1988年 デビュー
1999年 活動休止
2004年 クレヨン社ってまだいたの?
2010年 クレヨン社はここにいる。
2020年 公式 クレヨン社は『まだ』ここにいる。
以降、細々と現在に至る。
前回の柳沼が書いてくれたように、クレヨン社事務局を支え、アルバムの通販を担当していた木下恵が亡くなりました。
亡くなって4カ月が過ぎようとしていますが、一向に前向きになれない私に替わって、柳沼が前向きに歩き出す第一歩として、先に書き込んでくれました。
以下に添付するのは、木下恵が亡くなったことを知らせるべき友人や知り合いに宛てたメールです。
クレヨン社と共に生き、クレヨン社を愛し、クレヨン社の作品を愛し、そしてクレヨン社ファンを心から愛し、最後まで懸命に生き抜いた木下恵を、クレヨン社ファンのみなさんに知っていただきたく添付します。
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このメールは私のアドレス帳から、木下恵と親交のあった方のアドレスに一人づつ送信させていただきます。
木下恵は、2016年9月24日午前9時12分、戸田中央総合病院にて亡くなりました。
56年と7ヶ月の人生でした。
そして彼女らしい最期でした。
木下恵は10年前に乳がんを発症し、術前抗がん剤治療後に切除手術を受け、再発予防の治療と定期検診を続けながらも元気に過ごしてきました。
ところが、今年春ごろから続く咳や腰痛から、精密検査を受けたところ、再発していたがんが、すでに多臓器に転移していることがわかりました。
それでも彼女は体の続く限り、国立がんセンター中央病院に入院通院を繰り返しながらギリギリまで仕事を続け、懸命に治療に取り組んできました。
しかし、容態は日々悪化する一方で、再発確認から4カ月後の9月21日の夜に容態が急変し、22日に救急搬送、23日をなんとか持ちこたえてくれたものの、ついに力尽き、翌朝、私が見守るなか、静かに息を引き取りました。
木下恵が亡くなる2ヶ月前に書いた遺書の内容を要約して、以下に記します。
●自分が死んだときは、一切の宗教行為なしの直葬にして、参列は私(加藤秀樹)と妹のみとすること。
●知らせなければならない人には、火葬後に知らせること。
●家には仏具等を一切置かないこと。
みなさんの中には臨終に立ち会えなかったことや、葬儀に参列できなかったことを残念に思ってる方がいらっしゃるとは思いますが、彼女は自分のことで、みなさんに心配や負担をかけることを人一倍嫌がる性格であったことを、ご理解いただくようお願いいたします。
木下恵の遺志通り、9月26日に荼毘に付し、そして木下恵の遺志通り、こうして火葬後に、彼女が亡くなったことを、みなさんにお知らせさせていただいております。
私としては、木下恵の映像素材を集め、みなさんに彼女を偲んでいただく機会を作りたいと考えていますが、今は映像を見返す気力すら湧きません。
でも、きっと立ち直って、彼女を偲ぶ機会を作ってみせます。
そのときは改めて連絡をさせていただきます。
彼女の遺書の最後は以下の言葉で締めくくられていました。
「今まで出会ったすべての人たちのおかげで、私の人生がとても幸せだったことを伝えてください。そして、ありがとう、と伝えてください。2016.7.25 木下恵」