2015/1/20

「この道」  短歌

「この道」は北原白秋が大正14年に書いた詩を翌年「あかい鳥」に発表したものに、昭和2年山田耕作が曲をつけて歌曲として世に出、現在でも愛されている。こういう歌を「童謡」とよべばいいのか「歌曲」と呼ぶか悩むのだが、白秋にすれば「詩」を書いたのだろうし「白秋詩集」として出版されてもいる。それに素晴らしい曲がついて一つの「名作」が出現するということは「砂山」の文でも思ったコラボレーションというものなのだろう。
白秋はこの詩を北海道旅行の時に書いたと言う。この詩の中に出てくる景色は札幌の景色で、時計台はあの時計台だと言う。今の札幌を思うと何もかも違うような気がするが。

「この道」
(1)この道はいつか来た道、ああ、そうだよ、
 あかしやの花が咲いてる。

(2)あの丘はいつか見た丘、ああ、そうだよ
 ほら、白い時計台だよ。

(3)この道はいつか来た道、ああ、そうだよ、
 おかあさまと馬車で行ったよ。

(4)あの雲はいつか見た雲、ああ、そうだよ、
 山査子(さんざし)の枝も垂れてる。

白秋の詩にはその時代の新しい物を取り入れたようなモダンな感じの中に、しみじみとした抒情があって、その前に流行った大正デモクラシーや風俗だとも思われる。今は「昭和レトロ」とはやされているけれど、大正時代の方が大分しゃれているように思う。実は私は長い事この風景を外国の物だと思っていた。随分小さな時から中学生ぐらいまで、北海道と言うのは社会地理で習うのと、旅行に行った人から話を聞くだけだったから、それらの中にこの歌のような風景は出てこなかったのだ。
この歌の光景は丘の上へと道を馬車で行くと、開けた彼方の白い建物が高い時計台を頂いているという。そして子供が見たことのない「あかしや」や「さんざし」が咲いていると言うのは、日本ではないお話に出てくる外国のことに違いないと小さな私は思っていた。大人になって札幌の昔という事を知った頃には、それなりに納得する知識を持っていたが。北海道には行ったことがないが、今はテレビでも、ネットでも遠くの景色を見ることが出来る。

外国の景と思いて「この道」を友と歌いし女学生の日  多香子 
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