2014/7/21

睡蓮池  短歌

睡蓮池と言えばモネの絵を一番に思い浮かべるかもしれないが、今回はそれではなくて庭に作った小さな睡蓮池の事である。(でもあとで絵のことも出てくるかもしれない)その庭は、神田の家が建って次の改築の後ぐらいではないだろうか、二つの建物を廊下でつないだ造りだったから建物の間に中庭ともいえない小さな空間があった。父も母も園芸も動物も好きだったけど、お金をかけることはせず、見場の悪いものでも平気なたちだった。私もその血を継いでいるのかもしれない。

改築の際取り外したタイルの洗面台(こう書いてイメージできる方がどれだけ居るだろうか。ステンレスが高級品だった五十年ほど前は注文でタイルを張った洗面台を作ってもらうのは普通だった。)を捨てないで、中庭と称する処に据えて水を張り、睡蓮の鉢を買ってきて沈めたのだ。祖父母の代の戦前の事はよく知らないが、多分家で睡蓮を育てるのは初めてだったから、皆期待と不安で花の咲くのを待っていた。睡蓮は蓮より少し早く咲くので、きっと七月だったろうピンク色の小ぶりな花がさいてそれからいくつかの花が続いた。今思ってもモネの絵に出てくるような大きな花ではなかったから、ミニ睡蓮だったのかとも思う。確かに葉も小さくてそんな種類だったのではないだろうか。タイルの水槽が60×50pくらいのものだったから、家庭用園芸種だったのではないかと思う。水槽の周りにいろいろな植木鉢を置いて、庭を演出したけれど都会の小さな空間は「夢見るような」物にはならない。

それから後で小石川後楽園の奥の方まで行ったら睡蓮池があって、やはり小ぶりの睡蓮がたくさん咲いていた。睡蓮は日当たりが大切で、その睡蓮池もうっそうとした林を抜けたところにぱっと開けた空間にあった。明るい昼間の睡蓮池はまさに居眠るような姿でモネの絵の睡蓮よりも光あふれて夢見るようだった。
わが家の睡蓮は日当たりが足りなかったのだろう、だんだん咲かなくなり、家人も好奇心から今度は布袋草に切り替えてしまった。そしてまた建て直しの時その水槽も捨てられてしまったのだ。蛇足だがモネの「睡蓮」は上野の西洋美術館で常設展示だったが、だんだんに照明が暗くなってその良さが薄くなっていったように思う。印象派の光をとらえた作品でも褪色を防ぐためには照明を絞るを得ないというのは悲しいことだなと(仕方がなくても)思う。

いかないであなたと呼んで花となる悲しい妖精(ニンフ)睡蓮の夢
                         多香子
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