2012/2/23

ロケ地あれこれ  映画/ドラマ

 前回第7回の『平清盛』は、滋賀県3カ所でロケをされたらしい。場所は日吉大社、三井寺、油日神社だ。どの場面でどこが、というのは企業秘密らしいが、この場所に行ったことがある人なら、たぶんドラマをみればわかるかと。(H氏はわからなかったらしけど)

 滋賀県は風光明媚で、時代劇にはうってつけのロケーションだけど、いやいや現代劇にだって採用されている。

 滋賀ロケーションオフィスのサイトを見れば、映画『逆転裁判』のロケも敢行されていた。詳細なロケレポートもあるので読んでみる。(写真も掲載されているので、ぜひご覧あれ)
 それによれば、近江鉄道・高宮駅、豊郷小学校旧校舎群、滋賀県庁・地下通路でロケが行われたらしい。

 近江鉄道の駅は、昭和の風が吹くレトロで雰囲気のある場所が多い。しかもほどよく小さくて、通勤通学時間以外なら、利用する人もまばらだろう。

 旧・豊郷小学校校舎は、ヴォーリズ建築としても有名だし、その存続をめぐる騒動も全国区だった。いまでは『けいおん!』の聖地として、若者たちが集う場所でもある。しかも「飛び出し坊や」グッズが多数販売されている場所でもあるので、「飛び出し坊や」ファンには外せないだろう。
 
 このふたつは、ロケ地としてよく判るのだが、滋賀県庁・地下通路って!?

 マニアックな場所を意外によく知っているH氏に聞いてみると「知ってる。気持ち悪い場所やし、ロケ地としてはなかなか目のつけどころがええな」という答えがかえってきた。

 以前ミニシアター系の映画が、滋賀県で唯一観られた『滋賀会館』(H22年3月をもって文化施設機能が廃止された)ともつながる場所らしい。そしてその地下通路には、喫茶店や散髪屋もあるとか。ほとんど地下組織、まさにアンダーグラウンドだ。そういえば10年ほど前、滋賀会館に行ったとき、なんとなく通った記憶もある。

 滋賀県には『プリンセストヨトミ』みたいな、「アンダー近江国」があるのかもしれない、とすら思わせるような滋賀県庁・地下通路なのだった。
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2011/9/4

『吸血鬼ノスフェラトゥ』をひとかじり。  映画/ドラマ

『吸血鬼ノスフェラトゥ』(原題:Nosferatu – Eine Symphonie des Grauens/ドルビーデジタル/94分版)はF・W・ムルナウにより1922年に作成されたドイツ表現主義映画。ドラキュラを扱ったホラー映画の元祖として知られる。

 モノクロ/サイレント映画。セリフが入るべき個所には、ドイツ語の美しいレタリングの文字が差し入れられていた。日本語字幕付きで。サイレントだけど音楽は延々と管弦楽が流れて、時の流れや不気味さやを盛り上げる。

 イギリスの作家ブラム・ストーカーの小説「ドラキュラ」を土台として製作された、映画史上最初の吸血鬼映画であり、ホラー映画の原点として、カルト的人気を持つ。

 ストーリーはこんな風→不動産屋で働くフッターは、ドイツのヴィスボルグに家を買おうとしているオルロク伯爵に会うため、トランシルヴァニアへ赴くが、奇妙な出迎えや伯爵の態度に動揺する。翌日になり、フッターは自分の首に2箇所の傷跡があるのを見つけ…。

 というような映画が、9月2日のBSプレミアムで午後1時より放映されていた。う〜ん、吸血鬼の映画か〜、と新聞のテレビ欄をみたときには、まったく見る気持ちはなかったのだ。

 それなのに途中少しだけど、ふと観てしまったのは、この番組の前にある週刊ブックレビューを観ているうちに、睡魔に負けて眠ってしまったからなのだ。
 眠りから覚めつつあるとき、「あ、次のシネマの時間になっちゃってる・・・でもおかしいな、映画なのに音楽しか聴こえない??」と目を開けると、モノクロORモノカラーでサイレント映画が!

 え〜〜?? なにこれ?? 

