2009/11/25

デントンさんのこと  読書

 先程メールチェックをしていたら、H氏より新規で送られたらしいメルマガが転送されてきた。彼は先月、旧白洲邸『武相荘』に行ったので、『武相荘だより』というメルマガを購読しだした(もしくは積極的でなくても登録され、発送されている?)のかもしれない。

 そこに白洲正子さんの著書より、興味深い記事が引用されていた。ひとりで感動するのはもったいないので、こちらでも紹介させていただく。

  ☆  ☆  ☆           ☆  ☆  ☆

『デントンさんのこと』(初出不詳、現在は新潮社刊「白洲正子全集 第一巻」収蔵)

  昔、京都の同志社にデントンさんというお婆さんがいた。アメリカ人の宣教師だがキリスト教のキの字もいわない、女学校でいともあやしげな西洋料理を教えていた。
 自分が日本へ来たのは伝道の為ではない、宗教は何でもいい、信仰を見出してほしいと思うからで、つまり、日本人が好きなのだ、──しいて聞くとモグモグそんなことを 答えた。
 
 そういう彼女は宣教師として落第だったかも知れないが、信者をふやすかわりに多くの友達を得た。京都の住人で知らない人はなかったらしい。その頃同志社は電車の停留所の中間にあった。デントンさんは門を出て、線路の真中に立ち、ハンケチを振る。すると電車はまるで当り前のことのように止り、彼女を乗せて立去るのであった。

  彼女は当時崩れそうな古家に住んでいた。金持の後援者が、新しい家を建てて上げようと申出ると、大喜びでたんまり金をせしめる。ところが家はいつまでたっても出来上らない。そのお金は無断で学校の資金に廻され、それが彼女にとって自分の家が建つことであった。一銭二銭とお金の間にも、区別はない。

 一等の汽車賃を貰って三等に乗り、あれば四等に乗りたいという風だった。そうして僅かの釣銭まで惜んで、貧しい人に与えたが、私が感心するのは貧乏人ばかりでなく、一番ケチといわれる金持まで、おしなべて「おデンさんなら仕方がない」と何でも許していたことだ。

 電車の中なぞでは、若い人をつかまえて、「あなたお立ちなさい、わたし座ります」と平気でやる。それらのことはあまり自然に行なわれたので、誰も好感しか持てなかった。

 信者は一人もつくろうとしなかったが、そういう人達こそほんとうの信者と呼べるのではないだろうか。

  現代が失ったのは宗教ではない。宗教は(困ることに)いくらでもある。かつては軍部がそうだったように、文化だってそうなりかねない。宗教はアヘンであるという宗教さえ存在する世の中である。それらは狂信者をつくるかも知れないが、信仰は、いつも目立たぬ所にしか育たない。日々の生活の中に、かくれてあり、日々の生活のように、実行のつみ重なりの上に現れる。デントンさんはキリスト教を説かなかったが、キリストをじかに手本として生きた。才能といっては、せいぜいまずい料理をつくるのが関の山だったが、彼女自身が「平和」そのものの姿であり、そこにはもはやキリスト教も仏教も、西洋人も日本人もなかったのである。

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Mary Florence Denton(1857・7・4〜1947・12・24)

1630年に英国からニューイングランドに移住したピューリタンの子孫として
1857年にネバダ州に生まれる。
1887年パサデナの小学校の校長時代、休暇で帰国中の同志社教員の
ゴードン夫妻と出会い、同志社で働くことになる。
翌年来日、以来60年間、太平洋戦争中も帰国せず、同志社女子部のために尽くす。
彼女が終生過したデントン・ハウスは世界中からの訪問者を迎え、「ホワイトハウスを除いて最も興味深いパーラー」とも評された。
デントン女史の遺志により同志社に隣接する相国寺長得院墓地に埋葬。

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