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手に持っているのはトラウベ
トラウベとは?

2017/6/26


黒い雨雲が重く漂い、島影も何も見えない中、
フェリーで走ること約15分、大島が見えだした。
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上陸すると、大島のベテランガイドさんに替わり

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  地図を手に、説明を聞きながら中津宮の鳥居に。

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明治三十七八年というおかしな年号。

鳥居が建てられたのは37年だが、
38年5月の日本海海戦で、バルチック艦隊を
この島のすぐ北方で全滅させたことを祝って
八を加えたそうな。

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ここは七夕祭りの発祥の土地でもあるそうな。

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 本殿の前で提示されたポスターを見ながら説明を聞く。
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宗像三女神とは、天照大神の三人の姫神、

沖津宮(沖の島)の 田心姫君(タゴリヒメ)
中津宮(この大島)の 湍津姫君(タギツヒメ)
辺津宮(宗像大社)の 市杵島姫君(イチキシマヒメ)

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三女神は、道主貴(みちぬしのむち)とも呼ばれ、
あらゆる「道」の最高神として
航海の安全や交通安全などを祈願する神。

アマテラスは、娘達に
「あなたたちは、道中(みちなか=玄界灘)に降臨して
天孫を助け奉り、天孫に祭(いつ)かれよ」と命じたのだと。

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     その言葉がここに書かれている。
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                         この杉が御神木
かなり難しい話だが、参加者は勉強家が多く、
この鰹木の3つの■と3つの●に関しての質問が出た。
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それにきちんとガイドさんが返答。
この■と●は京都の吉田神社に同じものがあるのだと、
知らなかった〜!
          これは岩松
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「 一木一草一石(いちぼくいっそういっせき)たりとも
持ち出しては ならない」との掟に背き、
沖ノ島から持ち出した男性が、その後体調不良に陥り、
怖くなってここに返しに来たものだとのこと。

これは本殿の裏にあるバクチの木
    「この木の皮を持ち帰って、乾かして持っていると、
     バクチに勝てるとの言い伝えがある」とガイドさん。
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           私の人生もバクチのようなものだから、
          「勝たねば!」と思い持ち帰り乾かした。

霧雨の降る中、中津宮を抜けてしばらく歩くと、
御嶽山登山口に差し掛かり、
設置されている布袋竹の杖を借りて、急坂登り。

もう1年ほど急坂登りなんぞしていないので
ハーハーと息は切れるわ、
太ももはガクガクするわ…、情けない。

「70歳の大台に乗った」と言うガイドさんは、
歩きなれているのか、とても元気でに話し続け
ハーハーのそぶりもなし。

やっと御嶽山(みたけやま)の展望台に到着し、
御嶽神社の鳥居を背に記念撮影。
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霧雨は止んだが今度は濃霧。
雲の中を歩いているようで情緒たっぷり。
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周囲は牧場で、ウシや

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   小ヤギの姿が見える。

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その隣には動物の白骨かと見間違えてしまった物体が。
ヤギに食べられた木の残骸とのこと。

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日本のヤギとは違うみたいだし、
凄まじい貪食性のようで、
周囲には小さな雑草の1本すら見当たらない。

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雑草対策には良さそうだが、恐ろしい。
こんなヤギがたくさんいたら、
地球は砂漠になってしまいそう。

しばらくすると饅頭のような小山。

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このあたり一帯は太平洋戦争時の要塞で、

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饅頭形の山の下には通路と
敵に見つかることなく海を監視できる部屋がある。

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周囲には砲台跡や

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弾薬庫の跡もあるが、

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実戦では一度も使われなかったのだと。

 この少し北が日露戦争における、日本海海戦の戦場。
  バルチック艦隊と日本の連合艦隊の砲撃戦で
  ロシア側4850名、日本側117名が亡くなった。

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   その英霊が祀られている慰霊碑

今はイノシシが8年前から住み着いて困っているらしいが
ノイチゴがたわわに実り、長閑な光景が広がる島。

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しかし、ここは自然現象による海難事故だけでなく、
戦で多くの人が亡くなった地。

百済の役、文永・弘安の役という2度の元寇、
倭寇は常時…、
文禄・慶長の役という2度の朝鮮出兵、
日露戦争と、戦場となり続けた地。

「地理的にも、そんな地となることを予見して、
沖ノ島・大島・宗像という祈りの場が
必要だったのでは?」との疑問が沸き起こる。

ここから北側の海岸に下りていくと、
沖津宮遙拝所がある。

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沖ノ島にある沖津宮には行けないので、
ここから沖津宮の本殿を拝めるよう、
ここは沖津宮の拝殿となっている。

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今は「沖」と書かれているが本当の漢字はこれ
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     ガイドの沖西さんは、この鳥居を寄付した
     沖西4兄弟の長男さんの息子さんの奥さん。

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イコモス調査団への説明や、NHKのルポの中などでも
ご夫婦で解説を担当していると話されていた。

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    その後、大島小中学校などを眺めながら、
      島の暮らしの話を聞きながら
   島を北から南へ縦断し、夢の小夜島の前を通り
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ほほえましいポスターに目をやりながら、
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          フェリー乗り場の入り口のところで杖を返却。

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宗像の神湊へと向かう甲板からは、
往路では見えなかった大島の全景が見えた。
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