2011/10/21


日に日に秋が深まります。
だんだん速度を増して季節が目の前を過ぎて行きますね。
つい二三日前。
ほっこりと午後の陽を溜め込んでいたススキの穂が、夜風に晒されてもう枯れかかって来ています。今朝は日だまりに雪虫が群れをなして秋の陽をかき乱していました。もう冬が近いですね。

ああ、空が真っ青だ。大気が澄みきって、天心の辺りはかすかに宇宙の黒さが透けているようだ。秋空の遥かむこうに青黒い蒼穹が天外に広がっているのを感じる。

私は、この冷たい空の青さが柿を甘くするに違いないと思っている。
ごりっとする程の果肉のどこにこんな水気があったのか、テーブルに転がして置いた庄内柿がいつの間にかじわっと甘い。リンゴはぼけて行く一方だしぶどうはただただ萎れて粒に張りがなくなる。ぶどう粒の皮と実の間の誘うような甘い蜜にも、あの時たしかに、葡萄の妖気があった筈だが。

柿は張りを失い旬が終わったと見せかけてからようやく、信じられない甘さを宿す。ナイフの切口が崩れるようになった、果肉にとろりと冬の陽を含んだ柿の実を、きっとあなたは手にしことがあるでしょう。
柿の底力を知らない人はそれをもう朽ちていると見るかもしれない。しかし、手のひらに乗せて冬の陽にその実をかざしてみると、半透明に淀んだ蜜が種の回りを包んでいるのが皮を透して見える筈だ。

薄くなった皮にスプーンを差し入れ、すくいとって口にすると、あなたはその甘さにたじろぐかもしれない。ドライフルーツではないこの強く柔らかな甘さにきっと驚くでしょう。

そういえば、母はわざわざ熟れた柿を買いにやらせたものだ。幼い私は、軟らかくなったのをねと、玄関先で念を押された事を思いだす。
八百屋も一山から熟れた柿だけを取り出して、そのうち誰かが買いに来ると知っているのだ。
あの時の母は今の私よりずっと若かったけれど、柿の美味しさを知っていたのだ。
きっと祖母から教わったのだろうか。


ああ、こうして話してみると〜
生のままの、ジャムみたいな柿のジュレを、今年もまた食べたくなった。

たしかイタリアでも「Kaki」と呼ぶ。日本から来たフルーツだ。もしかして柿は日本代表なのかしら、彼らにとっては高級なフルーツだ。同じ季節のポルチーニ茸と物々交換しても損は無いと思っている。食べ物に関しても楽しみを知り尽くしているイタリア人は、柿の食べ頃を独特な経験で知っている。彼らは貴重な「Kaki」を完熟するのを待ってからスプーンですくって食べていた!さすがだ。知っている。


テーブルの柿の中に淡い冬の陽を溜めておこう。透き通ってきたら甘さが覚醒してくる。堅い柿の枝から登ってきた土の甘味がいよいよ現われてくる。
そうなったら、トロッとしたみやびな甘さを楽しもうかな。


平成23年10月21日
浅沼 修
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