1988年 デビュー
1999年 活動休止
2004年 クレヨン社ってまだいたの?
2010年 クレヨン社はここにいる。
2020年 公式 クレヨン社は『まだ』ここにいる。
以降、細々と現在に至る。
なぜ急に動画のアップを始めたか?
3ヶ月ぐらい前から、週一のペースで過去の動画や音源をyoutubeにアップしておりますが、その経緯を説明させていただきます。
父の死
「僕らの終戦」の父の姿を撮影してから2年半後、父は入院先の病院で急に容体を崩して亡くなりました。
ほんとうに急だったので、本人はもちろん家族も死んだ後のことなど少しも考えてはいませんでした。
父の死後、私に課せられた仕事は実家の遺品整理でした。
特に問題だったのが、父が残した膨大な油彩画と水彩画でした。家族として父の作品を処分などということは考えられないことだったからです。
父の作品
そこで父の作品をすべて写真に収め画集を製作し、その後その作品を引き取ってもらうために奔走しました。
自宅と実家を往復しながらのことなので実際大変な作業でしたが、父の人望の厚さからか、手ごろな大きさの作品はほぼ、画塾の生徒さんやかつての教え子、また親戚や知人に引き取っていただきました。
また大きなサイズの作品も公共施設や学校、寺院などに引き取ってもらうことができました。
それでも大きなサイズの難解な抽象画や裸婦画などは、飾るにふさわしい場所がなく、アトリエに残されたままで、まだ遺品整理は終わっていな状況です。
私の病
そんななか、私に再発率が高いと言われる腫瘍が見つかってしまいました。
無事手術は終えたものの、今後再発によって死ぬことがあるかもしれないと思ったとき、頭をよぎったのは父の遺品整理問題でした。
「残された人が処分に困るような作品を残して死んではいけない」ということです。