2013/6/27

秀歌読みましょう(5)  秀歌読みましょう

昨日は母の介護がうまくいかなくて体力的にもグロッキー、うんうんうなって寝ましたが今朝は陽が出たらすっかり復活です。

今日はやねうらねこさまこと紀水章生さんが、NHK短歌テキストのジセダイタンカに寄稿されたお歌七首から二首を。

陽の落ちたあとをひぐらし鳴いている立ち枯れの杉ならぶ林道

ゆふぞらの落ちてきさうなはらっぱを礫のやうに飛ぶ燕たち
                      紀水章生

紀水さんは私が今度参加している「そののち歌会」の主催者で、和歌山在住、「中部短歌」「塔」所属とある。正確なお年は私は知らないがお若い男性だと思う。ネット短歌で知ったお名前はハンドルネームやペンネームなので、ずっと男の人と思っていた人が女の人だったりすることはよくあることで、その名前も二つ三つ持っている人もいる(私?)から。
お若いといっても今ツイッターで短歌の世界にはいってきたという二十代ではなく、ネット短歌の黎明期からの三十〜四十代ではないかと拝察している。ネットの場で良くも悪くも前衛的からぬけて破滅的な歌や、口語短歌の新しい世代の享楽的な世界観とは違った、堅実な歌い口に現代人らしい寂寥感を載せている人だと思う。私がお歌だけを見てこんなことを書いているのは、現存の方には失礼なのだけれど、感想と言うものはそういう物だとあきらめていただくしかないのかも。
上のお歌も、一首目の晩夏の枯れてしまった林道に闇が近いのにまだカナカナとなくひぐらしは、暑さより熱のなさを感じさせて鳴いているのに静かだ。
二首目「ゆふぞらの落ちてきさうなはらっぱ」天候は書かれていないが今にもふりそうな曇天をおもわせる。燕は晴れれば高く降りそうだと低く飛ぶ。礫のようにすごい速さで飛ぶ多分五六羽の燕たちはあわてて虫をとるために、右へ左へと不規則に飛ぶのだろう。この歌の中にも音は感じられない。あわただしいのに静寂である。静かな自然の場面を切り取って、詠む者の脳裏に一枚の絵を浮かばせる歌だと思う。
では作者はどこにいるのか。普通はカメラのレンズのこちら側で自然を見ているものだが、この作者は歌の真ん中、自然の中に居るのではないか、そして自然と一体化したがっているようなものを私は感じる。私の読み違いかもしれないけれど。

いつも勝手なことを書いていますので、お前それは違うよ、と思う方はコメントくださいね。合言葉は「正解はない」ですけど。
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