昨日、競馬のことを書いたばかりですが、今日の北海道新聞の日曜版に「さらばハイセイコー」が特集されていました。ちょっと気になったので調べてみるとハイセイコーが死没したのが2000年5月4日、寺山修司と同じ命日でした。そして今日、東京競馬場では第18回NHKマイルカップが行われましたが、40年前(1973年)の5月6日、第21回NHK杯が行われハイセイコーが優勝、大井競馬場でデビューしてから負け知らずの10連勝でした。ちなみにこの日の入場者数は169,174人、これは1990年までの最多記録でした。この街の人口よりも多い数です。当然、日本ダービーの大本命になりましたが、タケホープ、イチフジイサミに敗れ3着に終わりました。当時、私は小学生でしたが引退後に新冠の明和牧場に見に行ったのを覚えています。
寺山修司とハイセイコーのつながりは「さらばハイセイコー」という最高傑作の詩を読むとわかります。
ふりむくと
一人の少年工が立っている
彼はハイセイコーが勝つたび
うれしくてカレーライスを三杯も食べた
中略
ふりむくと
一人の車椅子の少女がいる
彼女はテレビのハイセイコーを見て
走ることの美しさを知った
中略
ふりむくと
一人の親不孝な運転手が立っている
彼はハイセイコーの配当で
おふくろをハワイへ連れていってやると言いながら
とうとう約束を果たすことができなかった
中略
ふりむくと
一人の出前持ちが立っている
彼は生まれて初めてもらった月給で
ハイセイコーの写真を撮るためにカメラを買った
中略
ふりむくな
ふりむくな
後ろには夢がない
ハイセイコーがいなくなっても
全てのレースが終わるわけじゃない
人生という名の競馬場には
次のレースをまちかまえている百万頭の
名もないハイセイコーの群れが
朝焼けの中で
追い切りをしている地響きが聞こえてくる
中略
だが忘れようとしても
眼を閉じると
あの日のレースが見えてくる
耳をふさぐと
あの日の喝采の音が
聞こえてくるのだ

同名のレコードもあります。歌っているのは主戦騎手だった増沢末夫、久しぶりにオーディオの電源を入れました。

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