2019/8/30

「すいとんの話」関東大震災記念  

9月1日は今では「防災の日」だが、もとは関東大震災の記念の日である。母は大正13年、12年の大震災の次の年生まれだったが、祖父が私の結婚の年ぐらいまで生きていて、震災の話も良く聞かされたものだった。祖父は徳島から水産学校(のちの水産大)に入学のため上京し、郷土の理学博士を頼って横浜の鶴見に寄宿していた。そして祖母の家(旅館)が不幸が重なっていたために、見込まれて末娘の祖母のお婿さんに乞われた。青雲の志を抱いて上京した祖父は名前は「河野」を変えないが旅館の立て直しのために尽力する約束で祖母と結婚した。(大正12年)

関東大震災は大正12年9月1日お昼頃に起こった。その時祖父は鶴見の先輩宅に泊まりに行っていて、お昼御飯を食べようとしている所だったそうだ。震源が相模灘だったので神奈川の方が被害も大きかったようだが、人口の多い東京の方が火事にもなったし今に喧伝されている。祖父は大急ぎで家から飛び出る時にそばにあった「おひつ」を持って出たと笑い話のように伝えられているが、今のように「避難袋」だの「五年缶」などはないのだから、それだけでもお手柄だったのだろう。
電話は通じず、次の日に横浜から歩いて東京の祖母のところへ二日かかって辿りついたら、旅館も家族も無事でほっとしたという。

その頃は江戸川橋の早稲田寄りで、ひどい被害ではなく今の神田や東の方が倒壊したり焼野原になっていた。「阪神大震災」や「東日本」の時のようにテレビ中継で様子が分かると言う物でもなく、風聞で気を揉みながらも手元にあるもので煮炊きをして、売り歩く人が出たと言う。(信じられないかも知れないが、当時の見聞録には良くでて来る)その時簡単に作れて、売れたものに「すいとん」があった。「すいとん」と言うのは小麦粉を水で溶いて煮立った湯に落として茹でるだけの団子で、それを野菜などを入れた汁にいれて御飯代わりにする物だった。
戦時中のすいとんは都市では材料がない時だったので具の殆どない汁に団子の浮いている味気のない物だったが、震災の時は買い置いてあった油揚げや野菜を何でも入れてそれなりの物だったそうだ。

母は「地震」は短期間で回復するけれど、戦争は何年もかかって食べる物が無くなり辛い思いをしたからと、わが家では「すいとん」は具たっぷりに「関東大震災記念」として9月1日の晩御飯と決められた。大人は子供たちに「地震はいつ来るかわからないから、夜は枕元に明日の学校の用意と、着替え運動靴を置いておくこと」というお説教をするのだった。

神いずこにしろしめすかは知らねどもこの列島に地震(ない)揺りやまず    多香子
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