2014/3/26

秀歌(28)佐藤通雅  秀歌読みましょう

このところ母が夜中に寝てくれるので助かると思っていたら、また家の中を徘徊するし、花粉症は去年よりひどいし、でテンションが上がったり下がったりしている。

東日本大震災から三年がたって、追悼番組やなにやらに少し違和感を抱いたころ、いつもの毎日歌壇でこの方の五首詠を読んだ。私は佐藤通雅さんと言う方を知らなかったし、主宰される「路上」という歌誌も知らなかった。ホームページとウィキによると1943年生まれ岩手出身で東北大卒、「短歌人」から独立して歌論や童話研究なども力を入れている方のようだ。
「こもれ日」と題された五首が原発事故後の東北の置かれた立場を、はっきりと鋭く詠っている事に驚いた。またこれを載せた毎日新聞に、まだ気骨はあったのかと言う思いも持った。五首の内三首を並べる。

三年を経て不調者の続出す震災はつひにひとりだけのもの

戻れるか、戻れまい、もう戻らない この決断までひとは弄ばるる

忘れられゆくは覚悟のうちなれどこぼれ日のあり渡り廊下に

歌としては難解な部分もあるが、言っていることは分かると言う気持ちになる。私は時事詠を詠まず、語らずとしてきたが、この所で気持ちの底の方でギシギシ言っているものがある。東北の人がこのように詠う事は権利のようだが、東京者の私達はそれでも「故郷をすてろ」と言えないのだ。三首目の「忘れられゆくは覚悟」というのは現地の人の本心だろうか。私は忘れるはずもないけれど「なかったことにする」政府の下で復興に手を貸してはいけないと思うから、何も言わずにこの歌を並べている。
私が取り組んでいる宮柊二の歌には、いつも体の中から突き上げたうめきのようなものがあるなと考えていたが、この歌たちにもその風があるように思ったら、柊二論のご本も出している方だった。
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