『プリティウーマン』へのアンチとして『リアル・シンデレラ』を書かれたという話には、ふかく頷く。

 アクティブな笑いで攻めていくので、一見脱力派かとも思えるが、堅固な自分だけの信念や自由な発想が素晴らしい。出る杭タイプみたいなのでずいぶん打たれたかと思えるけれど、打たれるとますます元気に出てくる杭かもしれない。ちなみに岸本佐知子さんも、なにげにこのタイプだ。

 「こんな大きな賞をとってプレッシャーになるのでは」と心配する向きもあるみたいだけど、受賞会見にジャージで来るような無敵でステキな人に、無用な心配だと思う。

 滋賀県出身の作家さんなので、受賞作『昭和の犬』は県下の本屋さんでは品薄、もしくは品切れ状態らしい。できれば一時のバカ売れでなく、過去の作品を含めて郷土の誇りとし、息長く売れ続けて欲しいものである。ああ、ほんとに姫野さんが滋賀県人でよかった。同郷人なのが、実にうれしい。
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2013/12/6

小説を読むということ。  読書

 レティシア書房の店長のブログを読んでいたら、素敵な言葉があったので引用させていただくことにした。「本の虫ではないのだけれど ー日常を散策する1ー」というエッセイを出された清水眞砂子さんの本から。

「文学は私たちを寛容にしてくれる。もう少し言うと、ストライクゾーンを拡げてくれように思います。」

 今、読書会の課題本である松浦理恵子さんの『犬身(けんしん)』を読んでいて、うまくいえない感想を、ひとことで言ってもらった気分。渡辺某氏とは正反対というべき、ある種の女子にしか描けないだろう性愛の世界をかいま見せてくれる松浦さん。山田詠美さん以来かも。すごく不思議なお話だった。(って、まだ途中ですが・汗)

 念のためにいえば、リアル性愛のストライクゾーンは広がってません(笑) 読書枠が広がったということね。 

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2013/11/12

私的イベント終了。  読書

 今日は若い(小学生のお母さん)読書会との合同読書会。力及ばずながら私が当番をやらせていただき、まずまずのポップな感じで終了できた。やれやれ。

 今回は奇を衒わず王道をゆくチョイス、中島京子さんの『平成大家族』をテキストだったので、読みやすく明るく楽しく面白く後味よく、がメインの感想。狙い通り。苦さも軽い毒もある(はずの)中島さんだけど、トラブルをポップに描く技はさすが。

 今の子ども達はイジメを回避するための気苦労が絶えなくて可哀想。浮かないよう目立たないよう、右へなれえな学校生活と、モバイルの普及でネットへの気遣いまで加わり大変そう。

 一家の主が歯科医だったころの物品を、自分の部屋にごっそり陳列しているのがグロテスクだけど可笑しい。義歯だの診察台だのがある、というだけで「おおお〜」と軽いジョブをくわせられる。それを許す妻の春子さんは、「時をかける老婆」こと認知症のあるタケさんに対しても、落ち着いた愛情ある介護されていて、なんていい奥様なんでしょう! たとえ夫の囲碁仲間と心を通わしていたって。

 彼はラスト近くで動揺して診察台に座ってしまうが、その歯科診察台の描写が、あまりに「あるある」でやたら可笑しい。中島さんの筆が楽しげに走ること、走ること! 

 次女、友恵さんの元夫は、実は浮気っぽいながら、かなりいい人だったなあと思うし、幼児番組でややブレイクした恋人のお笑い芸人のしんごくんもいい。自分の息子へのプレゼントが☆☆☆なんて、ちょっといい話だった。

 今回当番にもかかわらず、あまり読み込めていなかったので、みなさんの意見にとても刺激された。ホームというものはいつも門戸を開いていて、帰ってきてほっとできる明るい朗らかな場所であるべき、という意見にもなるほどなあ〜と諾った。

