2019/9/20

秀歌(89)日高堯子「角川」28首より   秀歌読みましょう

日高堯子(たかこ)さんはあまり良く知らなかったけれど、昭和20年千葉県に生まれているので、私とは同学年で、早稲田の教育卒と言う事は、友人の同級生でもあるのだなと驚いたりした。早くに「かりん」に参加、馬場さんに師事して「かりん」の編集委員と聞くと、骨太の歌かしらと云う思いがあったが、この角川の歌などを見ると、独特の言葉選びとユーモアの隣の恐ろしさなど「うーん」と唸らされる上手さである。
多くの女性歌人が自分の親や義父母を介護し、それを詠える時期になった時、とても良い飛躍の時期を迎えるように思うのは私の身びいきだろうか。「角川短歌」五月号より八首を引く

「早春賦」

お母さんずつと好きでしたとささやけば薄目をひらき「そかしら?」といふ

かなしみはさびしさよりもあたたかし蕗の薹三つ野辺のはじまり

ことばから子音が消えて母音のみベッドより衰弱の母の呼ぶ声

縁の下のはくびしんも天井のねずみも今宵はしづかな病間

さしのべる腕が木のやうに硬くなり直になりしとき母亡くなりぬ

母といふやはらかきもの永遠に喪ひたりしのちのわれの生(よ)

母といふむなぐるしきもの永遠に喪ひたりし のち雨が降る

ふふと母のふくみわらひが流れゆく よみがへりこよ空も時間も

一首目の母の口癖「そかしら?」に含まれる可笑しみ、すましてそう言う母は認知の境を越えたのだろう。娘は悲しくない筈はない、でもどこかで距離を採らないと自分も崩壊する。私にはここまでの詠い方は出来なかった。でも時と言う物に助けられて人が抒情を取り戻す経験は私もした。
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