取引先の招待で、パプアニューギニアへ行ってきた。
関西国際空港からキャセイパシフィックで香港へ、さらに乗り継ぎジャカルタへ。
国内線でウジュンパンダンからアンボンへ。
午前8時に関西国際空港を出発し、ジャカルタに到着したのは午後9時。
さらにさらに翌日早朝からジャカルタからパプアニューギニアへ向かい幾度飛行機を乗り継いだか。
私の通訳として日本から同行してくれた人は魚釣り好きだと言う78歳の御老人であった。
その御老人は南洋真珠業界でも名を馳せるほどの超大物な人物である故にうっかり軽口を叩こうものなら私などは瞬時に業界から跡形も無く消されるであろう。
そんな魚釣り好きな御老人は1本1000円の延べ竿式魚釣りセット(リール、糸、サビキ、竿など)を2本手提げカバンに忍ばせていた。
一方、私は2メーターのロットケースに高価な竿を2本と釣り道具専用の大きなスーツケースにギッシリ釣り道具を詰め込み、ダラダラ大汗をかきながら赤道直下の幻の巨大魚が棲むと言う絶海の孤島へやって来たのは電灯の明かりも無い漆黒の闇に包まれて上下、前後左右も全く分からない深夜であった。
ようやく壊れて何時足を踏み外して海に転落するか分からない危険な桟橋を進んだところに、真珠養殖基地から迎えに来たボートが二隻舫われていた。
単なる村の集会所としか思えない様な空港へ私たちを迎えに来てくれていたスタッフも桟橋に舫われているボートに乗って待機しているスタッフも全員が真っ黒で、ほんの微かな明かりの本では歯だけが白く光り人の数が分かる程度なのである。
さらい言えば余談だが、漆黒の闇の中でも自分の近くに現地人がいるな、と言う事は彼等彼女らの身体から放たれる強烈な体臭により存在感が知れるのである。
そんなこんなでボートは漆黒の海面を蒼白い夜光虫の航跡を曳きながら進んで行ったのである。
ボートの行き先の島影から1つ、2つと徐々に黄色やオレンジの電灯が見え、近づくにつれ島全体があたかも巨大要塞かと見間違うほどのと言えば少々大げさではあるが、少なくとも地方の村の盆踊りの櫓程度の明かりが灯された真珠養殖基地があった。
我々が到着した桟橋に出迎えてくれた御老人は人懐っこい笑顔の世界最大の真珠王である。
真珠養殖部門に従事している従業員数だけでも4000人以上の規模を誇ると言う。
快適なゲストハウスで一夜を過ごし、朝食を済ませて沖につき出した桟橋の突端へ行ってみれば、手のひらサイズのアオリイカが沢山いた。
それを見た同行の御老人は1本1000円の延べ竿式魚釣りセットと数個の餌木を持ってやって来て何とアオリイカを見事にゲットしたのである。
一方、私は迂闊にも餌木は4,5サイズの日本では平均的なサイズの物を2個しか持ってきていなかった。
と言うのは、まさか赤道直下のパプアニューギニアにアオリイカはいないだろうとタカをくくっていたのがいけなかった。
過去のインドネシアのバリ島の養殖筏から餌木を投げて、手のひら大のアオリイカを釣り、その場で生きたままのアオリイカを口に放り込み、くねくね暴れるゲソだけを唇から出して現地人から悪魔だと恐れられたことがあった。
イスラム教の国では、生きたままの物を食べる事は忌み嫌い、その行為は悪魔の所業と見做されるのだと言う。
また、マーシャル諸島マジュロでは、水上バンガローの下の日陰にひっそりとアオリイカが群れを成して泳いでいたのを数匹釣り上げたことがあった。
なので、せいぜいアオリイカの生息域の南端はバリ島止まりだろうと思っていたのが間違いであった。
と言う訳で、御老人の1本100円の3,5サイズの餌木にはアオリイカはどんどん集まり、我先にと抱き着こうとするのだが、私の1本4300円のラメ入り超リアルな4,5サイズの餌木には恐れをなして我先にと逃げ惑うのである。


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