2018/10/25

ギャンブル依存症撲滅に本気を入れないとならない理由  報告・日誌

ギャンブル依存症に本気を入れないといけない理由は、それを絶ったとしても脳内でのイメージで継続できる事があります。

例えば、ゲーム中毒と言われる状況もほぼギャンブル依存症に似ていますが、ゲームは脳内で再現する事でそれを疑似体験できます。
もっとも、脳の記憶している以上はできないので、ギャンブルのそれより被害は少ないし更生も容易な面はあります。

ギャンブル依存症の面倒なところは大当たりを想像できる事です。
経験していなくても、自分のリスク(想像上のリスクなので実際より低い)と結果のハイリターン(想像上のリターンなので実際より高い)があり、快感・悦楽を得やすい、再現しやすいと言うのがあるのだそうです。

結果、その状態が持続した上でパチンコ等のギャンブルとなるモノをみればそれをする事で快楽・悦楽を得ようとします。
勝てるかもしれない、いや今度は勝てる等の妄想でトライする訳ですから当然ですけれども、勝てない事の方が多いのですね。

パチンコはギャンブルではない、操作されているから違うのだ!と言う事を言う人も居ますし、パチンコに否定的な人でもそれを強行に主張する人がいます。
それは、確かにそうかもしれません。
ですが、その視点はパチンコをする側ではなくパチンコを運営する側を見ての話です。

私達がパチンコにおけるパチンコ中毒や、ギャンブル依存症と言う言葉を使うのはあくまで行う側、提供する側ではなくパチンコをする側の心理の問題として捉えての話です。
こういう提供の仕方をするから悪だ、やめろではなく行う側が娯楽を逸脱してしまう事の危険を言う事にあるからなのですね。

如何にギャンブルではない娯楽だと言っても、リスクの結果のリターンが存在しそれが幾つかの手順を得て金銭になる、と言うのは快楽原則に則っているのですから、ギャンブルとして成立します。
操作されていても、金をかけて大量の成果を得る事はギャンブルとして成立してしまいますし、そこに人の手が介在していればそれはイカサマ賭博として成立してしまいます。

法的にどうの、と知恵者ぶっても医学的なことや心理学的な事では成立する事になるのですから、これを改善しない限りはパチンコ=ギャンブルと言う方程式は成り立つ事になりますし、そこには依存症や中毒と言う言葉が適用されます。

この問題をちゃんと考えるとしたら、そこには公共の福祉を考えていかないといけませんし、町中におけるパチンコの存在をもっと考えていかないといけません。

現にアルコールやタバコは、そういう人の目につかないようにするとか購入を難しくするなどの対処がとられてきているのですから。


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