著書『春の予感』へ収録
春 暖
一
女子短期大学に通う由利香の祖母のツルが、公民館主催の熟年大学へ行き出したのは、昨年の四月第二日曜日からだ。
「ツルつぁん、さわやか熟年大学に、一緒に行かねぇか。広報に載っていただろ。見なかったか」
と、祖母の幼なじみの中田耕助が、町の広報紙を持って来たのがきっかけだった。
ツルと耕助は同い年だ。茨城県南の町に住んでいながら、宮城県生まれの二人は、いつまでも生れ故郷の方言を使いあっている。孫の由利香が聞いていても、時々解らない言葉がある。
「八十にもなって勉強するのかね。それにわたし、中学までしか出ていないよ。高校行かないで、いきなり大学でもいいのかい」
玄関で話しているのを聞いていると、由利香が顔を出すのさえ気が引けるほど仲がいい。
「んだ。幾つになっても勉強するっつうことは良いことだよ。なに、大学とは言っても、まぁ、そんなもんだよ」
耕助は盛んに勧めている。
「だけど、公民館まで遠いよ」
ツルと由利香の暮らす家は町外れにある。公民館までは五キロ程離れている。
「町のバスで送り迎えしてくれるんだ。なぁんにも心配いらねぇ」
耕助は、とにかく行くべぇよ。とツルに何度も言っている。
「そうだね、一緒に行こう」
耕助の家までは一キロ位しか離れていない。ツルの返事を聞くと、ツルつぁんの気が変わらねぇうちに帰ろう。と耕助は自転車に乗って帰って行った。耕助の置いていった広報紙には、一年間のスケジュールが書いてあるが、講義内容と講師の名前は四回目からは未定となっている。
四月 さわやか熟年大学開講式
五月 長生きにいい食べ物
六月 自然の中の日本人
七月 心と体
「由利香。三回までの講義内容はなぁんとなく判るような題名だね」
ツルは由利香が読み上げる講義内容に、満足とも不満足とも取れる言い方をした。
「そうね。なんにしても、係の人達がいろいろ考えてやってくれるのよ」
由利香も勧める方向で言うと、ツルは納得したように頷いた。
「それに、家に独りで居たのでは体に悪いわ。お父さんもお母さんも転勤先に住んで居るのだし。私が学校に行っている間は一人なのだから、そのようなところへでも行って、ハツラツとしていてくれれば安心だわ」
由利香は本心からそう思った。由利香の父は会社勤めだ。福岡に転勤になって二年目になる。単身赴任でも良いと父は言っていたが、祖母のツルが、父に体調を崩されても大変だし、何かと心配の種が出きても大変だからと、母にも一緒に行くように勧めたのだった。離れている父母にしても、由利香と同じ思いに違いない。
「そうだね。行くことに決めよう」
ツルは多少の迷いがあったようだったが、
「耕助つぁんとは近所に住んでいても、さっぱり同じ目的で行動したことがない。たまにはそれも良いかもしれないね」
と嬉しそうに言った。
さわやか熟年大学開講式の日、ツルは由利香が誕生祝に買って上げた洋服を着込んだ。オレンジ色を基調にした花柄のウールのワンピースだ。それに、まだ肌寒いこともあってその上にベージュの半コートを羽織っている。由利香は、
「おばあさんとっても似合うわ、私の見立てもまんざらじゃないわね。今日は楽しんで行ってらっしゃいね」
と言って送り出した。
町のバスは集会所前で乗れる。ツルが集会所前で待っていると間もなく耕助がやって来た。いつもはセーター姿の多い耕助が今日はスーツ姿だ。
「ツルつぁん、待たせたな」
「耕助つぁん、えらくおめかししているね」
ツルは耕助の頭から靴先まで見て言った。
「そんなことはない。オラ、出かける時はいつでもこんな風体だ」
耕助は顔を赤らめながらネクタイを触った。
「背広にネクタイなんかして。そのネクタイ誰が買ったのよ」
ツルは聞きようによってはやきもちに聞こえるかもしれないと思いながら言った。
「これかぁ。死んだおっ母だ」
