2021/2/12

路面電車「都電」の思い出  

路面電車というと、函館の市電から松山の「坊ちゃん電車」、京福電鉄嵐山線、岡山、広島長崎と全国ではまだ17路線もあるらしい。私にとっては「都電」と呼んでいた一両のチンチン電車がなつかしいけれど、唯一残っている「都電荒川線」はなんだか新しい電車のような気がしている。小金井の「東京建物園」に展示されている昔の黄色い電車をみるとわあーっと思ってしまうのに。

私の子供の頃(戦後数年後には)都電は23区内を縦横に張り巡らされていた。小二まで上野にいたので、四谷の叔母の幼稚園に泊りがけで行くときには、根津から池之端まで行って乗り換え、また須田町で乗り換えて四谷本塩町まで三本を使ったと思う。乗り換え運賃はなくて、全線一律料金だったと思う。都電にはコースごとに番号があって「何番電車」に乗ると呼んでいた。ずいぶん行先と番号を覚えていたのだけど、このごろあれッというほど忘れてしまったのは哀しい思いだ。

神田に引っ越してからは靖国通りを走っていた都電で、銀座でも(新橋行)四谷でも(新宿行)一本で行かれたから、叔母の家には子供だけで行くことが出来たけど、当時の都電は凄く混んでドアが閉まらないなどという事もあり、親は運転手さんに運賃を渡し「どこそこまでお願いします」と言って運転席の傍に乗せてもらったものだ。と言ってそのスペースは運転席のしきりはなくて、金属の棒が一本かけてあるだけのところだった。私は小学生だったからそこではなくて、弟がそこにいれてもらっていた。私でも都電の運転は面白いと思ったぐらいだから、弟は大層嬉しかったに違いない。それでもいたずらもしないで、おとなしく運転を眺めていたから問題にもならなかったが、その後の時代だったら禁止事項だったのではと今になって思う。

都電は私が大学に行っているときまでは走っていた記憶があるので、高度成長の昭和40年代に徐々にバスに替わって行ったのだと思う。(地下鉄も大分出来ていたし)

夢の夜は母の笑顔に会いに行くちんちん電車に乗ってあの日へ  多香子
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