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物事を考える、それは、もちろん思考であり、意識内の働きであり働かせている事だ。
それは身体操作にも当てはまる。
しかし、ここに矛盾がある。
身体は間違いなく意識で操作させて、身体に覚え込ませる。
しかし、いざ身体を何かに対して働かせる時、直接的な身体操作や思いは身体を緊張させ、滑らかな動作にはならない。
力みが入るのだ。
いわゆる無意識的に使える、無意識的に使っているという状態にならなければ滑らかにはならないのだ。
それは言葉とて同じで、意識や思いが入ると、違和感が生まれる。
これも無意識的にならなければ駄目だ。
矛盾はここだ。
無意識的にとはいうが、「滑らかに」動作、あるいは話しているという状態を管理しているのは何だ?これも意識なのではないか?
一つ突拍子もない仮説だが、神経系と同じで、脊椎反射と大脳を経由する反応と同じような仕組みがあるのではないか、というものだ。
意識はそういった層構造になっており、その無意識的と言われるような層を使う事が、滑らかな、になるのではないかと考えている。