2014/5/9

秀歌(30)宮柊二B『日本挽歌』  秀歌読みましょう

『日本挽歌』は昭和28年刊行の第五歌集で、昭和25年(柊二38歳)〜昭和28年(40歳)の作品を集め題名は折口信夫。折口は丁度この歌集が刊行された年に亡くなっている。柊二は師と仰ぐ白秋にしても折口信夫にしても思いがけなくと言うように亡くしているが、それを上回る多くの事を受けてきていて、それは彼の幸運というものではないだろうか。
この歌集の頃柊二は勤めていた富士製鉄の工場から本社勤務となり、高井戸の社宅に移り住んで生活も少し安定してきていた。昭和26年といえば杉並区などまだまだ田舎風景で、柊二の筆にも家のまわりの自然や鳥などの描写が出てくるようになった。落ち着いてあたりを見回す心の余裕のようなものもありながら、昭和25年勃発した朝鮮戦争への懸念も詠っている。「戦争」は柊二の心を終生離れなかっただろう。

子も妻もわれより遠くおもはれて野分する午後家いでてきつ

一人来てわたらむとすも夜の電車とどろき去りて暗き踏切

山鳩の来啼く竹群(たかむら)このゆふべものをおもへとしずまりはてぬ

公然と再軍備論なすものを憎み卑しみ悶ゆとうつたふ

新しきとしのひかりの檻に射し像や駱駝はなにおもふらむ

軒下を猫鳴いてゆく夜の厨つめたき酒をふふめば噎せぶ

みずからを偽るまいとおもふとき体ほてりて夜の闇にをり

おとうさまと書き添へて肖像画貼られあり何といふ吾が鼻のひらたき

決したる心に揺ぐ寂しさを孤(ひとり)のものと我は堪へたり

蝋燭の長き炎のかがやきて揺れたるごとき若き代過ぎぬ

家族の描き方が今の時代と違って、柊二でさえ日本男子である。妻の英子さんがどの時もそれを不審とせずついていくのは、やはり時代に生きている女性だからだろう。柊二は自分を時に卑下し道化てみせる。我こそが宮柊二という歌が出てくるのはもっと年を経てからで、十首目の蝋燭の炎の歌のように、40にして若き時代が終わったと歌っているのは不惑と言う年であるとともに、次の年に出発する「コスモス」というものへの新たなステップを感じているからではないかと思われる。
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