「ふーん。奥方の見立てですか。どうりでぴったりと似合っているね」
耕助はツルの気持ちを測りかねているようだが、悪い気持ちはしないらしく笑顔だ。
「少し派手だけど、なに、気持ちから若返らねぇと」
と、耕助が胸を張った。
「そうだね。わたしも良いでしょ」
ツルも負けずに胸を張って見せた。
「ん。ツルつぁんもいいよ。やっぱ死んだ旦那殿の見立てですか」
「これは、孫の土産だ。なんでも東京で買ったらしい」
「ツルつぁんは、昔から色白だったもの。その洋服はいいな。似合う」
二人が互いに褒めあっていると、バスがこちらに向かってくるのが見えた。町のバスには他の町内から乗った老人が十三人乗っていた。皆賑やかに話し合いながら、中には菓子を出して周りに振る舞っている老婆もいた。バスはそれから三か所停車して七人を拾うと、開講式の開会時間より三十分早く、公民館の玄関に横づけになった。
「足下に気をつけて下さいよ」
バスを運転してきた町の職員が、一人ずつ手を取って降ろしてくれる。ツルの手を取り降ろし、次に耕助に手を差し伸べた。
「オラまだまだ大丈夫だ」
耕助は手を払う仕草をした。ツルと違って足腰は強いと見える。姿勢も良く機敏な動きをして若々しい。
さわやか熟年大学の開講式は、三十五人の受講生を迎えて始まった。ツルはこれから何が起きるのか、期待に胸がときめいた。
「耕助つぁんはあの中で一番若い」
昼近くにツルが戻ってきた。由利香の顔を見ると大きく頷いて見せた。たった半日のうちに若返ったようにさえ見える。由利香は熟年大学を勧めてよかったと思った。
ツルは、月一回の熟年大学に行く数日前から衣装の準備をしている。たまたま登校する予定のない由利香を捕まえては、この洋服はどうだろうかと聞いたりする時もあった。由利香のアドバイスは素直に聞く方だが、何にも聞かない時もある。そのような時は決まって派手な色合いのものを着ている。年を取ると肌の色も悪くなるし、化粧をしないツルは色白ではあるけれど、やっぱり地味目の色は年寄り臭くする。
七月になって暑い日が続いた。由利香は元気なツルに安心している。福岡に住む父母には時々報告がてら電話を入れた。
七月の受講日は朝から暑い日だった。ツルと耕助は最前列の席に着いた。
「ツルつぁん、今日の講義は『心と体』だよ。前回は『自然の中の日本人』という内容だったな。自然界の一員としての役割はどうだろうか。という話だったが」
「ん。そんなこと考えずに暮らしている人が大方だよ」
「まったくだ。我さえ良ければいい。子供も欲しくない人が多い」
「そう言うわたしも、娘一人しか育てなかった」
「仕方ねぇべ。旦那殿は体が弱かったからな。オラのところは四人だ。しかも男ばかりだから、こりゃあいいと思ったけど、末の息子はまだ独りでいる」
熟年大学の受講室の白板には大きく『心と体』と今日のテーマが書いてあり、講師名は安田明としてある。
開講日には三十五人いた受講生が、今日は休んだ人もあるらしく若干少なく感じる。皆が思い思いに隣席の人と話していて、会場内はざわついていた。
十時になると六十歳位の安田が入って来た。世話人が安田の略歴を紹介して講義の始まりを受講生に伝えた。
「みなさん、こんにちは。安田です。今日のテーマは心と体。心が健康でないと体の方も不健康になってしまいます。今日はどうしたら心身ともに健康でいられるかお話したいと思います」
安田は縁無し眼鏡の中から、老人一人一人の顔を見るようにして話し続ける。
「一番の活力源は、何と言っても恋愛をすることです。年だなんて言わずに、皆さん恋をしましょう。して下さい」
会場内が笑いに包まれた。ツルも耕助も笑った。ツルは、自分は既に恋を語る年齢ではないと思う反面、もう一花咲かせられたら咲かせてみたいものだなんて、密かに思った。