 と、ふと観てしまったら、なんともいえないムードと、それから真面目なのか狙ったのかわからないお茶目なシーンが続出で、しばし目が釘付け。

 古いヨーロッパの映画だから、上品で芸術なのだけど、そのうえホラーだというのになんとも可笑しい。 

 私が観た部分では、たとえば。

 吸血鬼である伯爵が、客がバターナイフで指を切ったときに、指から吹き出す血をみて欲望を抑えられず、いまにも彼の指をなめようとする様子(そして客がドン引きする様子)が、あまりに可笑しくて「これ、もしかしてコメディ!?」と誤解するほどだった。

 あるいは、伯爵に少し血を吸われたらしき客が「蚊が多いのに閉口するよ。首を二カ所かまれてしまった」と妻あてに手紙を書く所とか。それ、のんきすぎる! 

 それから伯爵の手下が吸血済みの蚊を何度も手づかみしつつ、その蚊の腹にある血を横取りしてすするところとか。それ、あんたの血では? リサイクルか?とツッコミをいれたくなったりとか。

 そんな摩訶不思議な面白さに満ちていたのに、「いや、こんなことをしていてはいけない。おしごとおしごと!」と家事をするため中断してしまったのは、悔やんでも悔やみきれない。あとでネットでみたら、えらいカルトな映画じゃないですか〜!! うわー! 惜しいことしたー!

 それでネット上にアップしてある動画を探して、少しだけ追加で観てみたら、やっぱり可笑しい!

 伯爵が日の光を避けながら旅をする場面では、最初は棺桶(日中の伯爵用ベッド)ごとふわりと移動して、「さすが吸血鬼のパワー!」とドキドキするのに、なぜか途中でカラの棺桶をもって、うろうろと街をさまようお間抜けなシーンが! なんじゃこりゃ〜!

 それから最初に伯爵からの手紙を手下?が読むシーンがあって、ところどころ手書きの絵が入っていて、それには海賊のドクロみたいなのもある。そのドクロが非常に味があって、きっと白洲正子とかティム・バートン監督とかがオオヨロコビしそうな感じ。不気味なのに個性的でユーモラスでどこかカワイイ。

 ティム・バートン監督がオオヨロコビしそうな物件は他にもある。伯爵のうちにあった時計。丸い文字盤の上に骸骨がいて、柄の長い金槌のようなもので時を打つという、いかにもティム・バートン好みの仕様だ。映画『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』に登場してもすっと馴染めそうなガイコツだった。
 と同時にとっても哲学的で素敵。まさに「メメント・モリ」。

 これはいずれ制覇せねば、と思わせる映画だった。ホラーのどきどきも、不気味なぞくぞく感も、映像の美しさも、まじめで上品なヨーロッパ映画なのに、というか、だからこそのオモシロさもある、とっても異色の映画。

 ほんのひとかじりしか観ていないのに、延々とすみません。
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2011/9/1

『毎日が夏休み』感想  映画/ドラマ

 原作は1990年に出た、大島弓子先生の同名コミック。コミックは短編で、私は赤木かん子さんが大絶賛していたので読んでみた。もう、えらく感動した。そして20年過ぎた今、見たいみたいと思っていた映画化されたそれを初めて観た。

 ほんとのことを言えば、このビデオは持っている。格安で購入したのだ。それくらい好きだったにも関わらず、見ないうちにビデオデッキが壊れてしまった。たぶん、原作を損なっていたらやだな〜という不安があったのだろう。観たのは最悪のコンディションだったのに、見終わってからの方が、どんどん感動が深まって行く。なんなんだ、これは。

 一流企業の出世街道邁進中であるエリート社員の義父・成雪さんは、会社と方針が合わないという理由で突然辞職する。主人公のスギナは、イジメで名門女子中学を登校拒否中の中学生。もっとも彼女は明るくクールなので、朝も「今日も元気に登校拒否だ!」とお弁当を持ち、制服姿でくったくなく出かけていた。(それに母はダマされていたわけだが)
 結局ふたりは「おかあさん」に自分たちのドロップアウトな立場を報告することによって、現実を直視し、次なるステップに進むことになる。

