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見えている事と見えない事と、分けて考える。
見える事というのは、見えないことの現れだ。
見えない事が実際として見えた状態だ。
つまり、私達が考えた事、思った事、生理的に反応した事、他、意識に上っていることや、意識を通さない反射が、形(動きや行為)として現れるということだ。
武道でも「見えている事としての形」から入る。
それは、見えないこと、つまり先達の考え方や同時にある、境地というものを体感して行く為のものだ。
しかし、多くの人は「見えている事」から入るのだが、そこに「意味付け」をし、自分のレベルで結論づけることに終始する。
そうすると、見えている事は、意味付けした人のレベル以上のモノにはならない。
似て非なるものとして終わるのだ。
もちろん、とことん追求したところで先達にはなれない。
それは、人はそれぞれに違う、という公式通りだ。
しかし、ここが大事なところだ。
先達になるのではなく、自分自身をとことん追求するということになるのだ。
人の可能性は無限である。
と巷でも言われている。
それを実際として生きて行くのが、「出来ないからこそ面白い」なのだ。