2015/6/20

比良と花折峠  神社仏閣/教会

 傾斜する道に棚田を見つつ、山の中へ。ヤマボウシや栗の白い花が咲き、濃い緑に清らかに映える。大きな石がごろごろする谷川を、行儀よく並ぶ杉のスキマから見る。何度もトンネルをくぐる。白いトンネルのライトがぼんやりと壁面を照らし、そのちょっと不気味な明度にドキドキする。

 途中にあった花折峠は、旧鯖街道(若狭街道)のなかで随一の難所といわれた峠だ。また、安曇川と和邇川の分水嶺となっている。鯖街道沿線にある葛川明王院への参拝者(回峰行者)が、仏前へ供えるシキミを峠付近で摘んだことが名称の由来となったらしいが、別に白洲正子さんの文章には、行者たちがシキミの花を「散華」として安曇川に流した、という部分もあるらしい。

 回峰行というのは、平安初期の相応和尚が開いた修験道の一派で、比叡山から比良山へかけて「回峰」することにより、身心を鍛錬する。・・・毎年七月半ばには、叡山の奥の院ともいうべき「葛川明王院」に籠もって、きびしい行を行う。そこへの途中、花折峠で樒を採り、叡山を遥拝するのがしきたりになっている。「この世に別れを告げる」と彼らはいっているが、花折峠から先は断食と無言の行に入るので、その言葉どおり命がけの荒行である。

 都の西北に当る出雲が黄泉(よみ)の国にたとえられたように、近江の西北にそびえる比良山は、黄泉平坂(よもつひらさか)を意味したのではなかろうか。実際にもここから先は丹波高原で、人も通らぬ別世界であった。

 相応和尚の後継者たちが、比良山に籠るのは、平安時代以来、いや神代依頼、そこに伝わって来た起死回生の思想による。・・・また特に花折峠で「この世に別れを告げる」のは、その度毎に死んで生れ変ることを体験するためだ。

比良山について、私は陰気なことばかり記したが、大切なことは、この山が、新しい生命の泉であることだ。その裏側にある葛川明王院は、比良山をへだてて、白鬚神社と相対しており、古代人のこういう感覚はきわめて正確なのである。

(以上すべて白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」より引用)


 いつ果てるかもわからないほど長い上り坂を走り、ついに地主神社に到着した。バスを降りて見回せば、まるで別世界に来たかのような清冽な空気と、ひんやりした樹々の世界。見慣れた滋賀県の風景とは、一線を画すような気配だった。

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 真夏に来ても涼しいだろうと思わせる心地よさ。ちょっと信州に近い感じ。

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