 つまり「いい会社」って? 「いい学校」って?という問題提起がまずある訳で。
 ところが「いい会社」も「いい学校」も、どこかが腐っちゃってた訳で。まずはそこからドロップアウトすることが必要だったりもする訳で。

 今さらながらだけど、2011年の夏にこれを観てしまうと、忸怩たる思い。20年も前になんとかしなきゃいけないのがわかっていたのに、そのときには現実を直視すらしなかったなんてね。腐敗の次は崩壊しかなかったのに。

 ドラマに戻って。

 しかもこの日まで、この義父と娘はほとんど口をきいていない。その日の朝だって、言うに事欠いて義父はスギナに「元気か?」と訊くのだ。そして娘は「元気です、お父さん」と答えていた。義理の父ではあるけれど、あまりに他人行儀。だからプラスアルファ、「家族」って?という疑問符。
 実はスギナの両親である夫婦はバツイチ同士で、コンピューターによるベストの組み合わせをはじきだされて結婚したのだった。それはもしかすると、離婚による恋愛結婚への絶望と、感情の封印につながっているのかも。

 感情の封印といえば、義父の成雪さんは、「感情なんてあると不自由で不便だ。(それに不幸になる)。仕事がスムーズにはかどらない。(それに恋愛が苦しくなり過ぎる)。」というような意味のことを言っていた。(カッコ内は単なる私の想像)
 たしかに「ある種の」仕事に人間らしい感情なんてない方が、テキパキさっさと仕事がはかどるだろう。それを私たちは今回、いやというほど見せられた。

 義父が逆境の中で、心を奮わせて感動する場面があるのだけれど、そこでの成雪さんのセリフ。
「どんどん小さくなる。どんどん謙虚になる自分を感じる。感謝と畏れと情愛を感じる」

 感謝と畏れと情愛! ほどんど心の三位一体要素じゃないですか。このセリフのあとの場面がものすごくいいのだけど、それはぜひ画面(およびマンガ)にて。

 逆に後にとんでもないシチュエーションで、彼は過去の激しい感情を取り戻すのだけど(映画版)、激しい感情は命取りにさえなりかねないほどキケンでもある、ということも丁寧に描かれている。

 義父と娘は結局ふたりで「なんでも屋」を始める。知っている限りの知人にダイレクトメールを送り、めでたく初仕事を得るのだが、一日目は義父の惨敗に終わった。有能で優秀な仕事人間の義父も、家事にはまるで無知だったのだ。どん底の父をいたわるスギナのセリフが泣かせる。

 「お義父さん 夏の陽ざしにできる影って濃くて深いよね。人生も濃くて深い影があればその裏には かがやくまぶしい光がぜったいある! ぜったいにあるんだよ お義父さん」

「そのとおりだ、スギナ。そのかがやくまぶしい光を見つけに 我々はでかけるんだ」


 「われわれ」は出かける。スクラップ家族が、一カ所、繋がった。

 このあと、しがらみや誤解や憎しみやプライドを乗り越えて、人々がやさしく繋がっていく。これをメルヘンだとか夢物語だとか少女まんが的展開だとかいうなかれ。しがらみや誤解や憎しみを乗り越えるために、彼らは命懸けで困難なハードルを乗り越えたのだから。
 それは「ひとつになる」とか「一丸となる」みたいな画一的で居心地の悪い言葉じゃなく、ひとりずつ確実に繋がって行くという幸福が描かれている。このふたつは、まるで違うから。

 今回マンガを読み直して、成雪さんの言葉の中で、ジョン・ラスキンという人が提唱した「仕事に喜びをみいだすために必要な三つの要素」を知った↓

・適性がなければならない
・やりすぎてはならない
・そして達成感がなくてはならない


 「やりすぎてはならない」っていうのが、すごく新鮮。しかも「そうそう、わかるわかる」!! ちなみにラスキンの言葉で「生命以外に富はない」というのもあるので、日本の上の方の人たちに、ぜひ贈りたい。