ツルは三人姉妹の長女だ。遠い親戚の三男坊を婿に迎えて家を継ぐはずだったが、両親と夫の確執で、娘一人を生んだ後にやむなく故郷を離れた。暫く東京で生活をしていたが、職を点々とした夫と共に東京近郊を移動し、四十年前に現在地に落ち着いた。偶然にも、幼なじみの耕助の住んでいるのを知ったのは、それから暫く後であった。
ツルの夫は、飲む、打つ、買うの、三拍子そろった人であった。それが祟ったのか、若い時から体調を崩していて仕事も不安定であった。だが、四十歳近くなってからは体力も戻り、仕事も安定してきた。娘を可愛がり、やっとツルは安心して暮らすことが出来るようになった。
夫は七十歳になったとすぐ脳溢血で倒れ、三日後に亡くなった。夫の葬儀に耕助が来てくれたことから家族ぐるみのつき合いが始まった。それから四年後に、長年床についていた耕助の妻が逝ってしまった。耕助は息子夫婦と孫二人と暮らしていたが、それでも気が抜けたようにうちひしがれていた。ツルの慰めの言葉も虚しげに聞いていた。
講師の安田の話を聞きながら、夫に恋したという程でもなく、黙々と歩んできたとツルは自分の人生を振り返った。
帰りのバスの中は、今日の講師が言った、『恋愛していますか』で終始した。
「ツルつぁん、恋愛だって。オラもしてぇな」
耕助は冗談とも本気ともつかない言い方をした。バスの中に笑い声が溢れた。
「あら、何を言うのよ、耕助つぁん」
ツルの顔がほてってきた。俄かに、夫の顔や娘夫婦の顔が浮かんできた。
二
由利香は、祖母のツルがますます輝いてきたように思った。毎月一回のさわやか熟年大学に元気に通っている。暑いさなかの盆月は休みとなった。
四回目の受講日の朝電話がかかった。耕助からだ。受話器を取った由利香に、
「ツルつぁんに、今日は体の具合が悪いから、熟年大学は休みにするって言ってくれ」
と言う。幾分だるそうな声だ。
「まぁ、風邪ですか? おじさん」
「風邪だよ。夕べから調子悪かったんだ。止めればよかったのに風呂さ入ったもんで」
耕助は軽い咳をした。
「お大事にして下さい。おばあさんに替わりますから」
由利香から受話器を受け取ったツルは、
「わたしも少し鼻水が流れているのよ。わたしも休みにします」
と言った。確かに朝から何度も鼻をかんでいる。耕助と一緒に行き出したことでもあったので、一人で行くのが億劫になったのかもしれない。
ツルは行かないと決めると、陽の差し込む窓側に小さなテーブルを出すと新聞を広げた。熟年大学に行くようになってから、前よりも増して新聞を丹念に読むようになった。由利香の知らない情報を得ている。時々、
「今の若いものは活字離れで困ったものだ」
などといわれることもあった。
由利香が祖母と自分の洗濯物を干し終えた時玄関のチャイムがなった。どなたですか、とインターホン越しに聞くと、
「オラだ。耕助だ」
耕助の辺りを憚るような声が返ってきた。由利香は、朝風邪をひいたと電話をかけてきていた耕助の来訪に、何事かあったのかと思った。玄関を開けると耕助が首をすくめて立っていた。
「風邪をひいていたのではないのですか」
由利香と耕助の言葉のやり取りを聞きつけて、ツルも座敷から出てきた。
「なに、別に用はなかったけども、オラの家の皆は、稼ぎに行った。公民館に行かないと思ったら、なんとなく時間をもてあまして。由利香ちゃんの顔見たくなった。だから、来たのだよ」
耕助は照れたように笑った。
「まっ、おじさん。私じゃなくてツルおばあさんなのでしょ」
由利香は可笑しくなった。照れている耕助の皺の深い顔が、可愛くさえ思えた。
「今、お茶飲んでいるところ。いいでしょ、上がってよ」
日当たりのいい場所に座布団を出してツルが茶を勧めると、耕助は少しためらってから座った。
「すまねぇ。ごちそうになります」
由利香は向かい合ってお茶をすすっている二人を見ると、もしかしてこれは、恋愛なのかも知れないと思った。
