2014/2/22

千曲川旅情の歌  短歌

「千曲川旅情の歌」というと下に掲げる「小諸なる古城のほとり」を思い浮かべる。本来の「きのうまたかくてありけり」の方はそれが題だと言う感じでもある。この詩は父が好きで、私達も女学生の時に暗唱した詩の一つだ。建て替えの時にも捨てずに持っている『明治大正文学全集 島崎藤村』は春陽堂から昭和三年発行で表題も右から左へ書いてあるから父の本だったのだろうか。
「小諸なる古城のほとり」  -落梅集より-

小諸なる古城のほとり     雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず     若草も藉(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺 日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど     野に満つる香(かをり)も知らず
浅くのみ春は霞みて      麦の色わづかに青し
旅人の群はいくつか      畠中の道を急ぎぬ

暮行けば浅間も見えず     歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の      岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて      草枕しばし慰む

父も母も旅行が好きだったから小諸へは行ったに違いない。そうだ、草笛を吹くおじさんがいたと言っていた。私達もずっと憧れて35年位前に訪れたことがあった。懐古園はそれなりで藤村の記念館も面白い展示があったがおじさんはいなかった。そして<岸近き宿>である中棚鉱泉は流行らず(今はどうだろう)公園奥の高い所に上ってやっと見えた千曲川はがっかりだつた。丁度淀みのところだったからか<いざよふ波>もなく勢いのない死んだような川は、あとでダムを作ったせいだと知った。その後小海線の右左に見た千曲川は流れはあったが水量少なく、護岸によって風情の薄いものになっていた。
この詩のはじめ、春の芽吹きを否定し春は名ばかりの淡い季節は都会ではもう充分の春の頃、信濃路は冬からさめきれないのである。私は寒い時の旅はしないようにしているので、小諸へ行ったのも十月にしては暑い時期だった。そのせいで藤村の詩の旅愁、敗残感が感じられなかったのかもしれない。藤村は教職を得ての赴任であったのだから、その敗残感は創作であり一連の詩のペシミスムもその時のスタイルと思う。教え子佐藤祐子との恋愛問題で死をも考えた時期はおわり、「落梅集」を出す前に結婚もし、落ち着いた時期だったのだ。

千曲川あつき想いを忘るれば雪の山々またはるかなり  多香子

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