2014/11/18

永観堂と晶子の歌碑  短歌

前回の京都旅行の続きである。永観堂も南禅寺も嵯峨野についても案内書であたっていったし、源氏の関連の話も読ん出てかけた。それなのに永観堂のお庭を巡って池のほとり、素晴らしい赤の紅葉の樹のそばに一本の案内板があって、この場所が「粟田山荘」だったところであり、晶子の歌碑があると書いてあってびっくりした。前にこのブログでも書いた「鉄幹と晶子と登美子の三人が恋の駆け引きの末に」京都旅行の一夜を過ごした場所であった。私の中でそれが永観堂とは全く結びついていなかったので、思いがけない邂逅は感激物だった。

歌を詠い始めた高校生の頃、歌の勉強などなにも思わずただ「明星」のこの三人の恋のもつれに憧れて、歌を読み関連の文を読んで受験勉強にしていたのだ。その当時は登美子の儚い人生を思い、晶子が捨て身で鉄幹を獲得したことに自分もそのような恋がしたいと焦がれていた。その池の所にある歌碑には

秋を三人椎の実なげし鯉やいづこ 池の朝かぜ手と手つめたき 晶子

の歌が書かれ、三人で逍遥した時の歌のように解説されているが、「鯉やいづこ」なので、これは後から去って行った登美子を思っての歌になると思う。しかもその時は晶子が鉄幹とはじめてその旅館に泊まって(当時鉄幹は離婚前)むすばれた時ではないかと思う。「手と手つめたき」は晶子と登美子ではなくて晶子と鉄幹の事だろう。「明星」にはあからさまにこの三人の歌が発表されているけれど、その時期や相聞歌などをばらして配置してあれば事実はつかみにくい。晶子の歌に粟田山の朝の心をうたって

すねてすねてみことばきかずよそを向き椎の実ひろひ野菊つみし朝

むねの清水あふれてつひに濁りけり君も罪の子われも罪の子  晶子

の歌があるのも、晶子の情熱的ながらしおらしい乙女の姿を思わせる。当時晶子は堺、鉄幹は東京、現代より遠い距離で京都は忍びあうには良い場所であったろう。その多くの恋の歌の風景を見ているのだと、私はお得感いっぱい(なんておばさんな事!)になったものだ。京都といえばタクシー運転手の悪かった事とか、宿の女将さんの裏表のあることなど嫌な思い出もあるけれど、やはり「古の都」素晴らしいものに出逢えるのだと感激した旅だった。
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2014/11/18  15:47

投稿者:多香子

拍手コメントを頂いた方。お名前がなくてどなたかなと思ってみました。お褒めの言葉身に余ります。私は始めたのが早くても長いブランクがあったので、皆様と同じようなものです。これからも一緒に楽しんで行きたいですね。

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