 さっき思い出したけど、一家の主・龍太郎の囲碁友達である川島先生の「緋田家の文学的テーマはカフカの『変身』(克郎のこと?)だと思っていたけど、実はオースティンの『自負と偏見』(結婚・離婚問題?)だった」という見解について問題提起をするのを忘れてた。すみません!
 もしかして川島先生ったら、かなりアイロニーの入った見解なのかもしれない。知的なジェントルマンでありながら、メールのやり取りできるように春子さんの携帯を強引に設定したお方だからなあ。

 そして若読書会のみなさんに、久方ぶりにお会い出来てとても楽しかった。春以来だもんなあ。今度こそ、課題図書読まなくちゃね。
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2013/11/8

中島京子さん調査中。  読書

 次回の読書会の参考にするため、中島京子さんのことを調査してみた。

 すると、妙にぐっと共感する部分があって「もしかすると、ものすごく私と気が合う方かも!?」と、知れば知るほど気になってくる。しかも中島さんは私より3つだけ年下で、ほぼ同世代だ。

 大体デビュー作が『FUTON』だもんな。田山花袋の『布団』を妻の目線や現代視点で書き直したという驚きの小説だ。元ネタの『布団』自体が、女子にとってはツッコミどころ満載で、女子高生の頃読んでみたが、哀愁漂うエロい変態オヤジの話、と一刀両断にしていたっけ。『FUTON』が出た頃、それを「ネタ」にする、というセンスに共感した覚えがある。仕事では購入したが、残念ながら読んでない。

 で、彼女が高校生の頃、空白の多い画風でシュールな作品を描く漫画家、倉田江美さんの『ぼさつ日記』が好きだった、という箇所にも私は激しく反応した。『ぼさつ日記』!! 私も高校生の頃大好きだったよ!
 その中のひとつの話に、主人公の地獄寺ぼさつが「ある朝目覚めると、一匹のおじゃま虫になっていた」っていうカフカの『変身』のパクリの話を例にあげていらして、「ああーっ! あったあった! それ覚えてる!その話、好きだった!」と心で共感の嵐。

 そして『エ/ン/ジ/ン』という作品では、なんと「宇宙猿人ゴリ」がキーワードになっているとか! あの70年代始めにあったテレビの特撮ヒーローもの『スペクトルマン』に登場する悪役科学者「ゴリ」が!

 今となっては知る人も少なかろうマイナーな特撮ヒーローものだが、私は熱心に見ていた。もちろん私の焦点は正義の味方「スペクトルマン」ではなく、いつもイライラしながら部下「ラー」に「バカモノ〜!」と当たり散らす科学者「ゴリ」にあった。いや、「ラー」はホントにバカモノだったから言われても仕方ないのだけど。
 エンディングソングの「わったし〜は、科学者〜♪ 宇宙猿人、ゴリな〜のぉだ〜♪」という、ゴリの心象風景のように暗い曲調のマーチすら今も覚えているほどだ。(歌はハニーナイツ。『妖怪人間ベム』の歌を歌っていた人たちだ)

 「Web Kadokawa」のページ『エ/ン/ジ/ン』よりとても丁寧な説明を引用すると、こんな感じだ。

「宇宙猿人ゴリ」は、フジテレビ系で1971年から72年にかけて放送されたTV番組。ゴリは地球侵略を企む 悪の科学者で、番組名に悪役の名前を冠することは当時画期的なことであったが、子ども向け番組として相応しくないという理由で結局は改題を余儀なくされる。改題は一度ならず二度も行われ、「宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン」となり、その後「スペクトルマン」となった。

 内容は、猿人たちの暮らす惑星Eでクーデターを企てた為に追放されたゴリが、部下のラーとともに地球を征服しようとするが、ネビュラ71遊星から派遣されたサイボーグマン・スペクトルマンが防衛する、という特撮ヒーローもの。

 しかし主役にもかかわらずスペクトルマンは、(普段は地球人・蒲生譲二として生活しているのであるが) 独断では変身できず、ネビュラ71遊星の変身許可が必要で、また、新兵器についても指令なくしては使用できない等、葛藤の多いヒーローである。

