2017/12/22

池袋の喫茶店  短歌

もうじき平成も終わるのだというと「昭和」をレトロと言うなと言う気持ちにもあきらめを付けなくてはならなくなる。もちろん「昭和」は長いから戦前と戦後に分けるべきだとおもうけど、終戦の年生まれの我々はかなりの「古物」になってきているのかもしれない。だんだん昔の記憶は甦って、でも「名前」や「場所」が出てこないようになってくる。少しは思い出話を書いておこうという気になっている。

私が大学に入ったのは「東京オリンピック」の年で、これは覚えやすい。中高と家の近くの女学校で徒歩通学だったから、受験をして池袋の大学に通う事になって、はじめて「定期」というものを持った。とても新鮮でやはり不安だった。池袋は家からは地下鉄丸ノ内線で学校まででも30分だったが、それは若くて足早に歩けたから、今では駅までが乗っている時間よりかかるのではないか。池袋は東口に西武デパート、西口に東武デパートがあるので、慣れるまでは(逆さま、逆さま)と唱えてないと反対に歩きそうになる。でも入学じきに慣れてしまって「文芸部」に入った頃には楽しい遊び場になっていた。

昔は「純喫茶」「名曲喫茶」など「喫茶店」というのが盛んだった。父母の頃は「ミルクホール」だったらしいが私は行ったことがない。普通の「喫茶店」は今でもあるけれど、どうと言う事もないのに中高の校則は出入り禁止だった。神保町には今も有名な「さぼーる」など喫茶店は多かったから、禁止だけど黙認とか、私服でなら平気で高校生から出入りしていた。コーヒーが40円か50円で昭和45年ごろには80円になっていた。
それで、大学になってもクラブのたまり場は「喫茶店」で部室もあるけれど、一日に一回は使っている喫茶店に顔を出すようになっていた。初めは先輩に連れられて行くのだけど、二三の溜まり場が有って(携帯電話がないころだった)どこかに誰かが居るという具合だった。

この前その名前を思い出そうとして、すこし戸惑ったけど主人と話しているうちに「フォンテーヌ」「アンデルセン」そして「ネスパ」というところまで思い出した。場所はうろ覚えだし、今行ってみると半世紀近くたってすっかり変わり、どこに何が有ったのかも分らなくなっている。それもここ10年は行ってないから余計だろう。部内恋愛は意外と秘密にしていて別の喫茶店で会ったりしていたのに、主人と二人でよく行った店の名前がどうしても思い出せなくて笑ってしまった。
「アンデルセン」の壁には漆喰の小鳥がたくさん掛けられていてメルヘンを装っていたが、その小鳥を持って帰りたくて(窃盗なのだけどね)女の子は男子に「とって」と頼んでいた。誰か成功したかどうかは覚えていない。

青い鳥探しに行かない幸せはあなたと二人で籠っていれば    多香子
6



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