「ゴホン、ゴホン」と耕助が咳込んだ。
「グスン」とツルが鼻汁をすすった。
一旦風邪の治っていた耕助が入院してしまった。ツルはなんとなくためらっていたようだが、三日後に、由利香に耕助の入院先まで連れて行ってくれと言った。
病室に入って行くと、入口を中心にして左右に三台ずつのベッドが並んでいる。耕助は仰向けに寝ていたが、ツルと由利香の顔を見ると半身を起こした。すまねぇなぁと、不精髭を指で摩りながら言ったが、言葉にも顔つきにも元気がない。
「今日は熟年大学の日じゃなかったか」
耕助は受講日を忘れていなかったようだ。
「わたしも今日は休みにしたよ。やっぱり一人で行くのもいやだし」
ツルは少し俯いて言った。由利香や他の患者がいることも眼中にないようだ。甘えるように耕助に言った。
「来月までには退院できるよ。あの時、ツルつぁんのところへ行かないで、家でおとなしく寝ていれば良かったのだよ」
「早く良くなってよ」
「ああ、大丈夫だ。ツルつぁんと由利香ちゃんの顔見たからな、元気になれそうだ」
二人を見ていると、その場にいることも憚れるような感じさえする。
看護師が病室に入って来た。
「まぁ、中田さんにお友達がいらっしゃったの。よかったわね。もう充分お体の方もよくなっていますのよ。先生もこれで食べられれば、じきに退院できるっておっしゃっているわ」
看護師は、耕助のパジャマのボタンがはずれているのを見つけると掛け直した。
「頑張って夕食からは食べましょうね」
子供に話しかけるように言った。
ツルと由利香が見舞いに行ったのを境に耕助は食欲が出て、それから四日目に退院したと電話があった。
最後の受講日はツルが腰痛になって休んだ。
毎回互いに連絡を取り合っているので、その日はツルが耕助に断りを入れたのだった。
耕助はぶつぶつと口の中で何かを言っていたらしいが、一人で行くと電話を切ったようだ。
正午過ぎ、由利香が昼食の支度に取りかかろうとしていた時玄関のチャイムが鳴った。
「お昼の寿司届けに来ただけだ」
耕助が折詰の寿司を手にしている。前からスマートな体格であったが、幾らか痩せたようにも見える。声は元気だ。
「オラも一緒に、ここで食べていくべぇ」
耕助は三人分の寿司を買って来ていた。
由利香は急いで湯を沸かして茶を入れた。ツルは腰が痛いと言いつつも、嬉しそうな顔をした。
閉講式の朝、中田家の嫁から電話がかかってきた。電話を受けた由利香に、
「町のバスが故障したため、閉講式には各自で来て下さい」
と、公民館から連絡があったと言った後、
「それと、うちのおじいさんは風邪をぶり返したようで、寒けがするって床に入っています。申し訳ございませんがツルおばさん、お一人で公民館の方へお出かけして下さい」
と言う。
「また風邪ひいたのですか。すっかり良くなっていたようでしたのに。分かりました。祖母に伝えておきます」
由利香の報告を聞いたツルは、落胆したように見えたが、由利香に公民館まで車に乗せて行ってくれと言った。
祖母のツルは薄化粧をしている。いつの頃からするようになったのか、ファンデーションと口紅、うっすらとブルーのアイシャドーまでつけている。洋服はどこで買ったのか、淡い花柄の上下の服には、ラメが光っている。助手席に乗ったツルから、微かに香水の香りがした。
公民館の会場入口には大勢の年寄りと、送って来た家族らしい人々がいた。
「お席は順番に前から詰めて下さい。ご家族の方々も参加して頂いてよろしいですよ」
係員が誘導して言った。
由利香はツルと並んで席についた。
「せっかく取って置きの洋服を着て来たのに、耕助つぁんが来なくってぇ残念だよ」
ツルが呟いた。会場には六十歳から八十歳代位の男女が、並べられた席に三十人程着いている。壇上の机に盛り花が飾られてマイクがセットされていた。壁には『さわやか熟年大学閉講式』と大きく書かれた横断幕が張ってある。