 ところで『夏休み』ってなんだろう。

 スギナのモノローグによれば

計画する
実行する
失敗する
出会う
知る
発見する
冒険とスリル
自由とよろこび


 そう。こんな人生を生きないうちは、まだまだ死ぬ訳にはいかない。と日付的には、現実の夏休みが終わったとたんにキモに命じたりしているところだ。さぁ、「かがやくまぶしい光」を見つけなきゃね。
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2011/1/28

松ケン/トヨエツ  映画/ドラマ

 金曜ロードショーにて『デスノート』を見る。松山ケンイチの演技に打ちのめされてしまった。あんなにキャラクターをつくりあげられるなんて、素晴らしすぎる。『デスノート』(映画版)は、主人公よりL(松ケン)のインパクト大きすぎ。夜神月(ライト)役の藤原竜也くんも決して悪くはないのに、あまりにも松ケンが突出しているので、藤原くんにとっては、ちょっと残念。

 ついでながら、大河ドラマの信長役/豊川悦司が、新しい信長像を展開しているので、これにも目が離せない。こういう信長解釈って、確かに面白い。よく理解できないけど、信長に惹かれてしまう江視点からっていうところがまた。

 『妖怪大戦争』以来、トヨエツに参ってしまったけれど、『愛の流刑地』はコワくてみられない。彼にあんな役をさせるなんて・・・と屈辱に思ったりもしたけれど、どんな役でも受けて立つところがトヨエツのいいところなのかも(と、無理矢理ポジティブに考えてみる)

 しかし和装にブーツにピストルの龍馬の次は、サブとはいえ、ちょんまげにマントの信長を見ることになるとは。日本のビッグネームのファッションは、アバンギャルドだなあ。
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2010/3/22

ビッグ・フィッシュ  映画/ドラマ

 この連休中にと思って先週借りたDVD、ティム・バートン監督の『ビッグ・フィッシュ』を午前中に見る。

 2003年の作品だから、ずいぶん前の映画なのだけど、いつものようにあてずっぽでティム・バートン監督のまだ観ていない作品、という動機だけで借りたのだけれど、これが傑作! 

 相変わらず深いわ〜、バートン監督。わかりやすくて、シンプルで、ストレートで。可笑しくて、カラフルで、ワープする常識。でも言うに言われぬ人生の真実がちりばめられている。

 父と息子の確執。余命少ない父と息子は和解出来るのか? という、あまりにもありふれたストーリーなのに、全然ありふれてない作品なのは、まさにティム・バートン監督ならでは。

 主人公エドワードの人生は、魔女(個人的には大好き!!です。彼女の演技は「ザ・魔女」ですよ!)の予言や巨人との邂逅、サーカスでの危険な仕事の数々、戦地でのシャム双生児との逃亡など、ファンタジーでいっぱい。ロマンチックで一途な純愛と結婚だってある。
 彼は、平坦で安全な道より、幽霊が出ると噂されるような、「決して入ってはいけない」と警告されている怪しい道をわざわざ選びとるチャレンジャーでもある。

 おまけに魔女とも巨人とも狼男とだって、自由で対等な目線で付き合う。けっしておびえたり闘ったりしない(石を投げたりはしたけど)。困っている人を幸せにするためなら、自分にできる方法(彼にとっては「おしゃべり」?)を探し出して全力を尽くす。おまけに自分が「ソンをする」ことを全く気にかけない。

 つまりとても「勇敢な」男なのだ。あまり世間は賛同してくれそうもないけど、私はこういう人を「勇敢」と呼びたい。映画では彼を「社交的」と言っていたけれど、それはほとんど「神!」とでもいいたいくらいにフレンドリーで楽天的で、自由で愛に満ちている「社交的」だった。

 それから愛する人はひとりだけ。それが実はどんなに幸せな事か、というのをあらためて思い知りますから!
「君にはどんな女もぞっこんだ!」と言われれば、「いえ、ひとりでいいです!」と断言して、そのたったひとりの彼女獲得のために、あらゆることを実行してしまうエドワードに、いろんな意味でくらくらしましたよ。