 作品が内包するテーマは当時日本の社会問題となっていた<公害>で、ゴリは美しい地球の環境破壊を進める愚かな人間たちを、その汚染物質でつくった怪獣で退治して自らの国を作ろうとした。地球を壊す悪役を正義の味方が救う、という単純な構図ではなく、人間の愚行に対する批判が込められている。

 宇宙猿人ゴリは、「いつか描きたいと思っていた」という中島京子氏にとっての70年代の象徴である。   


 これはすごく読んでみたいな。読書会が終わったら。 
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2013/9/11

『海辺のカフカ』のラストには  読書

 たまたまゴダイゴの音楽がラジオから流れて来て、懐かしく聴きながら家事をしていた。

 お馴染みの『銀河鉄道999』が始まって、『あまちゃん』での「北鉄」再開(BGMで流れた)を思い出しながら、歌詞を追う。再出発にこれほどふさわしい音楽があろうか。

 え? これって?!

 『海辺のカフカ』のラストシーンみたいだ! うそ! まさか村上春樹がゴダイゴを聴きながらラストシーン書いたとは思わないけどさぁ。

 う〜〜ん、村上春樹にすれば、いささか不本意だろうけど、個人的には『銀河鉄道999』聴きながら、『海辺のカフカ』のラストを読み直したら、号泣するんじゃなかろうか。いやもう、曲聴きながら、カフカ少年の笑顔がオーバーラップして、思い出すだけで泣きそうでしたよ。

 普通に読んだらそれほど泣くような場面じゃないし、ぜんぜん村上春樹イメージじゃないんですけどね。
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2013/9/10

海辺のカフカ その1  読書

 『海辺のカフカ』について、読書会が終わってから思いついたことがあったので、メモ替わりに記しておきます。
 『海辺のカフカ』を読んでない人にはなんのことやらで、ごめんなさい。ネタバレあります。青字についての私の妄想を、知りたい人だけよんでください。

 「入口の石」から「森」に入った人たちについて。

 まず佐伯さん。カフカは図書館の中の「自分の生活空間」となった部屋で眠っていたとき、「少女の幽霊」を見る。それは15歳の佐伯さんで、なぜ今50歳の佐伯さんが15歳の少女の幽霊となって、昔の恋人の部屋にいるのか。

 頭もよく性格も穏やかでエリートな家庭に育った、いわゆる全てがそろった少年のナカタさんが、なぜ昏睡から覚めた後、白紙になって字を読むことができなくなってしまったのか。

 そして両者はなぜ影が半分しかないのか。

 「森」で取引をしたのではないか。佐伯さんは15歳で時間をとめることを望み、ナカタ少年はつらい過去の記憶の消去と字を読めなくなること(両親の重すぎる「期待」がなくなることか?)を望んで、望みを叶える替わりに影の半分を渡したのではないか。

 星野青年が「入口の石」が開いたとき、激しい落雷があった。もしかすると「入口」が開いたときの「雷に打たれた」ことがあるというカフカの父、田村浩一もまた、「森」に迷い込んだかもしれない。彼の望みは、一流の彫刻家となって名を成すことだったかもしれない。その代償として「救いのない、終わりの無い、想像力を欠いた狭量/不寛容」を含み、ルドルフ・アイヒマンからつながる邪悪な「寄生虫」の宿主=ジョニー・ウォーカーになってしまったのかもしれない。
 
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2013/9/7

たのしい予習  読書

 来週早々に控えた2ヶ月ぶりの読書会に備え、昨日、地元図書館で資料調達をしてきた。

 やっと本日夜、テキストを読了。大きかったけど、すごく腑に落ちる物語だった。「カフカ」以前に書かれた村上春樹の長編も含めて。これは、ことに若い人たちが自分の存在をかけて読むと、人生変わるかもしれない。若い頃はそういう読書ができるのだ。

 たぶん明日もあさっても、これにかかりきりだな。

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2013/6/11

ギリギリ読書会  読書

 先週までは、すっかりあきらめていた今日の読書会だった。ちょっと私には読了できそうもない、と一度は匙を投げたのだ。

 でもなんでか忘れたが気を取り直し、再度取り組んで、絶対無理だと思っていた400P以上の文庫を、なんとか読み切った。そのかわり、読書会には大幅遅刻(出かける直前まで読んでいたのだ。ついでにいえば、必死の読書で昨日のブログもトバした)

