2015/2/24

渡辺はま子とキリノ大統領  

またいつもの思い出話で申し訳ないのだが、私が小学校3,4年の頃だったと思う、「フィリピンキリノ前大統領歓迎会」というのに私たちの学年がレセプションとして器楽合奏をしたことがあった。よく覚えてはいないが大手町の産経会館かどこかだったように思う。(あるいは全然違うのかもしれない)そのとき一緒だったのが、子供には名前しか知らない「渡辺はま子」さんだった。歌で覚えているのは「サンフランシスコのチャイナタウン」だと思うが、私達は自分たちの演奏に緊張していたから共演者と言う位の感覚であった。

私達の小学校は千代田区というどこに行くにも近い場所だったので、数々のそういう場面がある学校だった。音楽の先生が器楽合奏に熱を入れていた(ご自身もシロフォン奏者だった)のと戦争で焼けなかったため、かなり良い楽器が残っていたせいで音楽会でも器楽合奏を行っていた。その歓迎会の時の演目は、先生が編曲した「汽車の旅」のようなもので、何曲かをつないだものだった。私は音痴だったけど木琴がやりたくて、でも選にもれていた。しかし先生の贔屓だったから(!!)特別に「牛とうぐいすの笛」に抜擢されたのだ。とても簡単でソロで見せ場のある役だったので、今でも記憶に残っているのだろう。

去年の暮にそのキリノ大統領と渡辺はま子さんの日本兵捕虜恩赦秘話が新聞に出て、戦後フィリピンのモンテンルパ収容所の日本兵の存在を知った渡辺はま子さんが「ああモンテンルパの夜は更けて」という歌を歌い大流行したので、慰問にも出かけキリノ大統領に助命嘆願もして、100人以上の死刑囚を恩赦で帰国させることが出来た。(詳しいことは「キリノ大統領恩赦」「ああモンテンルパの夜は更けて」で検索してウィキで読んでください。)その話や、渡辺はま子の人生を劇化して上演される宣伝をみたりして、あああの時の歓迎会はそういう事だったのか、と腑に落ちたのだ。
昔は子供にこんなことがあったからこうなった、などと説明してはくれなくて、子供もなんだか分らない大人の世界があるのだなと思いながら暮らしていたものだ。そして大人になった時、ああこういう事だったのかと理解できる情報が残されていることがいかに大事かと思うに至ったのだ。

(イエライシャン)春まだ遠くふるさとを想う声聞く夕べのありし      多香子
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