 セレブになった訳でもなく、名をなした訳でもない。でも出会った人たちは、みんな彼のことが大好きになった。エドワードのお葬式では、さまざまな場所から集まった人たちが、まるで旧知のように、そしてまるでパーティのように、楽しそうに彼のことをおしゃべりする。彼と別れるのが悲しいというより、彼に出会えて本当によかった!という気持ちの方がずっと大きいから。そんな気持ちを初対面の人たちとも、充分に分かち合える、かなり理想的なお葬式シーンだった。もしかしてお彼岸シーズンにもぴったりの映画だったかも(笑) 

 この映画はある意味、現実世界の完全なネガなので、ものすごく美しくて楽しくて善良で楽天的で愛に満ちている。そういうアイロニーも含まれているように思えてならない。
 ネット上にあるこの映画のレビューをあれこれ読んでいたら、「ぜひ(元首相の)小泉さんに見て欲しい」という文章があって、なるほどと。暗喩と寓話もたっぷりなので、たぶん人によって、いろんな読み取り方ができる映画でもあるのだ。

 もし機会があれば、ぜひどうぞ。おすすめです。
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2009/9/18

「花と兵隊」の藤田さん  映画/ドラマ

小学生の頃に習ったことは、身に染みつくように覚えているものである。その分、その後、「あれはマチガイでした」と言われても、修正するのは難しい。

 太陽系の惑星は「水金地火木土天海冥」のままだし、源頼朝や足利尊氏のビジュアルは、当時、歴史の教科書に載っていた各肖像が、反射的に思い浮かぶ。理科系はともかく、歴史は時間が経つにつれ現代史が増えて行くだけの変化だと思っていたけれど、どうもたった30年やそこらで、あちこちに修正が入っているようだ。でももう個人的、反射的には修正はむずかしい。淡々と教えられた教科の知識でさえ、そうなのである。

 それなら熱意を持って徹底的に叩き込まれた戦時中の教育を受けた人々は、戦後どうやって過去の日本や自分自身と折り合いをつけたのだろう?という問いを、映画『花と兵隊』を見て、改めて考えてしまった。

 なおかつ戦時中の自分の行為の記憶とどのように向き合っているのか、あるいはどのように向き合わないでいるのか。

 たとえば坂井勇さんは、ブラジル生まれの日系ブラジル二世なので、根っこは日本人だとはいえ、日本人のアイディンティティーについて、(インパールで地獄を見たものの)他のひとほどには悩まずにすんだのではないか。
 タイで事業を成功させ、難民達を援助し、カレン族の妻とは偕老同穴を絵に描いたような仲むつまじさで、多くの家族に囲まれ幸せな晩年がカメラに収められている。多くの人々に慕われ、人間的にも穏やかな好々爺だ。

 ところが藤田松吉さんは、まるで坂井さんのネガのようだ。藤子不二雄の漫画に登場する、うるさ型の盆栽を愛する(そして彼の家には、少年達の野球のボールが飛んで行く確率が高い)じいさんのようにとっつきづらい。ほとんどケンカ腰なの?というような怒声で語り、会話をシャットアウトの方向に持って行きたいかのような剣幕である。おまけに典型的な軍国教育を受けた人である。目の前に彼がいたら、確実にドン引きするだろう。

 しかし、何度か藤田さんを見ていると、なんというか、真実がにじみ出てくるようなキャラなのだ。過去や現実をありのままに見つめ、だからよけい自らは苦しい。取り繕う、というところが一切ない。逆に他の人が言えば露悪的なの? というくらい正直な(たぶん自らをひどく傷つけながらの)不器用な語りは、まっすぐ映画をみているひとまで届く(と思う)。自分に正直な人故、辛い戦争の記憶を、リアルに同伴しながら人生を歩いた人なのだ。だから彼の苦しみは大きい。それにもまして「怒り」は大きい。

 彼は長い年月を費やし、日本兵の遺骨を800体集め慰霊塔を建てたのだけれど、それは何にも増して「怒り」によったのではないか。「これが自分がしてきたことへの理(ことわり)だ」と彼はいう。日本(=天皇)の戦後のまるで自分たちへの裏切りのような姿勢についての、絶望感と怒り。それが彼を駆り立てたようにも思える。

