2018/2/6 22:16

ほんとはそれぞれの人数も書き込もうと思っていたけどもスペースが無さ過ぎてやめた(ーー;
思い出しだけで書いてみたので、間違いもあるかもです。
当時、三成さんは大垣城の少し手前のお城を守りつつも、いろいろと細かな指示を
なんと自分で馬に乗って知らせにいっていたとか;;
かつての奉行仲間らも実際には東側に寝返っていて、
西側としてまともに動いたのは「大谷吉継」「小西行長」「安国寺恵瓊」・・・だけだったのかも。。。
素人考えとしては、長宗我部さんと毛利・吉川さんが全力で動いていたら、
小早川秀秋も裏切らなかっただろうし、家康自体は倒せたかもしれないですね。。。
その場合、徳川秀忠が幕府を維持できたかはかなり怪しいと思う。

ただ、それがはたして幸せなことだったかは・・・怪しいかも。
↑の場所は・・・

家康の本陣でした(・・; ここの裏にあるコーヒー屋さんが美味しいです。
でも先に岐阜とかの駅で食べ物をいっぱい買っていくことをかなりオススメします。。。
パノラマっぽい絵

なにやらイベント中でした。グッズを買いまくってしまったー(・・;!!

歩いてまわるにはかなり時間がかかると思います。
写真撮りながらだと、関ヶ原だけでも5〜6時間は欲しい感じ。


岐阜からは大垣城や関ヶ原にはかなり近いです。しかも続100名城に選ばれました〜!

・・・でも実はこの日、いろいろな都合で大垣城へは行けなかったのです><B
なので、次回のおたのしみにしておきます^^
〆としては・・・。
なんだろうなぁ。
家康は相変わらず嫌いなんですが、三成さんもちょっとどうにも信用できないので、
ここは妥協して「黒田幕府」を官兵衛さんにつくってもらうというのがいいじゃんと思いました。
2018/1/15 13:43
前回の美濃の旅が途中で中断してしまっていたので、ひそかに再開してみますー☆

名物「金華山ロープウェイ」(のチケット)
ロープウェイって結構好きなんだけど怖い(^^;


天守閣の中へ潜入しちゃいます(・・;

信長さんの朱印状ですね。たぶん複製だとは思うんですが、なぜか配置が曲がっている・・・。

光秀さんのかけていた眼鏡。かどうかはロマンにお任せします。

古田織部さんがつかっていた天目茶碗。・・・だといいなぁ(ーー;

元亀天正の頃の地球儀。でもこれ・・・漢字が刻まれてるけども、まさか日本製じゃないよね・・・。聞いたことないし。
かといって明国製とも思えないし、どういう一品なんだろう(謎)。
この時代、海の彼方のヨーロッパまで見つめていたのは信長さんだけかもしれませんね。。。
ほぼ同じ時代にチェザレなどがいたのは不思議な偶然・・・。
こういったものが江戸の中期くらいになると平戸などを特殊な例外として、
ほぼ封印されてしまうのは日本の文化にとっては陰鬱な想い出だった気がします。
というわけで、天守閣の中のレアっぽい展示物でした☆
次回はコレ!


・・・小さくて見えない><

2017/11/29 17:45
その前半1〜2巻は美濃の斉藤道三の物語。
油屋として暮らし、美濃守護代の筆頭補佐から美濃の事実上の国主へと駆け上がった一代の英雄。

斉藤道三の娘があの濃姫。信長さんの正室だった人。
明智光秀さんも実は斉藤道三さんと縁が深く、光秀さんの古典的な知識は道三から学んだらしいとか。
その意味では「本能寺」というのはどちらも斉藤道三の継承者による闘いだったのかもしれません。
まあ司馬さんのパクリなんですが(汗)

かつての長良川は実はこの写真とはかなり違った流れだったそうです。
道三の時代に一度、とてつもない大洪水があって、そのせいで川の流れが大きく変わってしまったらしい。
ただ、信長さんの時代の長良川は今と大差ないと思われます。

え〜〜〜〜と、岐阜城こと稲葉山城なんですが・・・。
これはとても難しいお城だな〜と感じました。
歴史的な意義はとてつもなく大きく、国内でもベスト3に入るべきだと思ってます。
ただ、展示室ということになると、わたしならパスします。
でも空間としてはとてつもないほど重要なんですよね〜(ーー;
最後に・・・
あたしは美濃が好きなのです〜(・・;!!
---追記
星切りの太刀についてなのですが、わたしが思うにはおそらく現存してないと思います。