「只今より、さわやか熟年大学の閉講式を開催致したいと思いますが、その前に、残念なお知らせがあります。第一回目の講師をして頂いた鈴木善一さんがお亡くなりになりました。六十三歳でした。それから、受講生の細川文雄さんは二月に亡くなられ、宇野マサさんは今日、告別式です」
宮田と名乗った五十歳代の男が開会宣言と不幸の知らせをした。次に館長が立ち上がった。
「平成十五年度のさわやか熟年大学は今回をもって終わります。様々な講義内容を七回続けましたが、皆さんお体の具合やお家の都合で無事参加出来た方は少ないです。卒業証書は皆さんに差し上げたいのですが、今回は五割以上参加した十八名に限らせて頂きます。ですが、どうしても欲しい方は五割以下でも特別に差し上げますのでお申し出ください。また、四月から新年度の熟年大学が始まります。皆さん、また是非参加して下さい」
会場内がざわついた。ツルがつき添っている由利香に口を近づけて言った。
「秋になってから体の調子が悪かったので、三回しか参加出来なかったよ」
「欲しいと思うのなら頂いたらいいじゃないの。遠慮しないで」
ツルは暫く迷っていたが貰う気になったらしい。腰を浮かしている。
「耕助つぁんは何回だったかな」
「一緒に貰っていってあげたら」
「代わりに貰ってもいいのだろうか」
「きっと大丈夫よ」
不安げな顔のツルに、由利香は右手の親指と人差し指で丸を作って見せた。
「証書二人分貰おう。来年はもらうことが出来ないかもしれないし」
ツルが意を決したように立ち上がった。壇上では、受講生一人一人に卒業証書が館長から手渡されている。ツルは耕助の分まで受け取って、深々と頭を下げた。
三
「耕助つぁんが死んだぁ」
桜が咲き始めた日の夕方だ。由利香が学校から帰って来ると、ツルが気落ちした声で言った。
「風邪は万病の元というのは本当だよ。急に悪くなったらしい」
返す言葉を見つけられないでいる由利香に、ツルが声を絞り出した。
「わたしと同級生だから八十一になったばかりだ。まぁだまだ勉強していたかっただろう。可哀想に。今夜通夜で、明日葬式だって」
ツルの声がだんだんと小さくなる。背が丸まって鼻を詰まらせた。由利香はツルの背に回りそっと抱き締めた。それを待っていたように肩を震わせたツルが、呷くように泣いた。
由利香は唯ツルを抱き締めていた。いつもはテレビをつけっ放しにしていて、何かしらの音がしているのに今夜は静かだ。
ひとしきり泣いていたツルが、由利香の手を解くように立ち上がった。手の甲で涙を拭くと奥座敷に入って行った。由利香もついて行くと、タンスの前に黒の和服と洋服が出されていて、そこへツルが座った。
「どうしようかと思ってよう。和服にしようか、洋服にしようか。耕助つぁんが亡くなったと聞いた時から迷っていたのだ」
ツルは由利香に相談でもするように言った。先程の嘆き悲しむ姿から一変して、気丈ないつものツルに戻っていた。
「おばあさん、私も一緒に行くわ」
「そうか、耕助つぁんも喜ぶよ。決めた、通夜は洋服で、葬式には和服を着て行くことにする」
衣文掛けに掛けた黒の和服を長押に下げながら、仏壇の夫を見やりツルが言った。
「あんたぁ、耕助つぁんもそっちへ行ったよ。わたし、まだまだ当分行かないから、迎えに来ないでおくれ」
耕助の通夜に行く道すがらツルは、平成十六年度のさわやか熟年大学へも、また通うつもりだと由利香に笑って見せた。
おわり
米岡元子の書庫です。
エッセー、短歌、小説、俳句、童話、ショートストーリーなどを収録してあります。
ごゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
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