みなさま  

皆様ようこそ。個人通販をはじめました。

5月22日付で河野多香子第一歌集『古今さらさら』不識書院刊(2700円+税)を上梓いたしました。書店販売ですが東販、日版が注文出荷なのでISBN987-4-86151-161-5で各書店にお問い合わせください。大阪「葉ね文庫」さんにも置いていただきました。

ただいま、個人通販をいたしております。特別価格にて販売いたしますので、下記メールへお問い合わせください。案内メールを差し上げます。
お問い合わせ(mail) tanuko☆mbx.kokage.cc(☆を@マークに替えてください) よろしくお願いいたします。   河野多香子

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2019/8/16

「真夏の結婚式」  

叔母の家は幼稚園と保育園の経営で、いとこ達からその子供まで皆保育士や幼稚園の先生で忙しい。だからお葬式は時期を選べないものの、結婚式となると「夏休み」の取れる八月と言う事になるのだろう。従兄弟の娘の結婚式に本家代表で真夏の11日に出席して来た。今年の夏は七月は長梅雨で涼しく、一転月末の梅雨明けから猛暑となって、台風も次々生まれ、予定の11日(お盆休みの始まりに)になっても暑さは治まらなかった。

式場は「目黒雅叙園」で昭和初期の料亭結婚式場を再現した会場は「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルの一つと言われている。私はまだ行ったことがなかったから、少しは楽しみだったけど、真夏と言うのは気の重いところもあった。
少し前にアマゾンで安くて柄の気に入ったロングドレスを買っておいたので、それを直してあったが、真夏用にぺらぺらと薄くふわふわとふくらむ袖に直したりしたので、もしも冷房がきつかったらと言う不安はあった。

何故か教会式だろうと思いこんでいたら、神前結婚式で、花嫁も打掛親も両家とも羽織袴と留袖(留袖に夏用は無い)で案の定きつい冷房であった。
この年になると何となく「結婚式」には感動しなくなっていて、ついつい会場の観察などという事になる。老朽化に対してリニューアルされた建物内部やお部屋の日本画、格天井にまでちりばめられた美人画や花鳥図、扉の螺鈿、回廊の鏝絵など確かに美しく、日本美術の伝統を集めたといえるのだろうけど、「千と千尋」のあのどんちゃん騒ぎを思わせる「ゴタゴタ感」はぬぐえなかった。

多分、私が年を取ったのだろう。若者たちは楽しい新婚時代を謳歌して、友達たちと盛り上がっていたのだからいいのだろうと思ったが、年寄りは(私は90才の叔母の介助役)はスピーカーの大音量や若い女性の嬌声に、ぐったり疲れてしまったのだった。

夏の日の鋭い痛みに負けないでひまわりと成れ若き夫婦は  多香子
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2019/8/9

唱歌「われは海の子」  

昭和32年ごろ、祖母の小田原の別荘を売った後で、わが家は房州の金谷と言う海辺の町に新しい別荘を建てた。小田原が如何にも文士の別荘街のような所で、暗い日本家屋であったのに対して、父は子供と楽しめる明るい場所を求めたのだろう。
今の人が「別荘」と聞くと大したものにおもうかもしれないが、建物だけは文化住宅のようなダイニングに大きなガラス戸の開放的な物だったが、私達子供は土地の子たちとまじって、同じ様な暮らしを一夏するのだった。真っ黒に日焼けして、海水パンツで一日を過ごしていた従兄弟や弟たちは「われは海の子」そのものだった。

私が「われは海の子」の曲を知ったのは、幼稚園のころ親戚のお兄さんがハモニカで上手に吹いてくれた時だった。祖父が「われは海の子」というのだと、歌詞も教えてくれたが難しくてよく分らなかった。

「われは海の子」文部省唱歌 (明治43年)

1)われは海の子白波の さわぐいそべの松原に
 煙たなびくとまやこそ わがなつかしき住家なれ

2)生まれて潮に浴(ゆあみ)して 浪を子守の歌と聞き
 千里寄せくる海の気を 吸いてわらべとなりにけり

「とまや」は苫屋で粗末な小さな小屋の事だが、子供にはなんのことか分らなかったし、少し大きくなっても葭簀張りの「海の家」位のものかなあと思っていた。房州の家は目の前がフェリーの船着き場の湾で、堤防があったが、松原はなかった。でも小田原より海が近く、船着き場で叱られるのをものともせずに泳ぎ回っていた。従兄弟たちが20人近く集まることもあり、皆泳ぎ自慢だったから大きい子が小さいこの面倒を見て、恐れ気も無く湾を横断したりした。(事故は無かったが今では考えられない事だ)

夜光虫とたわむる楽しさ子等はまだ夜の波止場に泳ぎていたり  多香子
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