2015/6/25

こう言う状態になってる舅、姑に悩まされてる人も多いのでは?  報告・日誌

男女問わず、こういう義理の親の問題に直面する人は増えているかもしれませんね。

パチスロに金を使い込み私親に200万要求する姑「私の何が悪いの?孫の進学費用くらい貯めてるでしょ?金貸してよ!」

ギャンブル依存症、とりわけパチンコ依存症のレベルになってくると、記事中の姑のように、金銭感覚が通常より著しく堕ちた上に、嫌われるという事に意識が向かない、自分がやっている事に問題意識をもたない人が多いように思います。

遊びだから、息抜きだからを理由にギャンブル依存症になっている状況なのですから罪悪感とか背徳感とか危機感はより通常のギャンブル依存症より希薄なのかもしれません。

もちろん、パチンコ業界は「遊技である」という事を言い続けるかと思います。

ただ、他の遊技、ビリヤードなどのようなものと決定的に違うのはそこに「かけが成立している」というのがある事だと思います。

パチンコは賭けではない、賭博としての胴元は存在していないという事を反論として持ち出すかもしれませんが、狭義の賭けであればたしかに胴元が存在してる必要はあるとおもいますが、しかし広義、つまり賭け本来の持つ意味でいえばそれは存在しています。

賭けは、リスクの高い条件のもと、ある程度の運に身を任せハイリターンを狙うことでなりたつゲームです。

スリルを求めるのはどうも人間の本能の様で、賭けは誰もが中毒になる可能性を秘めた危険なゲームとも言えます。

ですから、競馬や競艇、競輪、オートレースなどはそういう場所であるっていうことを認識する型式がなりたっています。

ですが、パチンコやスロットは遊技である、という事を謳っているためあちこちにあり、そして結果賭け要素、ギャンブル要素を持っている事を希薄にしています。

それをもって、賭けではないように努力してると業界の人が言っても、心理学上では賭けは成立してしまっています。

換金ができるという時点で、賭けになってるわけですね。
どれだけ玉をだすか、あるいはコインをだすかで出る景品を狙うならまた別かもしれませんが特殊景品による換金が可能、という時点で人の中では大金を狙った勝負が発生してる事になるのですから。

これを改善せずして、遊技という事で駅前や無作為にどこにでもある、というのはちょっといただけません。

また、郊外のパチンコ店ではいくつかが換金所も併設してあるところもあります。

こういう状態でギャンブルではない、賭博ではないといってもちょっと説得力がかけらもないように思うのは私たちだけではないでしょう。

そして、遊びだという言い訳の元ギャンブルをする事になります。
その精神の中では遊び=趣味に熱中するだけの自由な自分という幻想の元行動する事になりますから、他者に迷惑をかける事に関してはあまり意識しなくなるというのは否めないでしょう。

なにしろ、サヨクは個人の自由なんて言い、それを諌める人を否定した過去もあります。

もっとも、オタク趣味になると、叩くのがサヨクでしたが。

そんな状況の中で依存症を引き起こさないで済むというのはなかなか苦労する事なのではないでしょうか?


それとこれはあくまで私見であり、個人的な感想ですがパチンコ依存症になった人のメンタリティはかの国の人に近くなるように思います。
かの国が来日してまでパチンコをしたがるという話しもありますから、そういう人に好まれる仕組みなのか、それともあのサブリミナルと言われるものを利用した結果、かの国のメンタリティになるのか、という事も考えてしまう状況ではある、なんて思ったりしています。


  
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