御機嫌よう
すっかり御無沙汰してしまいました。
ありがたいことに市内の勤務地になりまして、毎日忙しく働いています。
とりあえず仕事を覚えることであたふたしています。
いつのまにか総カウントが10万を超えておりまして
ありがたいことです。御礼申しあげます。
これからも復古主義的な!?変わらぬスタンスでやっていきたいと思いますが
そういうときに写真資料というのは大きく役に立ちます。
当方では
親鸞聖人750回大遠忌法要
蓮如上人500回遠忌法要
第二十四代即如門主伝燈奉告法要
の各法要写真大鑑を持っておりまして(お寺には普通にあるでしょうけど)
ニヤニヤしながら眺めるわけですが
そんな中で最近気がついたことが2つ。
@ 蓮如上人500回遠忌法要のとき、あるタイミングだけ両堂の翠簾の帽額が萌黄色黒摺文に変わっていた
御本山両堂の翠簾の帽額と言えば縹色黒摺文ですが、
なぜか御満座の縁儀発進のときの阿弥陀堂、
御満座後法要終了式の勤行の際の御影堂だけ
萌黄色黒摺文に変わっています。
御影堂のほうは写真うつりの問題かなとも思いましたが、
阿弥陀堂のほうは完全に萌黄色でした。
「翠簾の色くらい…」という声が聞こえそうですが
違うんです。これは大きな差異なんです。
そもそも翠簾の帽額というのは萌黄色がスタンダードで、
平安末〜鎌倉くらいの絵巻物に出てくる翠簾は必ず萌黄色です。
ところがいつ頃からか縹色が登場し
現在の京都御所は清涼殿が萌黄色、紫宸殿が縹色となっています。
(ただし、紫宸殿も萌黄色に見える写真があり断定はできません)
萌黄色と縹色の違いは公私の別なのか、格式の別なのか
いまいちよくわかりませんが
ともかく御本山の翠簾は縹色というのが通例です。
ところが蓮如上人500回遠忌のときのそれも御満座だけ!?
萌黄色になっていたというのはインパクトの大きいことです。
なお一瞬文様も違う?と思いましたが
よく眺めた結果一般的な帽額文、すなわち「窠と蝶」の文様でした。
よく黒摺文の翠簾で寺紋やら何やらを別注したものがありますが
あまり歴史のあることではないようです。
黒摺文の翠簾はやっぱり帽額文でないと。
A 前門樣の伝燈奉告法要のとき、本廟明著堂の五畳台の縁は大和錦だった
現在明著堂に五畳台(両門樣の御畳)が置かれるときは繧繝縁です。
が、このときは赤地小葵文様の大和錦!!
はてはて。どうしてなんでしょうね?
どのような歴史があるのか。
なお信知院樣の壽像は赤地金七宝文様の錦縁の畳にお座りになっていますが
この畳は清涼殿など宮中殿舎の一部で使われた畳だそうです。
故実家の信知院樣らしいこだわりと言えるのではないでしょうか。

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