4.『オリジナリティと反復』「序」と 田中恭子の作品について

2012/12/19 | 投稿者: 石村 実

ロザリンド・クラウス(Rosalind E. Krauss, 1941 - )はアメリカの美術評論家です。彼女はハーバード大学でクレメント・グリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 - 1994)のもとで勉強したそうですが、『ロザリンド・クラウス美術評論集 オリジナリティと反復』(訳 小西信之)の「序」の部分を読むと、師であったグリーンバーグに対して痛烈な批判をしていて驚かされます。
それはこんな内容です。
グリーンバーグは、モダニズムの時代を過去からの連続性のなかで捉えた評論家でした。そして彼は、カントの批判哲学を継承しながら、モダニズムの絵画の動向(平面性へと向かったこと)を、絵画にとって本質的なものだと考えたのです。クラウスの要約では、それは「一個の普遍としての芸術」が「理性の普遍的能力としての判断力」を呼び起こすものだ、ということになります。言ってみれば芸術は過去から現在に向かって、普遍的な、意味のある発展をしてきた、ということになるのでしょう。
そのグリーンバーグの考え方に対し、クラウスは次のように書いています。
「本書のほとんどすべては、これと正反対の立場に立っている。1973年から1983年の十年に書いたこれらの評論は、その間の、単に私だけでなく、アメリカの一世代の批評家たちの批評的・知的発展を一覧させることになろう。ただし、そこに視覚芸術に関わる批評家はほとんど含まれないということを付け加えておかなければならない。というのも、ニューヨークを中心とする美術界が『芸術と文化』(グリーンバークの著作)の衝撃に見舞われていたときに、アメリカにおける他の分野の文化的・知的生活においては、国外からやって来て、この国のほぼすべての批評思想が基づいていた歴史主義的諸前提に異議を唱えたある言説の影響を被っていたのである。その言説とは言うまでもなく、構造主義とそれを後に修正するポスト構造主義だったのであり、その分析諸方法は、『芸術と文化』が依存していた立場の根本的な転倒をもたらしたのである。」
クラウスはグリーンバーグとは「正反対の立場に立っている」と書いていますが、これは構造主義とモダニズムの違いでもあります。さらにクラウスは、「アメリカの一世代の批評家たちの批評的・知的発展」に「視覚芸術に関わる批評家はほとんど含まれていない」と書いています。つまり、彼女と同世代の構造主義以降の評論家には、ほとんど視覚芸術の分野に関わる者がいない、ということです。なぜなのかと言えば「ニューヨークを中心とする美術界が『芸術と文化』の衝撃に見舞われていた」からだというのですから、グリーンバーグの影響の大きさをあらためて感じてしまいます。
さて、そのグリーンバーグとは「正反対の立場」とは、具体的にどんな立場でしょうか。
クラウスは、イヴ=アラン・ポワ(Yve-Alain Bois, 1952- ) と組織した展覧会『アン・フォルム』において、「低級唯物論」「水平性」「パルス」「エントロピー」という四つの概念を提示しています。それらは、例えば絵画を平面性へと純化していったフォーマリズムに対して「低級唯物論」があるように、グリーンバーグ的な視点をずらすことによって、グリーンバーグが捉えきれなかった課題に取り組んでいく、というようなものだと思います。
クラウスの論文は視野が広くて難解・・・、というのが正直な感想ですが、もうすこし読み込めば理解も進むのかもしれません。くわしくは、もうすこし時間をおいて書いてみたいと思います。

このように、グリーンバーグの理論を批判したり、発展させたり、という試みには当然のことながら興味があるのですが、モダニズム絵画の理論が提示した平面性について、深く考え、乗り越えようとする真摯な実践に、身近なところで出会うこともあります。
少し前になりますが、ギャラリー檜で「田中恭子展 ―点・ふたたび―」という展覧会がありました。ちょうど忙しい時期で見に行けなかったのですが、その旨、画廊にメールしたところ、田中さんから後日、展覧会の作品写真が送られてきました。
展覧会の案内状の画像は、次のHPから見ることができます。
http://www2.ocn.ne.jp/~g-hinoki/exhibition.html
田中恭子の作品は、一定の模様のようなパターンと、そのパターンを突き崩す変化によって成り立っています。その変化は画面全体におよぶ大きなものもあれば、部分的な小さなものもあります。色彩は茶褐色や黒、グレーといった系統の色により、抑制されています。それらの要素のすべてが、絵画の平面性を意識させつつも、単なるパターンや装飾的な模様に陥らないように、注意深く使われています。パターンが機械的な手つきで描かれていれば、ミニマル・アートの作品のように見えるところですが、そうではない温かみのようなものが、写真から伝わってきます。
展覧会には、つぎのような文章が添えられていたようです。
「少し前にヴィム・ベンダース監督の『ピナ』というピナバウシュのバレエ団の映画を観た。ダンサーたちが思い思いの身振り手振りで表現し、ピナのことを語る場面があってとても魅力のある映画だった。地球の引力に抗したり共振したりして体を動かしているダンサーたちの世界は、絵画を表現する私たちの世界とどこか共通するものがあって興味深い。
絵画とは何なのだろうという問いの中で制作を続けている。確かに絵画を呼びさますものの存在がある。
形の世界、それに伴う色の世界、それらは宇宙のきまりのような、あるきまりの上に存在し、それを探して見つけるのが作家の仕事だと思う。それらがよびさまされて静かに呼吸をはじめるまで辛抱強くまつ 。
今回は100F(たて)80F(よこ)30F(たて)8点ほどの展示になると思います。」
重力に拘泥する体は、ときに不自由で鬱陶しいものですが、ダンサーはその力と共鳴しているのでしょう。グリーンバーグが示した絵画の可能性も、一筋の道のようにせまく困難なものに見えますが、そのなかで絵画という磁場に共鳴することが、できるのかもしれません。
いずれにしろ、困難な課題をあえて引き受けて表現する、というそんな覚悟が感じられる文章です。
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