2013/4/28
庶民の洋風化が定着
これまで、こんな落とし穴がある、あんな落とし穴にはまるなと書き進めてきたが、この落とし穴は一体どうしてできたのだろう。
誰が仕掛けたのだろう。
その辺のことを解明(とても難解なことだけど)するために、もう一度、どうして今日みんな、猫もしゃくしもアスベスト(石綿)対策、インテリアと言うようになったのかを手繰ってみる。
私の子どもの頃育った家は、いわゆる京都の町屋風で「うなぎの寝床」のように細長く、格子戸を入ると四畳半の内玄関があり、そこから通り庭(土間)がずっと奥までつづいていて、そこは片側に流しやコンロ台が並び、(もちろん履物をはいて使う)台所と呼ばれていた。
部屋は一列縦隊で全部が和室、どれも個室としては使えなかった。
ところが、少し上流の家へ(子ども心にそう思ったのだが)遊びに行くと、一部屋『洋館』と呼ばれる、表へ飛び出したような間取りの部屋があって、回転窓か押し出し窓がついていて、マントルピースか何かがあり、重厚な応接セットが置いてあった。
いま思うとそこに日本の洋風インテリアの出発点があったのだ。
