2014/2/18

秀歌(25)宮柊二『山西省』  秀歌読みましょう

昨年から宮柊二に魅かれ、曲がりなりにも何か書こうと思い、まだまだと足踏みしていたが少しずつここへ書けばいいのだと決めてようやくとりかかってみた。
宮柊二さんが戦争にいったのは昭和14年、それから18年まで中国山西省で一平卒として戦った。歌集はその間の体験を歌にしたというより、歌人が戦争に行って過酷な兵隊生活の中でうめくように紡いだ言葉の集まりというべきか。戦後昭和24年に第二歌集として出された『山西省』という歌集は記録文学と評されるように、本人も「無名の一人の補充兵が…感慨の断片の集積に過ぎない」という。その日常の淡々と記される内容の非日常は、読む者に真実を感じさせ本人が立派な兵隊であろうとしたといっているにもかかわらず、十分な反戦文学になりうると思われる。このようなブログに選びきれもしないし、伝えきれもしないだろうが、八首を並べてみる。

たたかひの最中静もる時ありて庭鳥啼けりおそろしく寂し(断片)

肩よせて綾目もわかぬ夜のかはらを睡りつつ行きいくたびも転ぶ(山骨)

蝋燭の寸ばかりなる惜しみつつ寒ければつくろふ襦袢靴下の類 (分遣隊)

ひまなく過ぎゆく弾丸(たま)のその或るは身の廻りにて草をつらぬく(黄河)

目の前に黄河はひかる汝が死(しに)の昨日(きぞ)の夜なる確かさ薄し

自爆せし敵のむくろの若かるを哀れみつつは振り返り見ず(16年断片)

泥濘に小休止するわが一隊すでに生きものの感じにあらず(中条山脈)

はつはつに棘の木萌(めぐ)むうるはしさかかるなごみを驚き瞠る(〃)

『山西省』にはこのような戦場を日常とする一兵士の感慨が何の主張もなく描かれて、編年編集によって一つの塊になった時、読む者に鬼気として迫ってくるものがある。戦後が戦前になるのではと不安にかられる現在でも若者に勧めたい名著だと思う。
昭和18年日本に帰った宮柊二は19年英子と結婚し、生きて戦後を迎えることが出来た。24年『山西省』出版、28年『コスモス』の創刊。人生の前半に北原白秋との邂逅、戦中にその師の逝去を外地で聞き、『山西省』という歌集を成して「コスモス」という大きな仕事を立ち上げた歌人に、戦後の社会はやはり家族を守り仕事をする戦場であった。
こののちに長い後半生があり、名作『山西省』を越えて歌の世界を構築していった仕事を、戦後に生まれ年を取った私も読んでいかなければならないと思っている。
4



2014/2/20  21:28

投稿者:多香子

白浜太郎さま、お久しぶりです。
研究者の間では定評も出来ていて、私などの書く余地もないのですが、今の危険な匂いの時代にお父様のように何も言いたくないほどの体験をなさった方たちも亡くなって行き、いくつかの戦争文学がその証言となるのですね。短歌形式というのは、声高の主張よりも淡々とした写生にぐっとせまるものがありますね。
ありがとうございました。またよろしくお願いします。

2014/2/20  19:33

投稿者:白浜太郎

以前にもこのプログで宮終二の名前だけは教えて頂いた事があったと思うのですが、今日「山西省」の歌を教えて頂き今は亡き父の事を思い出しました。父は宮氏と同年配で日支事変にに参戦し中国各地を転戦したと聞いていました。しかし戦いの事はほとんど口にする事は無く、子供の私にもそれ程興味のある事では無かったのですが、宮氏の「泥濘に小休止するわが一隊すでに生きものの感じにあらず」この歌を読みおそらく父も同じ様な思いで戦っていたのだろうと思います。今一度、父と「山西省」を肴に酒を飲みたいと思いました。

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