2020/2/21  22:06

名胡桃城の動画  上州群馬をゆく

お久しぶりです。みなさん、お元気でしょうか(・・;


名胡桃城を訪れたときの動画ですー^^v




最近、ユーチューブと併用して「Lbry(らいぶらりー)」というところに動画をアーカイブしてます(というか自動コピー式アーカイブ)。とても便利なのでオススメです^^v 動画は「1080P」でも見られます。もしかしたら「4k」でもいけるかもしれません。出力自体は「4k」でやってます。

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Go Pro 7 Black
Lumafusion にて編集。

ゴープロはほんとにコスパ最高ですね^^v

2019/12/3  2:08

名胡桃城をゆく(2) @上州群馬  上州群馬をゆく

こんばんは。寝たはずなのにすぐ起きちゃって、夜中に日記してます^^;


拙い「城ポートレート」ですがお付き合いくださいませ✨


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わたしの悪い癖で、せっかく写真を撮影したのに、掲載するまでにあっという間に1年とか経過しちゃうことがあります>< 想えば「沼田城」「岩櫃城」などの群馬シリーズもいつも通りに途中で休止したままで、ウェブサイトのほうにもまだページをつくっていませんでした>< 年内には間に合わせたいなぁ・・・。



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沼田や名胡桃のあたりは、ドローン撮影に向いているかもしれませんね(・・; 特に最近リリースされたマヴィックミニはいい感じ。


名胡桃城の碑石はとてつもなく大きいです(・・;

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この名胡桃城は平城な上にかなり小さめなのですが、資料館がとても充実している上に、案内の方も親切でまったりと休憩できます^^v

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この縄張り(つくりかた)は・・・

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真田昌幸っぽいな〜とか思ったり(・・; 特定の場所に敵を誘導しておいてから、包囲殲滅する空間が同じ群馬の上田城にもあったそうですが、名胡桃城にもあったのかもしれません。でも今は国道があるからわかりにくい感じもするけど;;


最後はやはりこのビューポイントで。

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ここは名胡桃城のいちばん端っこで、向こう側はもう沼田になります(お城は今は見えないらしい)。真田昌幸と幸村さんもここから沼田を見ていたのかな・・・。

時間の都合で名胡桃周辺では自販機の抹茶ラテくらいしか味わえなかったのですが、このあたりはお蕎麦とかが美味しいらしいですね♪ 沼田では蕎麦を食べたことがあるので、グルメ日記のほうに追加してあります^^v


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最近思うことがあって、500pxのほうのアカウントは休止したままにしてあります。ピンタレストが思ったよりも使いやすいのもあるし・・・。


2019/11/30  16:14

名胡桃城からハッピーハロウイーン  上州群馬をゆく

こ、こんにちは、ゆかです。めちゃくちゃ久しぶりです^^;

今年のハロウイン前は新潟や群馬に旅をしておりました。

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名胡桃城を訪れたことで、「真田三名城」を制覇しちゃいました(・・;! 名胡桃、沼田、岩櫃。どれも群馬県で、岩櫃だけちょっと中央よりかな。沼田と名胡桃はかなり近いです。


紅葉の時期は終わってしまっていたけども、少しだけ残り香が・・・。

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今年はこのゴープロが予想以上に活躍してくれて、いろいろ楽しめた一年でした。3万円程度で三軸補正までついているコスパ最高のツール♪

もともと、なんでゴープロとかミニ動画をはじめたかっていうと、2年くらい前から体調がものすごく不安定なときがあったんですよね。で、普通の写真撮影にカラダが耐え切れない時期があって、それでも何かを自分なりにつくっていきたくて、一眼カメラでタイムラプスをはじめたのが、動画系への入り口でした。

幸い、オペ受けてから体調が大分回復していて、二泊とかでもとりあえずは旅行できるようになりました^^v でも飛行機はまだ試してなくて気にはなってます。。。

名胡桃城のウェブサイト日記は、どれもレティーナという超高解像度で準備してます✨

ではまた次回〜^^v

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2018/11/23  16:48

あのとき岩櫃城へ行っていたなら・・・  上州群馬をゆく

時は天正10年(1582年)の2月の夜。真田昌幸さんのところへ秘密の手紙が届く。

”武田家はもはや滅んだも同じ。わが織田家は武田家とは長く戦い続けているが敵は武田勝頼のみであり、家臣に恨みはない。もしも貴殿が武田家を離れて織田家に降伏するならば、沼田城、名胡桃城、上田城、岩櫃城は安堵し、家臣として召し抱えてもよい。 - 署名:織田信長、織田信忠”

とのこと。しかもあのろくでもない穴山梅雪@武田家親類衆筆頭(汗)の添え状つき。真田昌幸さんはこの手紙をもって武田勝頼さんのもとへ会いにゆくのですよね(・・; 武田勝頼を裏切ることはできないから、自分の領地である岩櫃城へお連れするのだ!って。天嶮の岩櫃城ならたとえ4万人の織田軍相手でも、籠城してチャンスをうかがえると。

そこで、岩櫃城へゆくことができなかった勝頼さんの代わりにわたしが行ってきました(・・;

このあたりはまだまだ入り口付近で、本丸はもっと上にあります。そこよりもさらに上に二の丸があるという珍しいつくりになっています(うちらは入り口とスタンプまで)。

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今では道が整備されていますが、400年前の当時はかなりの山道だったと思います。

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お城にひたすらこもることを籠城と言うけれども、これは「食べ物」と「水」の2つが無くては全然意味がなくて、すぐに落ちてしまう。でも岩櫃城はかなり広い面積な上に、この山を包囲することは不可能。しかも野菜や水などもお城の敷地内で入手できそうなので、ここに籠城すれば1〜2年は持つかもしれないという雰囲気。


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でも運命とはどうしようもないもので、武田勝頼は結局この岩櫃城へは行かずに、小山田信茂という家臣の守るお城・岩殿城へ落ち延びます(噂では勝頼軍はもはや500人くらい)。しかもそこで裏切り(小山田信茂の家臣の独断によるものだったとか)にあって、天目山へ退避。わずか20人くらいとか。古代中国の時代に、劉邦に破れて落ちのびた項羽みたいな状況です。

岩櫃城へ向かっていたなら・・・。歴史は少しは変わっていたかもしれない・・・。ただ、どちらかというと勝頼から信用されなかった真田昌幸さんこそむなしいよ><

続100名城「岩櫃城」にて。

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参考資料:
真田三代、武田勝頼、真甲陽軍鑑


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