2018/11/6

パチンコの存在の問題  問題情報

今、この話をパチンコ廃止を求める会がする必要があるのか?と言う疑問を持つ方も居られるかと思いますが、いまここでこれを語る必要も強くあります。

パチンコは、そもそもが戦後のドサクサで生まれた「娯楽」と言う事になります。
一説では、日本に残った在日朝鮮人が軍用の規格に満たない廃棄ベアリングを使ったと言う話もあります。

始まったばかりのパチンコはバネで玉を弾く変形ピンボールゲームと言う趣でした。
出る玉も、交換するのはお菓子等でちょっとした景品ゲームと言う感じだったのは否定はしてもしようがないと思います。
ほんの40年ほど前はまだ廉価版的なパチンコが下町の駄菓子屋にあったりして交換カードがでてくる仕組みのモノを遊んだ人も居ると思います。

かくいう書いている筆者もその年代ですので、駄菓子屋で遊んだ記憶はあります。
玉を買い、辺りがでればお菓子がもらえたり、景品としてのおもちゃだったりと言う代物でした。
それがだんだん姿を消し、同時にパチンコ=身持ちを崩した大学生のたまり場、となっていったのもその時期ですね。

パチンコ店は、駅前や商店街の近くに存在し、昼間っからだらしない格好をした若い男性がたばこの煙にまみれて金を無駄にする。
そういうものでしたし、大学生や若いサラリーマンが仕事や勉強をサボる場所として認識されていました。

おしゃれを気取りだしたのは、90年代中盤でバブルの影響がまだ有った時代ですね。
この頃には、パチンコ産業のイベントも存在していました。


この部分だけ見れば、小さな娯楽が大きな娯楽のようになった印象があり有る種の成功物語として伝えられるかもしれませんが、しかし実態はだらしない格好をした若者のたまり場だった頃と変わらないのです。

駄菓子屋からミニパチンコが消えた時期から換金をするためだけに、つまり手持ちの有り金使って投資(と言うにはあまりに無駄)するために、パチンコに通うものが増えました。
ある意味ではバネじかけと釘の目だけでやっていた時代はそれも可能だったと言えますし、パチプロが成り立つ環境だったかもしれませんが、80年代も終わる頃から電子化をしていっています。
つまり、玉を弾くのも入れるのも電気的な信号によるものになれば、技量なんて関係無い事になります。

それでも電子化、電気化の初期はまだマシだったと言えるでしょう。
コンピューター、つまりICチップが安価になればなるほど、パチンコやスロットは電気制御、電子制御となりまた換金所と言うものが堂々と店舗近くに出てくるようになったのです。

この換金システムがある事から、多くの人がパチンコにハマり、女性も特に主婦がハマる事も増え、おしゃれを意識しだしたとも言えます。

と、同時に月の生活費をすってしまい主婦売春に走ると言う話もでてきたりしていました。
結局、換金するシステムがあることから、金を投資(リスクにチャレンジ)して大きな成果(ハイリターン)を求めるギャンブルとしての傾向が強くなり、さらに大当たり等の演出での快感から、そのギャンブルとしての賭け事としての性質を露わにしていった、と言えます。

同時に、先の主婦売春の様な社会的問題を作り出し、熱中する=依存するあまり子供を死なせてしまう事例が増えたと言う事になるのですね。

それらの問題は報道が減って少なくなったのかと言うと言うほど少なくなったわけではなく、不景気による大事なお得意様=広告主としてのパチンコ産業となった事による、いわゆる忖度です。

パチンコが健全な娯楽だと言うならば、この換金の仕組みを捨てなければいけません。
多少の景品、お菓子だのガンプラだのなら良いでしょう。
今はウルトラマンや仮面ライダー、ガンダム等アニメや特撮もパチンコに版権を降ろしています。
ならば、そのDVDだののグッズでも良いのです。

それをせず、投資に対してハイリターンと思える金銭が手に入ると言う、射幸心、欲望に火をつける形はやはりカジノ、それも違法カジノとしての性質が強いでしょう。

そしてパチンコ産業はその対策に対してほぼ無頓着です。
おおきなディスプレイやポスターでのめりこみ過ぎに注意しましょう、と言うだけで対策した気になっていますが、その程度でやめる人達だったら、事件や事故、痛ましい惨劇、犯罪の増加等で自制しているでしょう。

多くの人達がそうとは限りませんが、依存症に陥りやすい環境であるパチンコの店舗構造等の改善もないまま、ポスターや掲示程度で対策したと言う事で満足している様では、パチンコは害悪製造機でしかないのです。

だからこそ、パチンコの存在の問題を提起し、解決できないなら廃止の方向で動かないといけません。
様々なものが強い規制を受けている中で、パチンコだけが野放しと言うのは治安の問題でも大きなリスクです。

最近は、売上が落ちた等の話も聞き及びます
が、それだけパチンコに魅力がなく、不要と思っている人も増えたのだと思います。

パチンコ業界は、娯楽を自認するのであれば自ら現状の改善に勤しまねばならないのです。

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2018/10/25

ギャンブル依存症撲滅に本気を入れないとならない理由  報告・日誌

ギャンブル依存症に本気を入れないといけない理由は、それを絶ったとしても脳内でのイメージで継続できる事があります。

例えば、ゲーム中毒と言われる状況もほぼギャンブル依存症に似ていますが、ゲームは脳内で再現する事でそれを疑似体験できます。
もっとも、脳の記憶している以上はできないので、ギャンブルのそれより被害は少ないし更生も容易な面はあります。

ギャンブル依存症の面倒なところは大当たりを想像できる事です。
経験していなくても、自分のリスク(想像上のリスクなので実際より低い)と結果のハイリターン(想像上のリターンなので実際より高い)があり、快感・悦楽を得やすい、再現しやすいと言うのがあるのだそうです。

結果、その状態が持続した上でパチンコ等のギャンブルとなるモノをみればそれをする事で快楽・悦楽を得ようとします。
勝てるかもしれない、いや今度は勝てる等の妄想でトライする訳ですから当然ですけれども、勝てない事の方が多いのですね。

パチンコはギャンブルではない、操作されているから違うのだ!と言う事を言う人も居ますし、パチンコに否定的な人でもそれを強行に主張する人がいます。
それは、確かにそうかもしれません。
ですが、その視点はパチンコをする側ではなくパチンコを運営する側を見ての話です。

私達がパチンコにおけるパチンコ中毒や、ギャンブル依存症と言う言葉を使うのはあくまで行う側、提供する側ではなくパチンコをする側の心理の問題として捉えての話です。
こういう提供の仕方をするから悪だ、やめろではなく行う側が娯楽を逸脱してしまう事の危険を言う事にあるからなのですね。

如何にギャンブルではない娯楽だと言っても、リスクの結果のリターンが存在しそれが幾つかの手順を得て金銭になる、と言うのは快楽原則に則っているのですから、ギャンブルとして成立します。
操作されていても、金をかけて大量の成果を得る事はギャンブルとして成立してしまいますし、そこに人の手が介在していればそれはイカサマ賭博として成立してしまいます。

法的にどうの、と知恵者ぶっても医学的なことや心理学的な事では成立する事になるのですから、これを改善しない限りはパチンコ=ギャンブルと言う方程式は成り立つ事になりますし、そこには依存症や中毒と言う言葉が適用されます。

この問題をちゃんと考えるとしたら、そこには公共の福祉を考えていかないといけませんし、町中におけるパチンコの存在をもっと考えていかないといけません。

現にアルコールやタバコは、そういう人の目につかないようにするとか購入を難しくするなどの対処がとられてきているのですから。


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