2015/3/20

つつましく可憐に。  ファミリー

 ごくごく内輪だけの葬儀も終わり、次は初七日。10年前にキリスト教の牧師さんが、「今は痛みや苦しみのある不自由な身体から解放されて」とおっしゃっていたのを思い出す。もうおばあちゃんは、身体が動かない不自由さも、脱臼した左手の痛みもないのだ。

 おばあちゃんの好物だったけど喉に詰まるのを怖れて、久しく食べさせてなかった「みたらし団子」をお棺に入れてあげる。Kちゃんが「そんなのどに詰まるもん、大丈夫か?」というので、「もう喉にはつまらへんよ〜♪」と返すと「あ、そやった!」。やはりいまだ「おばあちゃん生きてる感」があって、家がやたら広い。

 それにしても、今回の葬儀(家族葬専門業者さん)ではプロフェッショナルな方々の仕事ぶりが素晴らしかった。葬儀のサービス業は、やさしさと品位が必要な仕事らしい。

 天寿を全うしたので、湿っぽいお葬式ではない。ピンクの百合やカーネーション、胡蝶蘭の清楚な晴れやかさの中、ひっそりと菊が香る祭壇。遺影には白黒でなく、ピンクと白のリボン。自然の中でのスナップ写真をそのまま使い、合成で紋付を着せたりはしない。なんとまあ、おばあちゃんにフィットしたセンスなんだろうと感心する。葬儀は簡素化だけでなく、いつの間にか進化していたのだ。
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2015/3/21  23:03

投稿者:紙魚子

☆紗さん、ありがとうございます。本当におっしゃるとおりですね。
2月の末頃、掛かり付けの病院の先生に、「食べられなくなったら、病院にするか家で看取るか、どちらにしますか?」と言われました。すでにおばあちゃんの意向はずいぶん前に聞いていたので、家で看ることにし、医療と高齢者ケア関係者の全面協力を得て、3月の残りの日々を乗り切りました。
 やはりおばあちゃんの不在に慣れずに、出かける時には(おばあちゃんが気になって)、そわそわしてしまいます。

2015/3/21  2:29

投稿者:☆紗

お義母さま、静かに旅立たれたのですね。ご冥福をお祈りします。家はキリスト教なので、死は悲しいことではなく、主の身許に召されるめでたいこと、という考え方です。ただ、身近な人がいなくなったことに慣れるのに時間はかかります。父が天に召された時、闘病の苦しみから解放されたことから、また、退院できたとしてもリハビリの日々の辛さが待っているであろう、その日々から免れた、なんと良いときに神は父を呼んでくれたのだろう、と父の運のよさを感じ、涙は出ませんでした。父がいなくなったことを受け入れるのに時間はかかりましたが、実感してからは、寧ろいつも側にいて見守ってくれていると感じています。


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