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2016/10/29

映画「座頭市物語」  観劇・ライブ・映画など

岡崎公園・買い物から急いで京都文化博物館へ、
お茶を買う暇もトイレに行く暇もなく
映像ホールに着くと、
既に挨拶が始まっていたが、入れてもらえた。

モノクロの古い日本映画を見る楽しさを覚えて、
今回は「座頭市物語」、「座頭市物語シリーズ」の第一作。

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     勝新太郎の演技力、超人的身体能力、

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ただただ、固唾を飲むばかりだった。 写真はこちらからいただきました。

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私がなぜこの映画を「見たい」「見ておかなくては!」
と思ったのか?…、というと…、

ずっと昔、私がまだ子どもの頃、
私のいとこの夫が、勝さんのマネジャーしていたから。

10歳を少し過ぎたころだったろうか?
「勝新太郎が歌舞伎役者の中村鴈治郎の娘(玉緒)さんと
結婚することに決まったんやって」
などと、
伯父夫婦が私の家族に話しているのを
聞いていたことを覚えている。

「勝新太郎ってどんな役者なんやろ?」
と思っても当時はテレビもなく
テレビが普及してからも、
若かりし頃の勝さんを、テレビで見ることはなかった。

中高校生になったときも、映画館に出入りできるような、
時代でも環境でもなかった。

看護・助産学生時代は学園紛争時代で大変だったし、
就職・結婚・子育て中は、
テレビすら見ることなく過ぎた。

テレビで勝さんを見たのは、豊臣秀吉の役をしているのを
見たことがあったが、なんか…、似つかわしくなかった。

私が勝さんを身近に感じたのは、
「ハワイで拳銃を購入し、京大病院に入院中の兄、
若山冨三郎の所に向かった!」

とのウワサが飛び交い、山の様な報道陣が
内科病棟のエレベータ前に詰めかけていた時だった。

私はちょうど夜間看護管理当直で
院内を巡回していた時に、その現場を通り抜けた。

しかし、報道陣の期待に背き、
勝さんは現れなかった。

私のいとこも、とうに離婚していたし、
私とは何の関係ないのだが…、
とても悲しかったことを覚えている。

その少し前、婦長見習い時代、
人工透析室に手伝い(見学?)に行ったとき
患者さんの中に、若山冨三郎さんがおられた。

私のいとこと、若山さんの奥さんは
1日違いで京大病院で出産し、
2人は仲良くしていたことを聞いていたが、
両者とも離婚していたし、
私は何も若山さんに語りかけることもなかった。

でも、若山さんの眼光の鋭さは、
今も忘れられない。

映画が終わってから、しばらく中庭で
余韻を醒ましながら休憩。

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DVDなどを借りたりすれば、
どんな映画でも観られる時代なんだろうが、
開業してから今日までも、そんな余裕はなかった。

小さいながら映画館で観る映画は
迫力があって見応えがある。

「勝新太郎という、こんな凄い役者が日本にいたんや」
ということを教えてくれた映画だった。

見て良かった〜。

これで、私の人生の「忘れ物」を
ひとつ、見つけられた気がした。
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