2015/6/3

手仕事、手作りの必要性  日記

こんにちは。
朝から降り続いた雨は、夕方になってやみました。
もうすぐ、梅雨入りでしょうか?

今日は「手作り」についてちょっと書いてみたいと思います。

私は夏は自作のバッグをいつも持っています。
ひと夏でボロボロになってしまうくらい、あまり気にしないで乱暴に使ってしまいます。
そして、また翌年新しく作ります。

もちろん麻ひもで作ったバッグなどはそう悪くならず、逆に味が出てくれるのですが、
飽き性の私はやはり新しく作り直してしまいます。

買った方が安くて、丈夫で、使いやすいこともあると思います。
それでもやはり作りたくなってしまうのです。
出来上がったときの喜びが、忘れられないんだと思います。


私は少しおませな子でした。
小学生の頃は特におませで、流行の洋服などを好んで着ていました。
大流行した(子供は誰もしてなかった)レッグウォーマーをしてブルマを履いて体育をしていたら、男の子から「バッファローマンみたいだな」と笑われても、気にせずにいました。
タータンチェックが流行ったときも、赤と黒のタータンチェック柄のウールのピタピタズボンは、履き心地が悪くても好んで履いていました。

6年生の頃、母が仕事の合間にセーターを編んでくれていました。
編み方がわからなくなると、友達に電話をして聞いていたことを思い出します。
時々私にも編ませてくれました。棒針を持ったのはそのときが初めてでした。
出来上がったそのセーターは、朱色で模様もなく、ただメリヤスで編んだだけのもの。
裾のゴム編みがきつく、丈も短いのでおへその位置まで裾が上がってきてしまいました。
着てみると首が苦しく、全体的にピタピタで、特に脇の下がきつく着心地の悪いものでした。

でも、本当に嬉しくて、自慢したくて(でも首が苦しいので少し伸ばしたりしながら)毎日のように着ていました。

今思えば、表編みの編み方が間違って(ねじり編み)いたし、かがる糸も太かったし、特に伏せ止めはもっと太い針でやるべきだったと思います。

それでも今でも覚えているセーター。
色も形も着心地もちくちく具合も。
そして何より、毛糸玉が減り、セーターが大きくなっていく様子が嬉しくて嬉しくて、母が「肩が凝る」と言って肩をたたきながら、がんばれ!と言った自分。

母は他界し、実家のない私には、そのセーターがどこにあるのかもわかりませんが、今でも思えている記憶。
それが、手作りなのだと思います。

自分のために編むものはもちろんですが、子供や友達、自分以外のその人のことを思って作るものは、色あせないのだと思います。

デザインも素材もコスパもいい市販品も魅力的ではありますが、時間もコスパも労力も悪い手作りもいいものです。

作ってあげたい人がいるなら、その方のお手伝いをさせていただくのが私の仕事だと思っています。
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