2015/12/11

錦華小は「御茶ノ水小」に  短歌

私の卒業した小川小学校は統廃合で廃校になってしまった。西神田と錦華と三校が統合されて、場所は錦華が残ったが名前は新しいものに変ると言うので、反対運動まで起きる騒ぎがあった。もう23年位前の事で、気風がいいと言われながら粘りの弱い神田っ子たちは反対と言ったってすぐ折れて、行政の良いようにされてしまった。
麹町地区は今は普通のマンション族だが、当時は官僚や政治家、有名人などが住んでいてごねにごねたので、「番町」[麹町」の校名は残った。それ以前からの千代田区の「麹町地区」と「神田地区」の疎遠な感じはより深まったといえよう。

錦華小学校が残ったのは、三校の中間で登校時間の問題もあったのだろうが、一番に歴史が古く、なにより「夏目漱石」が卒業した学校と言うのが理由だったろう。
漱石夏目金之助はウィキでは、高田の馬場の名主の子に生まれ裕福な家だったが何故か古道具屋に養子に出されたと書いてあるが、私の記憶では御家人の子供で明治の御一新で没落し、養子に出されたのだと思っていた。手元にちゃんとした評伝が無いのだが、ウィキでは御家人と言うのは古道具屋のあとの養子先らしい。
どちらにしても漱石の子供のころは世の中も人々も混とんとした複雑な時代であった。その古道具屋が夜店に店を出して、籠に赤ん坊の漱石を入れっぱなしにしていたので、姉娘が見つけて実家に連れ帰ったと子供のころの雑誌で読んだ記憶があった。
錦華小学校にはいったのはそのずっと後で、その時は御家人の家からも離れて実家に帰っていたのだろうか。

三校統廃合の話であったが、新しい名前は「御茶ノ水小学校」でまるで「御茶ノ水」の付属みたいな名前になった。「なんと恥ずかしいこと」と私たちは嘆いたが、いつのまにか定着したらしく甥や姪が通った頃には「おちゃしょう」と平気で呼んでいた。新しくなったのは名前だけで校舎は建て替え待ちだし、子供の数は少ないが校庭の隅に夏目漱石の碑は残っている。

漱石が夜店の籠にいれられて店番したのも明治の代のこと                      多香子
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