 そんな彼にとっても唯一表情がやわらぐときがある。すでに亡くなってしまった妻の写真を見るとき。彼女の思い出を語るとき。
 しかし彼女があっけなく亡くなったことを話す彼の中には、どこかに「自分のやってきたことの報いでは」という陰りを見た気がして、胸が痛んだ。

 彼は映画の完成を見ること無く、坂井さんとともに鬼籍に入った。蓮の花は、泥の中から茎や葉を伸ばして水上に美しい花を咲かせる。藤田さんは、この映画で、ついに人生の花をひらいたのではないだろうか。
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2009/9/17

そんなこんなで  映画/ドラマ

 1時間かそこいらの東寺見学を3日も書いてしまった。それは、それなりに感じる所や思う所の多い場所だったからなのだけれども、もちろんそれだけではない。

 そう、東寺はあくまで「ついで」だったのだ。メインは映画。タイトルは『花と兵隊』。若い監督の第1作品でドキュメンタリー。それについて書くための時間稼ぎだったりもしたのだ。これは(私には)しばらく寝かせておかないと感想をいうのが難しいタイプの映画だったから。言葉にするのが難しい部分で、受け取るものが大きい映画だったからだ。この映画を見る前に、ネットで感想などを読んでみたのだが、いまひとつピンとこなかったわけが見てわかった。なるほど。

 そもそもこの映画を教えてくださったのは、例のごとく蕃茄さんなので、その記事もあわせてどうぞ。

 以前ご紹介してくださった『蟻と兵隊』で、すっかりドキュメンタリー映画にはまってしまったので、今回も、と思い立ち、この近くで見られる映画館を検索したら、京都でひとつ見つかったので、今回出向いてみた訳である。

 もっとも当然のことながら、『蟻と兵隊』とは全く趣を異にしている。あのまばたきすらもったいないような、緊張感あふれる画面ではなく、うっかりすると睡魔に負けそうになったくらい、(良い意味で)「ゆるい」画面だった。戦争がテーマの映画にしては、不思議なくらい自然体。

 監督は撮影時、若干28歳の松林監督。もうアジアの危ない場所を好んでバックパッカーしているような兄ちゃん、という風体。でも社会派な気負いや、ムネに渦巻く反戦な正義感は、みじんも感じない。意外にも、ものすごい自然体。

 この自然体こそが、しかしこの映画の魅力であり、強みであり、個性であり、力なのかもしれない。それは見終わったあとに効いてくる。
 
 第2次大戦中、酸鼻を極めたインパール作戦を経験し、そのまま終戦後もミャンマー(ビルマ)やタイに残った6人の未帰還兵たち。90歳前後の元日本兵を20代の若者がインタビューする。

 ちょっとはらはらするような素人っぽい(あるときはあまりにもダイレクトな)インタビューなんだけど、それは相手の言葉を引き出す呼び水というよりは、大きく言えば「そのひとの過去と現在、すべてを引き出す」ように見えた。たとえ相手が言い澱んだとしても。沈黙したとしても。言葉では伝わらない何かが、まるごと雪だるまのように大きく膨れ上がりながら転がってくるようだった。

 村林監督は3年もの年月をかけて、この映画を作ったそうである。もう元兵士の方々とほとんど「お孫さん状態」という関係になったのだとか。そういえばドキュメンタリー映画では、カメラをまわす前にいかに被写体になる方と関係性をつくるかが第1歩だというのをきいたことがある。もうすっかり彼らの生活の中に村林監督が「いる」から、画面が「ゆるい」のだ。リラックスできる画面なのだ。

 「戦争と人間」というテーマなのに、まったく意表をついた作り方というか、構成で、見たことのないアングルから、「ああ、戦争ってこういうものなんだ・・・」とちゃんと伝わってくるのが、スゴイ。いままでにない切り口。

 ここまで書いて力尽きる。あしたまた、続けたいと思う。

 あと個人的には、監督もちょっと引いていたくらい一見横柄で怒りに満ちた、コミュニケーションがいかにも苦手そうな元兵士・藤田松吉さんが、きわだっていい。彼が登場してからは、もう画面に釘付けだった。
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