2022/3/25

卒業式のいでたち  

ロシアの侵略ウクライナの徹底抗戦で戦争が続いて、このところ何を言っても通じないような嫌な気分になっている。ブログにこう書いたらどうなるだろうか(私の小さなブログなどはどうもならないだろうけど)有名人の70代のツィッターなどは散々に叩かれているらしい。でも沈黙をもって示そうとした人の真意は伝わるのだろうか。(私たちは不戦を誓ったのではないのか)

私たち戦中戦後に赤子だった者は、もしかして戦火に死んでいたかもしれない。実際主人は防空壕に逆さまに放り込まれて息が止まりそうになったり、義母の背中で避難中の四ツ谷駅の地下階段で落ちてきた爆弾の殻にあやうく当たりそうになったと義母や叔母から聞かされている。私たちは「戦争を聞かされて育った子どもたち」で知らない訳じゃないのだ。あの戦争の時「罪のない一般市民」はいたのだろうか。兵隊以外は銃後の守りで米英は鬼畜だったのだから四谷一帯に油をまかれて爆弾を落とされ火の海になってもだれも「かわいそう」とは言ってくれなかった。
「戦争」は大儀があっても戦っているから「戦争」なのだ。何を言っても若者には通じないだろう。70代と20代の間に二世代くらいの隔たりががあるのではと思う。マスコミの誘導を大本営発表と分かっていても何も言わなくなってしまうのは「いつか来た道」だろうか。

       

九段坂をタクシーで通ったら武道館で卒業式らしく着物に袴姿の女子学生が数人歩いていた。「今年はやっと卒業式が出来ますね」と運転手が言ってああ世の中はそんな季節だなあと気が付いた。あの自粛のコロナ禍を越えてそろそろ普通の生活にというと、やっぱりこの姿になるのかと私はガッカリするのだが、今の若い人とその親は「これが常識」と思うのだろう。
テレビニュースではこの頃は小学校の卒業式でも着物袴、男子でも(少数らしいが)羽織袴の七五三みたいな恰好がいるという。国の行く末を嘆くより、そうしたことを子どもの為と思う親が(大学の卒業式で親に袴を借りてもらった経験を)しているのだろうから、もう手の打ちようはない気がしている。

風ばかり吹く日の塀の木香薔薇右に左に流されている  多香子
5



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