銘茶処

 米岡元子の書庫です。
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投稿者:屋形船
続きです。
障害者をめぐる問題は、障害という言葉についても、障がいと書くべきだという実生活とはかけ離れたところで、理論闘争がさかんで、なやましいかぎりです。私は目の前に障害者がいたら、つまり自分の生活圏にいたら、できる限り、誠意を持って対応しようと思っています。それだけです。

たとえていいますと、大震災の被害に対して募金活動が盛んですが、そういう活動に大金を投じるよりも、被害者に知り合いがいたり、あるいは知り合いを作って、縁のあるその人を追いかけて、見守っていくのがいいと思います。

くりかえしですが、障害は障がいにあらためるべきだという主張には、セクトの主導権争いがみえかくれします。

本題です。
「城が消えた」は思い出のつまった建物が無くなっていく哀しみを綴ったものですね。その喫茶店も、これから先、ご長男をどう育てていくかという一大決心にもとづいたものです。ゆえに建物が崩れていく時、その時の決心を思い出し、茫々とした25年の歳月を思ったのでしょう。そして無くなられても、なお胸に生きているご長男のこをなによりも強く思ったことでしょう。
感情を抑え、淡々と書かれている分、じんわりと母親の気持ち、妻の気持ちを強く感じました。

投稿者:屋形船
こんばんは。HAWKさんのブログで無断でコメントしてしまいました。太郎ママの記事を紹介したいという気持ちからです。
この「城が消えた」という文章、いいじゃないですか。どうしてコメントがないんだろうと思いました。どうでもいい軽い話には、反応が多いのに、なんでだろう。日本人ってこうなのか?と思いました。
あ、私も1回目読んだ時は、コメントしませんでした。ははは。
コメントしなかったのは、何故でしょう。真剣に考えてみました。
私の場合だけ考えてみます。これは長文になりそうですから、<前編>ということでご理解ください。
障害者の問題がからむと、とたんに、わけもない緊張感が生じるんですね。
うかつなことはいえないぞ、相手はどんな人かわかららない。
冗談めいたことや洒落がいえなくなるんです。
ブログで遊びたいのになんで緊張感をもたなきゃいけないのか?
私の場合、そう思うのは党派性むきだしの理論闘争があることをしっているからです。
簡単に言うと車椅子を階段のところで持ち上げてもらって「ありがとう」というのが正しいという派もいるし「当然だ。お礼なんか言うことはおかしい。共に生きる社会だろ」という派もあります。
だから、相手にする人が、ある特定の党派の人ではないのと、先に考えて、憂鬱になるます。
私は「五体不満足」の乙武洋匡さんを敬愛しています。気持ちの良い人です。ところが、「そんなエリートだけ見るな」と言う人もいる。私からいえば、ひがみっぽい恨み節のような理論もあります。
こういう混沌とした理論の混乱が、私にコメントを書かせることをためらわせたといえます。
しかし「城が消えた」やその他の文章は、その様子見の気持ちを変えるものでした。(続く)

我ながら硬い文章ですが、まさかやわらかくも書けませんし・・、

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