 課題本は横山英夫さんの『クライマーズ・ハイ』。読みやすいし、ストーリーは滞らないし、違和感もない。でもなんだかガラスケースのなかのストーリーを追っているみたいなので、個人的には馴染まなかった。私が共有できる小説世界ではなかったから、というとっても個人的な理由。あまりに接点がないというか(笑)

 でも男性にとっては「あるある」が張り巡らされているから、楽しいだろうなあ、と思う。父子の葛藤。組織での嫉妬、心ならずも理不尽な対処を余儀なくされる部下へ思い。誠実に記事に向かい合おうとすれば、熾烈なスクープ合戦に負けてしまうギリギリの判断。家族や仕事仲間からの疎外、家族や仕事仲間とのつながり。その他てんこもりに、男子読者のツボをことごとく押さえているのが、私にはちょっとあざとい気がした。深読みしすぎなのだろうか。

 それでも、読み切ったという充実感で、気分は爽やかだ。散会後の中華のランチはやたら美味しかったし、ものすごい読書話題で盛り上がったし。次回は小川洋子さんだから、ぎゅっとキューブになったなにかを感じられるかも。次回は早めに読んどかなくちゃ(笑) 
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2013/6/1

真夜中の笑い声  読書

 やっと読み始めた岸本佐知子さんのエッセイ、『なんらかの事情』。これ「なんらかのジジョウ」です。「なんらかの情事」と読み間違えないでくださいね。どちらの場合も妄想はどんどん広がりますが。

 これがもう可笑しい。最初はくすっと来る。そのくすっ、が終わるか終わらないかのうちに、次のくすっ、が来る。そのくすっ、がまだ半分残っているうちに、追い打ちをかけられ、うふふとなる。うふふにダメ押しがきて、ガハハとなる。

 コレを読み始めたのが、夜中の1時すぎで、ベッドの中だ。波状攻撃で押し寄せる、つぶやくように控えめな小声でささやく「あるある話題」から始まり、妄想が妄想を呼ぶ文章。お腹をよじる私。夜の静寂(しじま)に、息つぎしながら遠慮がちに響く笑い声。

 客観的には、かなりホラーだろう。
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2013/5/9

スキップ  読書

「スキップ」は北村薫さんの長編小説だ。来週の読書会の課題本で、これを渡された時には、心の中で正直小躍りした。すでに10年以上前に読んでいたのだが、大好きな小説なのだ。

 お昼寝から目覚めると、17歳から四半世紀の時をスキップして、42歳のベテラン教師になっていた真理子。しかもとうに結婚し、同い年の高2の娘までいるのだ。混乱と絶望と悲しみのなか、好奇心と自尊心、それに豊かな茶目っ気を持って、少しずつ「この世界」へチャレンジしていく。彼女は家族の援助を受けつつ、「からだは42歳、こころは17歳」として、25年先の「未来の自分」を生きることを決意する。せつない、でもカッコイイ。

 主人公の真理子さんは、実にカッコいい。失った自分の25年分の時間を悲しみながらも、現実を見据えてまっすぐに歩く。ひどい状況にも関わらずユーモアを忘れない。心でお茶目なツッコミをして、青空のように爽やかだ。それは彼女自身は無自覚だろうけれど、どこかに階段の踊り場のような余裕を持っているからだろう。

 そして彼女をとりまく人たちも、ラッキーなことに気持ちのいい人がほとんどだから、気分よく読みすすめられる。

 北村薫さんは、もともと国語の教師だそうで、真理子先生の素晴らしい授業は、北村先生譲りなのだろう。彼の授業を受けた生徒(「ラーメンズ」の片桐仁、「演劇集団キャラメルボックス」の西川浩幸がいるらしい)たちがうらやましー!

 文庫で500ページ以上もある長編なので、読み切れるかどうかが多少不安だったけど、読みかけたらぐんぐんページを繰って行ける。楽しく面白く、しかも元気になれる極上の小説。
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