2019/5/31

秀歌(86)阿木津英「角川短歌」十首詠より  秀歌読みましょう

阿木津英(69)は女性歌人でフェミニズム歌人とも言われた。名前のせいで男性と間違われることもあるようだ。私も男性だとおもっていたが、知人の男性は男性教師をもとめてカルチャーに行き、初めて女性だと知ったと言う。しかし教え方も合ったのだろう阿木津の主宰する「八雁」(やかり)と言う結社にも入ってことし80歳で「歌集」も出した。
阿木津は石田比呂志の弟子で石田と結婚し、離婚し、その死をみとった。そのあたりが今の女性には「女丈夫」と映るかもしれないが、繊細な歌も詠むのだった。この「角川短歌」四月号の十首を読んだ時「ああ強い歌」と思った。母の死を私とは全然違うかたちで捉えている。六首を引く。

「天日」

てのひらに顔を覆へりこれの世に母をうしなふおのれと思へば

喘げども死なしめくれぬ苦しみに死したるまなこみひらきにけり

捨てられた まとも見据えてつぶやきしその訴へに応え得ざりき

置き去りをさるる捨児のくらき目に見遣りて坐るほほけたれども

ものなべて浄むるごとく路のうへ日ざし明るむ雪くだりきて

み柩にわが右の肩触れながら天日(てんじつ)に降る雪をあふぎぬ

天日とは太陽のこと、五首目六首目に明るさの象徴として出てくる。それはまるで母の死への暗い行進、そして葛藤と介護の後の死を「赦す」もののように清らかな物としてでて来る。剥きつけに詠まれた生と死は、そのようにして浄化されていく。強い表現もここではその光の洗礼を受けるための導入のように思える。
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