今回の記事は、クレヨン社の加藤秀樹として、そして擦弦楽器を弾くものの端くれの立場として書かせていただきます。
小西浩子さんがヴァイオリンを始めたのは3歳。その後、東京音楽大学に入学、卒業後はオーケストラ、室内楽、ソロ等で演奏活動を続けていました。
そのころクレヨン社では、突然柳沼が、小編成のバンドをサポートにライブをやりたいと言い出しました。1996年のことです。
私はライブのサポートメンバーの構成に悩みました。
それまでクレヨン社はホールを中心に、弦楽四重奏を迎え入れたライブを行ってきましたが、小編成のライブハウスのステージでは、弦楽器奏者4人分のスペースの確保が難しかったからです。
そこでソロヴァイオリニストとして迎え入れたのが小西浩子さんでした。
彼女は、演奏もキャラクターも、ソリストとしての華やかさを持ち合わせているヴァイオリニストだったからです。
小西さんは、今までとフィールドが違うバンドサウンドにもすぐになじんで、会場を沸かせてくれました。
持ち前の明るい性格もあって、柳沼からもサポートメンバーからも慕われていました。
4年に渡るクレヨン社とのライブ活動後も、彼女はサポートメンバーの主宰するアラブ古典音楽バンドに参加したり、自らが主宰するコスモスカルテットなどで幅広く活動を続けていました。
時は流れ、彼女もクレヨン社もそれぞれの活動を続けていたころ、思いもよらぬ、悲しい知らせが届きました。
小西浩子が、突然、脳血管障害の病を発症してしまったというのです。
幸い命に別状はなかったものの、残念ながら日常生活では細かな動きなどに不便を感じる後遺症が残ってしまったとのことでした。
そして、あれほど愛していたヴァイオリンには触れることはおろか、ケースを開ける気持ちにもなれなくなってしまったというのです。
もう以前のように、ヴァイオリンを弾くことができない現実を突きつけられるのが恐ろしかったからと言います。
彼女は断腸の思いで演奏活動を断念し、母親の店を手伝いながらリハビリに専念しました。
店の仕事とリハビリに並行して、彼女は新たな仕事に就くため、保育士試験に挑み、2014年、保育士資格を取得しました。
そして、保育士としての新たなる道を歩み始めた5年後、思わぬ朗報が届きました。
小西浩子が、ささやかながらも演奏活動を再開したというのです。
私は高鳴る胸を押さえて彼女に会いに行きました。
あるレストランで、ピアノと共に生演奏を披露するステージでした。
ランチタイムのBGMなので、技巧的な曲の演奏はありませんでしたが、かつての彼女らしいピッチ感、耳の良さに、小西浩子の健在ぶりを目の当たりにし、私は涙が止まりませんでした。
レストランでの演奏を聴いてから2年後、2021年5月。
柳沼が実に22年ぶりに「いつも心に太陽を 2021」を歌ってくれるチャンスが訪れました。
私はこれを機会に、小西さんに「いつも心に太陽を 2021」のソロヴァイオリン演奏をお願いしてみてました。
彼女は快く引き受けてくれました。
収録日、マイクを通した小西浩子のヴァイオリンを聴いた私は、我が耳を疑うほど感激しました。
レストランでの演奏から、劇的に音色が進化していたからです。
そして、同じ日、彼女に演奏してもらったもうひとつの楽曲が、この、4本のヴァイオリンで奏でた「ユーラシアの風 2021」です。

弓を使って奏でるヴァイオリンのような擦弦楽器は、ピアノやギターのように、鍵盤やフレットを押さえれば正確な音程が出せるという楽器ではありません。
自身と周囲の音を聴いて最適な音程を探りながら演奏するのが擦弦楽器なのです。
さらに両腕をしなやかに使って、繊細かつ大胆なビブラートやアーティキュレーションを表現しなければなりません。
発症当時の小西浩子は、ヴァイオリニストとしてのセンスも、音程を正確に聞き分ける耳も全く変わらないのに、我が身に起きた思いもよらぬ突然の病によって、しなやかな表現を奪われてしまっていました。
当時の彼女の気持ちは察するに余りあります。
しかし、発症後の小西浩子は、日々の生活すべてがリハビリとなり、決して諦めない勇気で、奪われた表現力を奪い返し、発症13年めに、このような素晴らしい演奏動画を残すことができたのです。
諦めない勇気 Violinist小西浩子。
彼女は、聴く人々に生きる勇気を与えられる演奏家です。

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